「加減物」物事に対しての言葉のよう。
整え話をお届けする当方としては「モノ」としてみたい。
「住まいをどう整えればいいか」
そんな視点で書いてみます。
では、いってみよう!
画像:本文とはま~ったく関係ない、なんか懐かしいお菓子、「ブルボンセット」買ってしまうやつ、どれが好き?私はバームロール
1.片づけたいヒトの背景
個人の意見です。(ブログとはそういうものか…)
周囲のヒトビト、仕事で出会った方々、そんな関わりの中で感じたこと。
「片づけたい!」と考えるヒトの多くはモノを持て余している。
自分自身はもちろん、一緒に住まうヒト(家族なことが多い)が間違いなく持ち込んだモノを。
イシ(意思・意志)の度合いが強く持ち込んだモノから、DMや粗品のような舞い込んでくるモノ、役目を終えたモノまで多種多様なモノの処遇(整理収納にあたるかな)が適当だったり、処分の先送りをしていたり。
そんなことじゃあ、あっという間にモノまみれ。
「大切・必要なモノ」と「いらない・どうでもいいモノ」がごちゃ混ぜになってしまう。いいのか!?
不便さを感じながらも、そのうちその環境に慣れてしまって何も感じなくなる。不適切な表現かもしれないけど「重症」だと私は思う。
誰か近しいヒトが気づけたらいい。本人が気づくのが一番いいけど。
2.「片づくコツ」があるとしたら…
それは下記の3つを「加減すること」だと考える。
- 人間的(ヒト)なことでは、趣味シコウ(思考・志向・嗜好)、人数や年代、環境といった状況
- 空間的(住まい)なことでは、住まいの形態、既存の収納空間
- 物質的(モノ)なことでは、そこに住まうヒトの暮らしに適した量
「ヒト」「住まい」「モノ」の加減
「シコウ」はそこに住まうヒトにより違ってくるから、誰かに相談したり、何かに頼ることがあっても「本人、及びそこに住まうヒトみんな」が主導権をもって整えていった方がいい。そうすれば、その後の維持管理(掃除も含む)も自然に行えるはず。
どんな住まいでも、そこに住まうヒトが「ヒト」を重視して「モノ」を加減する。「モノ」が一番になっては、「住まい」も「ヒト」ももったいないの極み。
3.「既存の収納空間」を制覇せよ!
「片づいている」と感じる度合いは、これまた様々。たくさんのモノが出ている状態が落ち着くと感じるヒトもいれば、扉や引き出しの中にモノを収めてしまいたいと考えるヒトも。「出しっぱなし」や「モノの場所が定まっていない」という前者は申し訳ないが落ち着くとは言えない。(ちょっと毒々しい!?)
「収納が足りない」というお声もよく聴くのですよ。
「では、いっぱい収納空間を造りますが、ヒトのための空間は小さくなります。よろしい?」聴き返してみます。
「……それは困ります」
私は魔法使いではないので、空間を広げることはできない。(増築でもないかぎり)
でもどういったモノの収納に困っているのか、どういう暮らしがしたいのか、片づけへのハードルはどのくらいなのか、生活動線の確認などを聴いているうちに必要な収納空間が見えてくるということはある。
さて、一般的なことを。
改装するとか、片づけを生業とするヒトに相談するとか、あまりないと思う。
多くの場合、皆さん、ご自分達で頑張っている。
「既存の収納空間」を活かす
片づくコツ、一番の近道だと考えます。
既存の収納空間には「今は使っていない」「使いたいとも思っていない」「存在を忘れていた」そんなモノが収まっていることが多い。
「収納空間が少ない」とされる日本の住宅ですが、何かしら既にある収納空間(押入れやクローゼット、物入れはもちろんシステムキッチンや、洗面台の棚も収納空間の一つ)にまずは必要かつ、「今後も持ちたい・使いたい」と考えるモノから収めていく。乱暴な方法かもしれないけれど、入りきれなかったモノ達を眺めて「処分」を考えていただきたい。
本当に「収納が足りない」と感じたら、「収納するモノ」を迎えたっていい。ただそれは安易に手に入る、間に合わせ的なモノでないモノを。
インテリアとしても楽しめて、そこに大切に扱いたいモノを収める。
収納ケースや簡易な棚を増やして片づけた気になっても、ヒトのための場所を自ら狭めていることも忘れないで。収納するモノもヒトを楽しませるモノであったなら、それは「収納するモノ」の域を超えたモノ。
「収納するモノ」は「モノ」と「ヒト」のためであってほしい。
10代でご両親に揃えてもらった、チェストと机(後に鏡を足してドレッサーとして使用)をご結婚後も、ご自宅を新築された後も使い続けているという素敵な話もあってよ。(お蝶夫人口調で読んでくだされ)
4.まとめ
暑苦しく、長文傾向になりそうなので「まとめ」
「インテリアと整理収納、掃除はセットです。」と考えています。
モノまみれ、モノのための家具ばかりでは「インテリア」にたどり着けず、掃除もしづらい。
ヒトの暮らしの中で活気に満ちた時期はモノも多く、家の中のことよりも他のことに手も時間も取られる。それはそれでいいと思う。そんな時間があってこそ、暮らしだから。
反対にひくほどモノが少なくて、ヒトのための家具(椅子や机といったモノ)がなかったり間に合わせ的なモノというのも、私には味気ないと感じる。掃除は楽かもしれないけれど、インテリアを楽しんでいないように見えるから。
「加齢」はみんなに公平にやってくる。
気力・体力、変わらないとはいかない。記憶力も。
自分で、選択して処分する。できるうちにしておきたいと思う。すでに、気分にもムラがあったり体力がついていかないこともあったりと「ぼちぼち」傾向。
片づけることは、いろんなことを加減して整えることなんじゃないかと思うのです。
(ま)
片づけのノウハウ的なことはあまりございません。「心意気」だと思っています。
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