「すっきりしている」
そう感じる度合いはヒトにより違う。
同じヒトでも、時が経てば違ってくる。
進化なのか、エスカレートなのか。
現状維持より、進んだ方がおもしろいと思うのよ。
では、いってみよう!
画像:とある素敵なすっきりした場所、ある日のおやつ、美味しいモノ
1.マッハな「秋掃除中」に、シーズンモノも処分
「秋掃除」ゆったり、のんびりやっていたと思うのにこの秋の短さは何!?
♪マッハ、ゴォ、ゴォ、マッハ、ゴォ、ゴォ~♪ 歌ってみる50代。
「衣替えはしない派」(関連記事多数あり、お時間のある方は探してね)につき、急な寒さや戻ってきた暑さにも対応可能。
わが家の収納空間と、私の記憶レベル、TPOに合った量ではないかと自負する。
ただ「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマなので、「現状維持ではいけない」とも思っているため、「何か処分するモノはないか」と脳の一部が日々考えている。(やっかいよ、片づけヘンタイあるある)
「衣替え」はしないけど「衣捨て」はする。
シーズン中に着たおして、くたびれたモノ・傷んだモノはウェスにしたり、自治体のルールにしたがって処分したり。これはある種の「満足感のある処分」で、モノはもちろん最後まで使い切った自分もほめてあげたいくらい。
秋掃除中にふと、これからの着るモノを眺めてみた。
昨シーズンの終わりに残ったモノ達だ。中には残留し続けているけれど、いつ着たか思い出せないモノもある。
「数しばり」で「〇年(月など)使わなければいらない」という整理収納界隈ルールをよく見聞きするんだけど、「そんなの、ヒトの勝手」と斜めに見ている。特別な思いがあるモノなのかもしれないし、上質なモノなら再登場もあり得るかもしれない。自分が気のすむまで持てばいい。誰かのルールじゃなく、マイルールで。
確固たる「持つ」ではないモノもチラホラ残る。
私にも「まだ」「いつか」がうっすらある。生地や縫製がいいモノは手放しづらい。
シーズンのはじめに「これからのモノ」を眺めると、「なんとなく残したモノ」が気にかかる。「はて?今から、いや、明日着る(使う)か?」と自問する心の声。
「持つ理由が言えなければいらんぞ!」心の声が攻めてくる。
「何か処分するモノ」が出てくる。
季節の変わり目だけじゃなく、はじめ・途中にも「整理チャンス」はある。
2.すっきり感度
序文にも。「すっきり」という感覚はみんな違う。同じヒトでも整理を繰り返すうちに、違ってくる。
私なんぞ、「元・ステラレネーゼ」「がっつりマキシマリスト」でしたから。まぁ、性質の他に育ってきた環境や時代も関係するかなぁ。バブル期に青春時代であったことは、おもしろかったしモノに対して贅沢であったこともいい経験となっているから「良し」としたいところ。
一気に整理が進んだわけじゃない。ほんとに、ボチボチ。亀の歩み。
趣味や興味が時間とともに薄れていくこと、加齢、気力体力の衰え、維持管理と、モノが多いことによる疲労感や手間の多さ、危険性といったことは「今」そうならないと感じ取れない。
大切なモノを「一生モノ」と言うけれど、一生経ってみないとわからない。人生の終わりの方で「あらぁ、これだったわね」と気づくくらいのこと。何かあったらいいけど、何もなかったはさびしいかな。
「すっきり感度」は上げていった方が、家事が楽、自分が楽。そう思っている。
3.私達は、ミニマリストではない
「ミニマリストのお買い物」に違和感がある。ミニマリストなのに、商品のおススメ的なこと?(他にもモヤモヤすることが多々ある)
ミニマリストの定義が最近さっぱりわからない。「モノを減らしてスッキリした空間にしたい」と考えるヒトは多く、「ミニマリスト」の言葉に吸い寄せられるように読んだり観たりしてしまうのだろう。それを見込んでいるかのように感じる。
ゆみちゃんの前回の記事
子育て世代をとても優しく励まし、言葉や画像が一人歩きする今を俯瞰で言い当てている。
私達は「日々、整える」を書いているけど、ミニマリストではない。
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4.まとめ
タイトルは「すっきり」なのに、思いは「ごちゃごちゃ」
50代は「更年期」とも戦わねばならず(個人差あり)、自分を労わるためにも「空間だけでもすっきりせておきたい」と思うのです。
体調面だけではなく、暮らしの中でもいろんなことが起こるもの。事前になんとかなるのは空間だけじゃないかと。
各方面、「すっきり」といきたいものです。
(ま)
いい生地のパンツを数本手放しました。気が済んだというところね。