「掃除」ってどこまでしたらいいのだろう?
近しい人に訊いてみることがあるのだけれど、言い切ってくれたり、熱く語ってくれたりすることは少ない、ほぼない。(ゆみちゃんは熱いけど)
「ていねい掃除」と「ちょこっと掃除」に分けるという自分なりの方法を導き出してからは、迷いも少なくなってきた。
でもっ、ほこりって横面にも積もるのよね!
洗面台、洗面所のみの「集中掃除」はじめました。
「冷やし中華、はじめました」風で。
そんな街の光景に戻れる日はくるのだろうか。
なんとも「もやもや、もやもや」し続けている日々。
世界のスポーツの祭典より、私は甥や姪の運動会が観たかった。
部活の発表会も観たかった。
甥や姪の卒業式も入学式も、修学旅行も、みんなみんな中止もしくは簡略化だ。
遠い国の知らない人を迎えるより、少し離れたところに住む家族を迎えたい。
みんな一番近くの人との関りも我慢したり、控えたりと「今」いっぱい我慢しているのに、パンデミックの世界で「今なのか?」と思うことがあまりにも多い。
強引な一部の人のシコウで推し進められているかのように感じるのは私だけだろうか。またそういった人達の発言や行動に本当に「もやもや」して「先進国でも、民主主義でもなかったのかなぁ」とすら考える。
どうしたもんじゃろのう~。
…あまりにも脱線。「もやもや」したら「掃除」です。
洗面所で歯を磨いていて、ふと細長い収納棚の背面(横から見える隙間)に目がいきました。ふわふわとほこりのようなものが付着。
「そうやった!ほこりは横面にも積もるんやった!」心の声
床の汚れは目に入りやすいけれど、上の方や横面は見過ごしがち。
掃除機を抱えて椅子に乗り、収納棚の上、洗面台の上部のほこりを吸い込みました。
この一連の動作、もう少ししたら「危険行為」になる。
収納棚を動かして棚全体に掃除機をかけたいところだが、大阪北部地震(3年経ちました)の際、わが家ではこの棚だけが倒れ(といっても洗面所は狭いので向かいの壁におじぎするように傾いた)その日のうちに近居な末弟により転倒防止具を調達、設置された。そのため簡単に動かせなくなってしまい、五十肩に鞭打って「できるだけ掃除」となってしまった。
浴室が隣接しているせいか、「ほこりをはらう」が簡単に済まない。水拭きすると、消しゴムのかすのようなほこりが付着。結構、ゴシゴシ拭かなければならない。通院する病院で医師に「運動してる?」と訊かれ「う~ん、掃除くらい」と答えたところ「掃除は運動ではない」という顔をされたけれど、全身運動で有酸素運動じゃないのかと思っている。「ほら、ここまできたら運動やで」先生に見せたいくらいの大真面目掃除。
洗面台の照明カバーや小物入れ等のパーツも外して水洗い。
今のような時期、「水仕事、へっちゃらやで、かかってこいやわ!」だ。そして前回かの掃除からあまり時間が経っていないせいか、洗剤いらずでキレイになる。ベランダに小さめのレジャーシートを敷いて、天日干し。からっとさせるのはお日さま任せ。
2畳足らずの空間を「集中掃除」ついでに「整理整頓」もする。
上から下へとすべて終わる頃には「今日はもう使い物にならへんわ」だ。50代、一気にやろうとせず「ちょびちょび」(=ちょっとずつ)いこう!
洗面台のボウルや水栓周りという洗面台の一部、洗面所の床はこまめに掃除をしても、「時々」になっている場所がある。「一見キレイだけれど…」とこの「…」が悩みどころで、序文の”「掃除」ってどこまでしたらいいのだろう?”に行き着く。
これは「掃除のもやもや」かな。吹き飛ばすべく、「集中掃除」を加えてみることにします。そのタイミングは「もやもやする時」で。スッキリ晴れることはないけれど、集中する時間、達成感、気分転換には間違いなくなっている。
(ま)