日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

「安全」に片づける

f:id:kogireido:20220218111055j:plain

 

「片づけが安全につながるか?」

たくさんのモノを持ち、それらをただただしまうことを「良し」としていた頃は考えもしなかった。

日本中いや世界中で起こる災害の数々。

老いていく親、自分。

小さいヒトの誕生と成長。

そして、コロナ禍。

「住まいの安全」を考えねば!整えねば!

では、いってみよう!

 

画像:いつかの運動会の空

 

1.きっかけは「赤いハイヒール」

 

阪神大震災のあの日、寝ていた私の頭に「赤いハイヒール」が降ってきた。玄関の収納に収まらず「自分の部屋に置きなさい!」ということになった「過剰な靴」はタンスと天井の隙間に何箱も積み重ねられていた。その箱の一つから飛び出た赤いハイヒールに頭を小突かれた。「履けへん(履かない)くせに!」と。

 

もう、どのようになったかは私が書くまでもない。「いつもの毎日」「普通の暮らし」が吹っ飛んだ。比較的被害は少ない地域だったけれど、ちょっと向こうの状況にわが家の被害など語るにも値しないのではないかと思った。小さなお子さんがいる知人のために飲料水や牛乳を探し求め、おにぎりを握った。自分の部屋で、あたたかい布団で眠り、あたたかいモノを食べることができている。「いつも」「普通」のありがたさを改めて感じ、「住まいの安全」を考えるようになった。

 

 

2.「住まいの安全」自分にできること

 

いつ起きるか、どんなことになるかは分からない。住まいの形態、土地の特性、河川や崖のあるなし、そんな外的条件はちょっと置いといて「わが家」という最小単位で考えてみる。

「わが家=家の中」とするなら、「安全」はそこに住まうヒトが考えて整えるもの。他の誰でもない「私」が考えないと、動かないと。

 

多過ぎるモノの山、元に戻されない床に散らばった服の川、自ら作ってやしないだろうか。私は作ってたから。家中あちこちに。

トイレの突っ張り収納はモノは全部落ち、棒も突っ張ってはいなかった。あふれる洋服はキャスター付きハンガーラックに「これでもか!」と掛かったまま、傾いていたから。(重い、重い。起こすのに一苦労)

昭和のお嫁入り道具「フランス人形」はガラスケースごとピアノの上に落下、ガラスが飛び散り、もう「ただあるだけ」だったピアノは傷だらけ。同じくガラスケースに入った日本人形、危うく寝ている母の上に落ちそうだったから。(寸前で避けた)他にもいろいろ。「わが家の安全」全くなってなかった。

 

「住まいの安全」って「何よ?」「どうしたらええのよ?」と思うかもしれない。

「落っこちたら危なそう」「逃げ道をふさぎそう」などの「想像」で、まずは考える。

究極「命が一番大切」だ。そう考えたらモノの整理のスピードは速くなるはず。

 

 

3.「住まいの安全」災害だけではない

 

「災害」のためにだけ、家の中を整えるわけではない。日々の暮らしの安全を考えた先にあるのが「非常時」ではないかと思っている。

「掃除」「整理収納」「インテリア」三つはセットで、これらも「安全」を無視してはいけない。

・掃除がなされず衛生的でない

・モノが整理されていない

・重いモノが上にあるなどの危険と隣り合わせの収納

・「インテリア」と称して置き去りになっているモノ

これらは日々の安全をも脅かしていると思う。

年長者の事故は「家庭内」が多い。天袋を整理していて転落という事例がよく紹介されるけれど、周囲にもほんとにいる。紙一枚でも床に落ちていて転ぶことだってある。母について想像していたことだが、私もそろそろ危ない。チビーズ(甥姪達)が幼い頃も心配した。年長者や子供だけじゃない、「みんな」がいつも安全でありますように。

 

 

4.「住まい」は「モノ」のためではなく「ヒト」のために

 

「住まいを安全に整えよう!」そう考えた私がまずしたことは、「モノを減らす」ということ。「モノが凶器にもなる」と知った日から、ガンガン整理。この整理は「処分」が中心。「捨てて、捨てて、捨てまくった」と書きたいが、「使って、使って、使いまくった」もある。とにかく、使うか捨てるか。いや「売る」もやった。

「モノを減らす」ということがいかに大変かということ、今までの自分が安易にモノを持ち込んでいたことに遅まきながら気づいた三十路前。

 

部屋が、家が、「モノ」に占められていたと理解したのは、「モノ」はもちろん「収納するためのモノ」(カラーボックスや隙間に合わせた間に合わせのような家具、収納ケースなど)がなくなった頃。もう弾きもしないピアノがなくなったリビングの広いことといったら。他の部屋も床や壁が広く見えるようになった。

 

今わが家にある食卓は伸長式で10人で食事ができる。家の改修時に「家族全員で一緒にご飯が食べられるようにしてください」と母からの注文。空間は変わらないので家具をチェンジ。食卓・椅子4脚、ソファーを合わせればなんとかいける。おしくらまんじゅうか、ファミレス的ではあるけれど。

 

「モノ」がなくなって現れた住まいの余白は、今後は「ヒトのため」に使いたいと考えたのです。タンスや棚という箱モノ(モノを収納するための家具)より、椅子やテーブルなどの「ヒトのための家具」がある方が暮らしは楽しくなる。

どうぞ、「ヒトのために」整えて。

 

 

5.まとめ

母の嫁入り道具のフランス人形のことですが、無残にもというか、あっさりさっぱり処分された。(なんの執着もなかったのね・ただあっただけなのね)当時のマンションのゴミ捨て場には、そんなお人形がたくさん。よそのお宅でも同じだったよう。

 

その後の大阪北部地震震源地近くだったため、この時の方が恐怖を覚えた)では、「お茶碗1個」が割れたにとどまる。洗面所にある細長い棚がおじぎをしたように倒れたのは、80代の母でも起こせたくらいで、その日のうちにわが家の大工さん(末弟だけど)により耐震具が装着。低層階であったこと、阪神大震災後のモノ減らしと安全を考えてきたことが被害を少なくしたのではないかと思う。

同じマンションでも高層階では冷蔵庫が走ったり、ピアノが倒れたり。寝室にいて本棚が倒れご近所さんに救出されたとか、家庭用の消火器が倒れて噴射してその片づけの方が大変だったとも後から聴いた。キッチンに居て背後にある食器棚との間に挟まり、骨折した年長者の方も。

 

たとえ「わが家」であっても油断してはいけない。そう考えています。「片づけ」と聞くと苦手意識を持つ方もいるだろうけど、「安全につながる」ならば先延ばしにしている場合じゃないと思えるんじゃないかな。

家の中の安全は自分で考える。

こんな想像もしなかった事態になっているけど、考える、今日も。

 

(ま)

 

 

f:id:kogireido:20210107135445p:plain
まなみ

いつだったか、ゆみちゃんに「整理収納に正解があるとしたら何だと思う?」と訊かれ「ん~、安全かなぁ?」と答えた覚えがあります。「安全、安全」と暑苦しくなかったでしょうか?読んでいただき、ありがとうございました。