あまり使われていない部屋があります。
私の部屋なんだけど、違う部屋で寝るようになってから活用されておらず。
ここのところご無沙汰だった近居の姪がまた出没するようになりました。
「勉強しに行っていい?」「ダンスの練習に行っていい?」など。
私の部屋、活用したいと頑張りました。
1.私の想定した「私の部屋の用途」
もちろん、私が使う部屋です。
私物があり、休み、作業するなどが主な用途。
父が亡くなった後の改修で、隣室をくっつけたので広くなりました。
それは単に「広くしたい」ということだけではなく、高齢になった母が一人で就寝することに不安が出てきたら一緒に休める部屋があった方がよいのではないかと考えたのです。
幸いなことに、まだ「私の部屋」として使えています。
2.私の想定外の「私の部屋の用途」その1
隣室の主であった上弟が帰省してきます。
1人で帰ってきたのが、2人になり、3人に、4人となりました。
広々した私の部屋を明け渡す方が、滞在中スムーズではないかと私が別室に移動。
年に数日のこと(昨年からはありません…泣)です。
「実家」でもあるわが家にとって、「私の部屋」は「上弟一家が泊まる部屋」にもなるのです。
3.私の想定外の「私の部屋の用途」その2
序文の姪の申し出です。
「自習室」「ダンスレッスン場」になるとは思いにもよらず。
同じマンションの4階と2階で、末弟一家とは近居。
広々とした私の部屋があまり活用されていないことも分かっているし、派手な壁紙が「映えるから」ということらしい。
趣味のモノ(手芸作品)が増えていっていました。材料も仕上がったモノも。
活用されない部屋は油断をすると「モノの部屋」に陥りがち。
経験済みなはずなのに、初期段階では「まだまだ大丈夫」と思ってしまう。
ここのところ、持ち込んだモノでいささか乱雑気味になっていることを「放置」しそうでした。
「よみがえらせましょうかね~」
80代の母と共に久しぶりの「片付け祭り」の開催です。(体力、ついてくるか!?)
4.80代と50代の片づけ
結論から言ってしまおう!
しんどい。疲れる。
少し頑張って片づける場合、1部屋だけで完結しない。
他の部屋や収納空間も関連して、あちこち「ひっくり返す」という事態に。
80代の母は座ったまま、「口だけ」
「口だけ」でもいいのです、処分の決定、考えることはできるから。
50代は動きましょう、モノを出して、出した場所をキレイにして、必要なモノを収め直す。
「口だけ」の人も手元で分別はしてくれる。
気がつけば、かなりの時間、作業をしていて処分するモノが「小さい山」になっていました。
5.片づけた後に
「勉強したり、リモートしたり、あの子達(末弟家族のこと)も使えたらいいわよね」
息子一家のためでしょうかねぇ。処分を先送りしていたモノを、今回母は多く手放しました。
「趣味があるとモノが増える」よく言われます。
モノを減らすために趣味を我慢したり、やめたりする必要はないと思っています。
多過ぎるのはいただけませんが、「許容範囲」を定めて持つ。
家(部屋)はモノのためでなくヒトのための空間であるべき。
「そこに住まうヒトにとって」と考えてもいたけれど、「そこに住んでいたヒト」にもだなぁと気づき。
片づいた部屋を撮って、「3年間お貸しします」と姪にライン。
私にできる「応援」でしょうか。
にしても、「もうあまり片づけるとこないねぇ~」と話していたのに。
いやいや、どうして。まだまだ、ある。
「50代で片づけの目途をつける」
私の目標なんだけど、不安になっているところです。
6.終わりに
下書きでは5で終わっていたのですが、奥深い話を母としたのでそのことを。
「今日の私が一番若くて元気」
加齢してくると、こういう言葉に激しく共感します。
母娘の片づけにおいて「あるある」だと思うのですが、娘に促されて処分したものの後から恨み言まではいかなくても「捨てさされた…」というような母の発言。
わが家もありました。
娘の方は「カチン!」ときますよね。作業は一気に受け持つのですから。
そこを抑えられる時とそうでない時があって。
「じゃあ、拾えば!」「元に戻すわ!」言いながらも、他に言いようがあるだろうにと心の声が自分をなだめようとします。
このやりとりの後、少し時間をおいて母に言いました。
「私ももう、ゴミ捨て場の往復はしんどい。近くに弟や甥姪がいるからといって、手を煩わせたくないと思っている。できるうちに片づけの目途はつけておきたい。これからの処分の先送りは負担が大きくなる一方だと覚えていてほしい。」
一見、モノが少なめで片づいているように見える。
しかし、「詰まっている」
「掘り起こして処分する」段階なのかな。特に「紙モノ」
漫画・有閑倶楽部(ご存じ?)もついに手放し、書類のシュレッダーも延々と。
「まだこんなにあったのか…」とこの連休、ゴミ捨て場を何往復もしている。
片づけは「捨てる」までだな。
最後に「体力」がいることを肝に銘じて、「50代で片づけの目途をつける」
実現できますように。
(ま)
わが家の改修話