日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

「備える」を想う

f:id:kogireido:20220311100211j:plain「もしも」に備えている。

どんな「もしも」だろう。

こんなご時世に「もしも」は果てしなくあるんじゃないかと思う。

そして「これで完璧!」となることも決してないとどこかで。

少しの間、踏ん張れるように。

少しでも、慌てずに済むように。

「日々、整える」「備える」も込み。

では、いってみよう!

 

画像:「私のミニチュアコレクション」テーマ・街、背景模様の箱はマッチ箱くらい

 

 

1.「備えるモノ」のこと

 

モノは、もちろん大切。

「飲料水は1日、1人、3リットル」ってもう常識ではないかな。

情報は多く、防災意識は年々高まっていると感じられる。

「お店がわが家のバックヤード」というストックを持たない派の声には、「平常時」で「健康」で「買物事情がいい」という状況でしかありえないと以前から思ってきた。

 

どこで起きるか分からない災害。

多くの「備え」はこの「災害」に対してだと思う。

私もライフラインや物流が不安定になった状態での在宅避難」を考えて、困りそうなモノを使いながら少し多めに持つという「ローリングストック」をしている。

 

この「少し多めに」の上限が、ずっと分からないでいる。

「いつもいつも、たくさんある」という状態には「使い切れないんじゃないか」「古いモノばかりにならないか」違う方向の心配をしてしまう。

パンデミックなんて世の中になったことで、「ストック考」はますます悩ましい。

とりあえず、保管場所を分けて視覚的に「ドッサリある」という状態にはならないようにした。

 

「わが家の備えるモノ」は自分で考えなければならない。

「一般的に皆さん必要でしょう」な情報は得られる。そこは参考にしまくる。

さらに個人的に必要なモノもある。これは自分のモノはもちろん、家族近しいヒトのモノも考えたいところ。

 

 

2.「備えるイエ」のこと

 

最近、80代の母が家の中で転んだ。

ラグマットのわずかな段差。大したことはなかったが、本人の驚きは隠せなかった。

「ついに家の中で転んだ」そんな風だった。

 

この転倒の数日前のこと。

病院で母の友人(やはり80代)のお子さん達にバッタリ。

家の中で転んで、入院されるということだった。

他人事ではないと、早くも実感させられた。

 

「もう、どこをどうしたらいいんだろう?」と考えている。

思いつく改修や、家具の配置モノ減らし「安全」を考えて整えてきたつもりである。「つもり」なのは「完璧」とは言い切れないと、どこかで思っていたからかもしれない。段とも言い難いラグマットさえ、「危険」なこともあるのだから。

 

「イエ」「備えるモノ」しまう場所でもある。

モノの整理をする時に「捨てられない、なんだか分からないモノ」ばかりがあるより、「なんぞの時に必要なモノ」がある方がよっぽどいいと考えると整理をする手は進んだ。整理(処分)しそびれたいろんなモノが入っていた場所、今は見事に日用品や衛生用品ばかり。「なんぞの時に必要なモノ」は平常時にはなんでもないモノなのかも。

「備えるモノばかり」になるのもいただけない。

「備えるモノにすぐにたどりつけるイエ」でありますように。

 

 

3.「備えるは他にもある」

 

先の母の友人の入院話に、ますます「入院セット」の必要性を考えている。

私自身が病院に行ったところ、「即入院」という経験がある。

「着の身着のまま」で、「もう歩かないで」と車椅子に乗せられた。

「えっ、えっ、荷物取ってきます」と今思えばトンチンカンなことを言った。

もちろん取りには行かせてもらえず。

看護師さんが病院の寝間着を持ってきてくれたが、コットンのチュニックにのびきったレギンスを履いている(あまりのつらさに寝間着のような格好で病院へ行った)私を見て「それでいいか」と持ち帰ってしまった。

この経験から、引き出し一つに「入院時に必要そうなモノ」をまとめてある。それらを入れるかばんも。家族に広報活動もしている。そしていつかはかばんにまとめて、分かりやすい場所に置く予定。

 

深夜に過呼吸と低体温を起こし、救急車で運ばれたことがある。

なんとか母の部屋に助けを求め、バタン。

慌てる母、すぐに駆けつけた末弟と母の会話、救急車の車内、意識はあるものの全身に力が入らず呼吸がおかしい。体温はドンドン下がる。

病院が決まるまで結構な時間を要し、救急車で着いた時には歩けるくらいになっていた。

後になって「過呼吸で救急車を呼んではいけない」と何かで読んだ。

「初めての場合は本人も周囲も驚くからしょうがない」ともあり「しょうがないね、すいません」と思った。

 

これはその後、何度か起こった。(私の場合、1時間くらいでおさまる)

2回目に起こった時、自宅で近居な末弟もたまたま居て「何かかけた方がいいんじゃない?」「そうそう」心の声が届いたか毛布がかけられる。

「この折れ曲がった体勢はしんどいんじゃない?」「そうそう」心の声が再び届き、楽な姿勢にしてくれる。

私の場合、全身が硬直するというか動かせないので(目も開けられない・声も出ない)「時々向きを変えたり、手足を伸ばしてほしい」と平常時に家族に伝えておいた。末弟には「あんた、大正解!」と。

母は「大丈夫!死なない!」と励ますので「それも結構安心できる」と言ったら、その後も母は張り切って励ましてくれた。

最初はあわてふためいた家族も「ハイ、ハイ、またね~」と慣れたものになっていった。

 

若く繊細なヒトに起きやすいそうなのに、私は「おばちゃん」になっての発症。

「性質」からくるものだそうだから「治る」ということはないのかもしれないけれど、「ならない」という状態が少しずつ長くなり、もう前回は思い出せないくらい。

克服できたかな。

この時から、母の隣室で寝るようになった。

普通は「高齢の母を心配して」だろうが、わが家の場合「娘が固まるから」らしい。

互いに狭い家の端と端で休むより安心感がある。これも「備える」だと思っている。

私の「病歴」みたいになってしまった。

 

 

4.まとめ

 

「私の病歴」が長くなってしまいました。

「備える」は時として「わが家の突発的出来事」もあるなぁと思って。

必要以上に心配することも、過剰に備えることもどうかと思うが、「自分だけは大丈夫」(ナントカって言うのよね、正常性バイアス?)という考えには気をつけたい。

「備える」を普段にも家族や近しいヒトと話したり、訓練したり。そんな「モノ」ではないことも大切に違いない。

想像を超えてくる出来事が多い昨今、負けずに、めげずに、「備える」を考えて整えていきたい。

 

(ま)

 

 

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まなみ

同じ日の同じ時間帯に同じテーマで二人とも「備えについて」を書いていました。読んでいただき、ありがとうございました。

 

ライフラインや物流が不安定になった状態での在宅避難」と考える理由

kogireido.hatenablog.com

 

備える「イエ」

kogireido.hatenablog.com

 

備える「片づけ」

kogireido.hatenablog.com