日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

片づけの「心・技・体」

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「片づけたい!」って気持ち、心。

「わかりやすく収める」方法、技。

「安全」を大切に体を思いやること・片づけには体力も影響する、体。

「どうして住まいを整えるのか」

ヒトそれぞれなので正解も不正解もないけれど、「クッチャクチャより片づけた方が絶対ええよ」って思う。

「心・技・体」片づけって「武道」みたいなのか!?

では、いってみよう!

 

画像:テーマ「ヒトの数だけ片づけがある」、天使のボタン、「詰め放題」で詰めまくる、居合わせたご婦人が「どうするの?」「ラッピングに使います!」ご婦人も詰めまくる、ほとんど旅立っていった

 

 

 

1.片づけの「心」

 

私達のブログのカテゴリーには「心意気」がある。

「どんな風に暮らしたいか」と考える時、自分自身はもちろん家族のシコウ(思考・嗜好・志向)や生活の仕方、あり方、教育方針、躾といった、簡単にはとても書ききれないたくさんの事柄が思い浮かぶ。「片づけ」に含まれる「インテリア」「整理収納」「掃除」は、おそらくヒトが生きていく上では「補助的」というか「重要なこと」にはなりえない。

 

そもそも日々の忙しさに「どんな風に暮らしたいか」なんて考えないかもしれない。でも暮らしの大部分を占める場所は「住まい」なのだから、そこがある程度整っていないと「何もはじまらない」と思ってしまう。

 

老若男女、家がクッチャクチャで「うれしい!」ってヒトはいないんじゃないかな。小さな子供でもちゃんと見ているし、感じている。

住まいを整えることは「環境整備」としか思えないかもしれないけれど、インテリアの楽しさや季節感・行事は心を和ませる面もある。その心が暮らしの中で自分や家族のパワーになるのだと思うと、やらないよりやった方がいい。

 

大切な場所である「住まいを放棄しないでほしいなぁ」と願うような気持ち。

片づけは「心」が1番にくる!「片づけたい」という気持ちがなくてははじまらないから。そんな風に思っているので、ノウハウよりも「心意気」の方を熱く語ってしまう。(カテゴリー「心意気」が多くなる理由)

 

 

2.片づけの「技」

 

片づけるためのモノを増やしたり、たくさんのモノを収める方法が「技」ではない。もちろんグッズは便利だけれど使いこなせてナンボ。「収納するモノもモノ」だから、どこぞの何とか、几帳面なヒトにしかできない畳み方っていうのも違う。

 

「整理収納」においては、

  • 取り出しやすい
  • 分かりやすい
  • 安全である

この3つが「本当の技」につながる気がする。

 

 

「取り出しやすい」

ギッチギチに詰め込んである所からモノを取り出すと「モノのなだれ」が起きる。

新しいモノが増えた時にも困ってしまう。

取り出しやすさはそんな「量の加減」「使いたい時に、使いたい場所にある」ということ。

 

 

「分かりやすい」

モノの場所を誰か1人だけが知っていてもしょうがない。

「あれはどこ?」訊きまくられてメンドクサイ。「ありそうな場所」が想像できて、そこに行けば訊かずとも探し出せたら大成功だ。この時に「ラベル」などが有効になる。

「分かりやすい」ということは「分類ができている」ということ。さらに「整理整頓もできている」状態ではストック等の「維持管理もしやすい」とお得なこと満載!

 

 

「安全である」

年長者の家庭内における事故で「天袋を片づけていて落下」というのがある。「片づけなくちゃ!」とやってはみるものの、握力の低下やバランス感覚の衰えなど、ご自分ではあまり自覚せずに起こる場合が多い。

重いモノは下、軽いモノは上

これは老若男女「鉄則」にすべきだと思う。

 

 

取り出しやすく・分かりやすくするためのグッズ、同じくラベル(色分けでもいい)、重いモノの出し入れをスムーズにするためのグッズ(キャスターや家具を滑らせるモノ等)これらは「アイテム」だ。

「技」ってアイテムだけを使うことではなくて、そこに住まうヒト達みんながモノの場所を把握できる工夫じゃないかな。

 

 

3.片づけの「体」

 

片づけには「体力」がいる。自分に体力があるかどうかなんて考えないうちはサクサクと進む。それが加齢とともに思いどおりにいかないと、気力もなえてしまう。年長者の住まいがモノであふれたり、手入れが行き届かないのはいたしかたない。

 

食器や服にも「重さ」を感じるようになる。若くて元気な頃には想像もできない。体力の衰えは「住まいの安全」(「技」に登場済み)にも影響する。床に直に置かれたモノがたとえ「紙」でも危険だということをなかなか気づきにくい。滑って転んで、つまずいて。一番安全であるべき「家」が危ない場所になってはいかがなものか。

 

「ご両親やお身内の方を手伝ってあげて」と思う。なかなか難しいけど。

家族だけに言い争いになってしまいがちだが、「ご両親(お身内)がいつまでも元気で快適に暮らせるように願っているから」その気持ちが伝わるといいな。

 

なんだか年長者の話が多くなってしまった。年長者だけじゃないね。若くても具合の悪い時もあれば、片づけなんか放っておかなければならないこともある。

油断してはならない。体力も気力もあるうちに「頑張る片づけ」は済ませておこう。人生折り返し地点、まだまだ「加齢とともにモノを減らす」の途中だけど、「モノを見る目」は若い頃より養われたはず。ためこんだモノを厳選していくいい時期なのかも。どちらも充実している時が、「片づけどき(時)」

 

 

4.まとめ

片づけの「心・技・体」、まとまっただろうか。

「どこぞのモノを使ってこんな風に片づけてま~す!」「わぁ~、キレイ!」はもう終わってしまった世代になった。最近のモノは洗練されているし、興味は持っているけど、どこか遠目に見ています。私も通った道なんだけど。

 

「片づけ」は年代によって変化してきた。

たくさんのモノに囲まれた時もある。家族が多い時は必要なモノも、個人のモノもいっぱいあって「収納するモノ」も増えた。壁は家具で埋まり、「開かずの間」という「モノのための部屋」まであったほど。そういう時期があっての「今」じゃないかな。

 

大きな地震を経験してはじまった「モノ減らし」は、やがて「加齢とともにモノを減らす」と考えるようになった。まだまだ「途中」だけど。

「片づけ」はエンドレスで、変化していくものだと考えている。「心・技・体」は変わらない「ベース」というか、やはり「心意気」かな。

 

(ま)

 

 

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まなみ

「片づけは心意気」だと思っています。読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

kogireido.hatenablog.com