50代の着ること
年々、むずかしいと感じている。
流行を追いかけることは、もうあまりない。
衣服の「重さ」や「脱ぎ着のしやすさ」といったことの方が気にかかる。
バブル期に窮屈なスーツに身体を押し込んだ反動なのかと思うくらい。
そんな「ややテンションの低い」私の「着ること」事情。
最近、ちょっと上向きに。
では、いってみよう!
画像:ワイドパンツとトートバッグ、ワンピースおばさんたまにパンツ、どちらも手作り、ウエストはゴムですが何か?
過去記事、最初に貼り付けてしまいました。
「ワンピースが簡単で、楽だなぁ」と思っているのです。
コーディネートと着心地。
ある程度きちんと見えて、身体をしめつけない。
今年の春整理で「スカート」(単体?)は絶滅。
えぇ、まだまだ往生際が悪い私は「ベスト4」(3ではない)を着ないまま数年残していました。
ベッドの上に並べて、撮って、片づけシスターズ(私達のこと)の姉(ゆみちゃん)に「捨てます!!!」と決意の報告をして、やっとこさっとこな処分。
「50代の整理」は「時間」と「決意」が必要です。
ワンピースのほとんどは、75歳からミシンをはじめた母が作ったモノ。
「何歳からでも、はじめていい」のお手本。
早10年、私の洋服ダンスの中は母の作品ばかり。
生地は私が選びます。形の希望は伝えるが、生地の都合・縫製方法を考える製作者(母だけど)による「変更あり」つまりは「おまかせ」です。
生地を選んだり、デザインを考えたりするのが楽しい私。
作ること、その工程を考えることが楽しい母。
随分どちらも年齢を重ねてから知った楽しい共同作業。
「もっと早くからやればよかったねぇ~」
そう言い合うも、これもタイミングなのかもしれません。
こうした高齢母娘の共同作業は、「はぎれ」という「モノ」も生みだしました。
「はぎれ」もまた新たな「作品」にしたいと考える「作るヒト」(母ね)
母の育った時代や背景、性格を考えると、「捨てたら!?」と簡単に言えず。
実際、「はぎれの寄せ集め」が素敵なモノになることもあるのです。
春と秋、そんな「はぎれ」を見直します。
全部集めるとかなりの量。
「これは…」と「はぎれの整理」を促します。
これまでの整理で「いつか」「まだ」(整理収納界隈のNGワード)を言ってきたモノも含まれます。
何度も「いつか」「まだ」と言ってきたモノに、また同じ言葉。
私の気力・体力が弱っていた頃で、「先延ばしはもうやめてほしい」と言ってしまいました。「処分」にも体力が必要なのです。
ちょっとハッとした母は、「そうね、そうね」とかわいそうだったかなとこちらが思うくらいのスピードではぎれをより分けていきました。
思いのほか、処分の決まったはぎれの多さ。
私の方が「いいのかな?」という気持ちになってしまいます。
ちょうど、そこへお隣さん。絶妙なタイミングの回覧板。
この方は母よりひと回りお若く、モノ作り仲間。
母と同様「作ることが楽しい」職人気質、仕事が丁寧。
基本、何でも「自分が要らないモノを他のヒトに押し付けてはいけない」と考えています。
「よかったら、どうぞもらってください」というスタンス。「いつでも好きに処分してください」も添えます。
昨夏に足を骨折してから活動範囲が狭まり、母の足の不自由さを理解できるようになったお隣さん。生地を選んだり、買いに行ったりということがままならず、家に居ることが多くなったのに退屈だとわが家のはぎれを喜んで引き受けてくれました。
はぎれを見ながら、世代の違う3人でワイワイ。
数日後、お隣さんが再び。
私のパンツのはぎれがトートバッグになってやって来ました。(画像のモノ)
完成品の披露(お互いによくある)だと思ったら、私にと。
「え~~~~、いいのぉ~~~!?」
うれしすぎました。わが家では「はぎれ」となり、「処分」を決めて手放したモノが「素敵なモノ」によみがえる。
パンツ&トートバッグの「おそろい」です。
「まだ、もう一つ作れるからそれは私がもらう~~~」お隣さん
「作るのが楽しいし、喜んでもらえることがうれしい」とも。
すごいうれしくて、早くおそろいで使いたい。
通院に着て、持ちました。パンツで出かけるのは、主に病院なので。
ちょっとウキウキな通院になりました。
「着るモノ」に関して、街のお店やネットでもなかなか欲しいモノが見つけられなくなってきました。
こういうモノに、今の私の「着ることテンション」は上がるようです。
通院じゃなく、楽しいところへも身に着けたい。
どちらも大切に使いたいと思います。
(ま)
さらっと日記のように書きたいと思ったんですけど、まぁまぁな字数