「”片づけ”に理想がある?」あると思うんです。
「こんな風な部屋にしたい」
「家族みんながモノの場所を分かっていてほしい」
何より「モノの定位置を決めたい」などなど。
その「理想」にどうしたら近づけるのか、「現実」を把握しているか。
そんなことを書いてみます!
「その1・整理をして、収納をする(分類・仕組み・ルール作り)」があって、それを維持管理していくためには?その2は「日々の小さな「リセット」(元に戻す)」
モノのリセット、どうしていますか?
1.整理をして、収納をする(分類・仕組み・ルール作り)
2.日々の小さな「リセット」(元に戻す)
3.季節の入れ替え(モノの交替)
4.手入れ、交換(メンテ的なこと)
今回は「片づけ」の中で、大した動きではないけれど頻度が高い「リセット(元に戻す)」ついて書いてみたいと思います。
日々の小さな「リセット」(元に戻す)
1.【理想】いつも片づいた状態でありたい
【現実】かなり、むずい、難しい。「いつも」はあきらめてしまいました。
その代わりとして「寝る前・出かける前」にリセットする。それは「起きた時、帰宅した時にクチャクチャは嫌だ」という私の性分によるところが大きい。一緒に暮らす人は「起きたら、帰ってきたら片づけたらいいやん」タイプ。合わせてもらおうとは考えない。自分にストレスがかからない方で私がすればいいとやっていたら、つられるのね、タイプの違う人も今は私と同じタイミングでリセットしている。
何かをした後、例えば「キッチンで料理」「ダイニングテーブルでブログを書く」等の1つの作業を終えたらリセット。キッチンはリセットに「掃除」もプラスされる。夕食後のリセットが一番丁寧。
甥姪達が幼い頃、塗り絵をやめてお店屋さんごっこをするなら塗り絵を片づけてからと「おばルール」がわが家では適用されていた。「その都度」は「いつも」に近づける。
暮らしているのだから「散らかるからダメ」というのは楽しくない。本末転倒な気がする。作業中、一定の時間、「散らかり放題」もいいんじゃないか。ただし、「終わったら」「一日の終わりには」けじめ(?)をつけるようなリセットをする。
「いつも」が難しいなら「だいたい」「ほぼ」でもいいと思っている。
2.【理想】誰か1人ではなく、気がついた人がする
【現実】どこのお宅にも私やゆみちゃんのような「片づけヘンタイ」がいるとは限らない。率先してやってしまう人に「任せる」というのもいかがなものか。私達だって具合が悪い時もあれば、機嫌が悪い時もある。(後者はかなり怖いぞ)
「出した人が元に戻す」これはもう、当然のことです。でもそれ以外のモノのリセットの多いこと。食器で言えば、使う、洗う、乾かすだろうか。手洗い、自然乾燥、布巾で拭く、食洗器と洗い方も乾かし方もさまざま。その後の片づけのゴールである「しまう」まで、誰か1人がしなければならないのか?「出した人が元に戻す」ルール、当然じゃないこともある。
家があって、そこに住まうヒト達はチーム。ならば、誰かと特定せずに「気がついた人が」というのがなんともいい。そして「ありがとう」と言い合ったりすることも。ある日、甥っ子が洗面台を使った後、すぐ近くに置いてあるアクリルたわしで拭いていました。
「おっ、えらいなぁ!」片づけ魔なおば・私
「まぁちゃん(私のこと)が大変だからね~」
「ありがとう。まぁちゃんも助かるけど、次に使う人も気持ちいいね!」
そう言いながら「リセットは次の人への思いやり」なんじゃないかと気づかされました。
3.【おわりに】「片づけ」の理想と現実*その2
「片づけ」の理想と現実*その2日々の小さな「リセット」(元に戻す)でした。
出したモノを元に戻さなければどうなるのか。モノがあふれ、探し物も増え、イライラする。そしてモノにより狭められた空間で、動きづらくなったり危険な状態になったり。探し物をする時間、見つからないことで再購入するお金ももったいない。何よりイライラした状態では安まらないし、諍いになりかねない。このことに慣れてしまう、気づかないでいるのは残念で仕方がない。「気づいて~」と思って書いているのかもしれません。
「片づけ」の中で「リセット」は動きとしては小さいかもしれない。小さいからこそ、誰にでもしやすければ頻度が高くてもできるのではないかと思う。最初は「めんどくさい~」と感じるかもしれない。でも「頻度の高さ」が実は「習慣」に結びつきやすい。「まとめて片づけよう」は疲れるし、習慣にはならない。リセットの積み重ねは片づけだけでなく、掃除も楽になるはず。
「日々の小さなリセット」私の、わが家の、習慣になりました。
(ま)
読んでいただき、ありがとうございます。まだ、つづく…