春は「備える」も考えている。(いつもに増して)
モノの「整理」は「点検」でもあって。
「これからも必要か」と考える「点検」
「もしもの時に必要なモノがあるか」という「点検」
また後者は「すぐにアクセスできるか」「適量か」という「点検」も必要。
「片づけはエンドレス」と思ってはいるが、いつもいつも悩ましく「正解」にはたどり着けない。(正解はあるのだろうか)
あぁ、難しい。
では、いってみよう!
画像:ヘッドライト、100円だけど明るい、電池は入れておけ、枕元に、先日深夜の停電工事があり役立った
私達の会話の多くは「整える」
トップ画像によく登場する「美味しいモノ」を前に、だいたい「何を捨てたい」「どこそこ(場所)を片づけたい」などと話している。
「美味しいモノ」を決してないがしろにはしておらず、毎回「食リポ」をしてしまう。
誰も求めちゃいないのに、以前の「職業病」じゃないかと思う。
最近ではいつもより高い声でリポートする私を、ゆみちゃんが動画撮影して、私達はいったい何をしているのだろうと笑うお決まりパターン。
…コギレイ堂、裏話
「整理」のうんちく、よろしい?
「うんちく」なので鬱陶しいかもしれません、はじめにお断り。
では!!!
「整理」って「分けること」
- 種類…例・文房具、衣類、雑貨、食品、道具など数えきれずある(モノの量により、枝葉のように分けるが続き数も増えていく)
- ヒト…「誰が」ということ。私物は基本自己管理、自己管理が難しい場合や共有のモノのは工夫とサポートが必要
- 場所…「どこで」ということ。必要なモノを必要な場所に、トンチンカンな整理収納はモノの迷子につながる
- 行動…「~する」ということ。一つの動きに必要なモノがまとまると行動はスムーズ
- 頻度…「いつ」「どのくらい」ということ。ストックや収納する場所を決める時の目安にもなる、「使い切る時間」の把握は「適量」につながる
1~5で分ける前に、もっと「初歩的な分ける」があると思っている。
「要・不要」つまり「いる」「いらん」だ。
こう考えると枕詞?前置詞?か知らんけど、「いつか」「まだ」と言い出してしまう。
「いつか痩せたら着る服」は今ダイエットに励んでいるのなら、置いておけ。(えらそう)
「まだ使える」は今もガンガン使っていて次なるモノを見つけられずにいるのなら、置いておけ。ただ置き去りなモノは「処分」(捨てる以外の選択肢もある)を考えろ。(えらそう part.2)
「要・不要」で判断しづらいヒト(私はこれ)は、「好き・嫌い」「使いたい・どうでもいい」など自分に合うワードが見つかると、意外に判断しやすい。
軸は「モノ」ではなく「ヒト」におくこと。
この「初歩的な分ける」が「整理」では重要だと考える。
1~5は他人でもできる。そこに住まうヒト達から暮らし方を聴きながら、整理して収納する。そんな仕事があるくらい。
「要・不要」(いる・いらん)の判断はそこに住まうヒト(達)にしか決められない。
この「初歩的な分ける」に慣れていき、その時点で「要(いる)」と判断したモノを1~5に沿って分けていく。これが「本当の整理」だと思う。
「要・不要」が混ざった「整理」は、この先もモノが増えていくだけで「循環」しない。「初歩的な分ける」をせずに他人様に片づけてもらったところで即効性はあるかもしれないけど、リバウンドしてしまうのは目に見えている。(えらそう続きでごめんね)
「初歩的な分ける」を頑張ってほしい。片づけを手伝ってくれる他人様にそこらへんも教わってほしいと思う。いや、これができたら、自力でできる!
「備える」の話やん!
そうでした、「備える」を書きたかったんだ。
あまりにも暑苦しいうんちくになり、すみません。(本当はもっと書きたくなったし、書ききれていないこともある)
「日々、整える」な私達なので、もうあまり「初歩的な分ける」がない状況。私達は「50代」とよく表記するが「6」もチラついてきた近頃。
「思い切って不要と判断する」時期に突入したと思われる。
そうやってモノが減っていくのに、実は「備える」は増えている。
「いつか」「まだ」という言葉は言わないのに、「もしかしたら」の登場。
「もしかしたら」なモノには、なんでもないモノもある。普段、あまり必要と感じていないんだけどの「もしかしたら」
この心の声がしたら、「備えるグッズ」に仲間入りさせている。
「処分」の中にもう一つ選択肢が増えたよう。これは家の中でのモノの行ったり来たりだが、「備える」へのアクセスのしやすさにつながるんじゃないかと、心の声に納得。
まとまるのかわからない、まとめ
「備蓄系」動画を楽しく(?)観ています。
居住地域、形態(住まいの構造)、家族構成なども違えば、何といっても思考が違う。
「楽しく」は不謹慎なようだけど、そんな違うヒトの「備える」を拝見して、わが事を考えたり参考になったりはやはり興味深い。
本文にもあるのだけど、「整理」が「収納」や「ストック」にも影響する。
「備える」は「整理」をある程度し尽くさないと、ただモノを過剰にして家の中を混乱させてしまう。普段からある程度整えておくことが、「備える」も整う近道だと思う。
私の結論としては、平常時ともしもの時(非常時)、ローリングストック(平常時よく使うモノを少し多めに持ち、使いながら(循環)非常時にも備える方法)を行ないながら「備える」を考えたい。「”非常時”もいろいろあるで」と思いつつ。
「備える」もエンドレス
いつもより長文、読んでいただきありがとうございました。
(ま)
まとまったでしょうか?「備える」が難しいと感じる春です