もう「いっぱい」頑張れない。
「根性なし」と言われてしまえばそれまでだが、気力・体力・記憶力が「右肩上がり」とはいきませぬ。
そんなことを自覚する50代。
悩んだり、落ち込んだりすることはないと自分を励ます。
「人生100年時代」なら、折り返したところなんだから。
少しでも「健康寿命」を、「自分で身の周りのことができる時間」を延長したい。
そのために「ちょこっと」を積み重ねる!そんな話。
では、いってみよう!
画像:ちょこっと掃除グッズ、「赤」多め
●目次●
1.「ちょこっと」が口癖
いつからか「ちょこっと」と言いがち。
「ちょこっと掃除」が顕著で、家事の中の「掃除」を重労働と考えているのだろうな。今日頑張ったところで、明日も、明後日もと続く。さぼった場所は、さぼったなりの結果(汚れ)が待っている。「片づけはエンドレス」だとわかってはいるが、中でも「掃除はちょっとめんどくさい」と思っているのだろう。(自分を客観視)
掃除はまとめてするより、チマチマとやる方がいい。
「鉄は熱いうちに打て」だ!(使い方、合っているのか?)「汚れ」はその瞬間か、素早く撃退した方が落ちやすい。場所別や強力な汚れに立ち向かうための洗剤も不要。
また「よっこいしょ」とたまにするより、5分でも毎日繰り返していれば「習慣化」しやすい。毎度毎度「よっこいしょ」は気が重いが、後者はそのうち鼻歌まじりでするようになる。掃除に腰が引けている私ですらそうなのだから、「習慣化法則」あると思う。
「ちょこっと掃除」「ちょこっと整理」「ちょこっと整頓」
「ちょこっと」かなり言っている。明らかに不要なモノはさっさと整理することも「習慣化」した。「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマなので、50代になった今はちょっと踏み込んだ整理になりつつあり「ちょこっと」しか進まない。でも今の気力・体力に合っているような気がする。片づけの祭や大会をするパワーは残っていないから。ちょこっとだけ、頑張る。
2.「リセット」は「よ~い、ドン!」
番組名ではない。(関西ローカルなんだけど)
「ちょこっと」で済ませるためには「リセット」が必要。「元にもどす」ということ。ただモノを「元の場所に置く」という場合もあれば、洗ったり乾かしたり畳んだりなど「手をかけて、元の場所に置く」こともある。どんな「元にもどす」も「よ~い、ドン!の態勢」にして「片づけた」だ。
「洗った洗濯物を畳んだがソファーの上に置き去り」というのも、食事をするために食卓の上の関係ないモノを一時的にどこかへ動かすのも、片づけちゃいない。洗濯物は「まだ途中」だし、食事が終わったらまたどかしたモノを持ってくるのは「片づける気があるのか?」って話。
「忙しいから」「子供がいるから」「家族が片づけないから」イイワケをいっぱい聞いてきた。「じゃあ、片づいているおうちのヒトは暇なのか?子供がいても、同じような家族構成でもスッキリした住まいに暮らすヒトはおるで!」何度、飲み込んできただろう心の声。職場においても言える。机周りがいつもクッチャクチャなヒトに、仕事は流れないから。(個人の意見)
何かをどかしたり、探したりしている間に「よ~い、ドン!」出遅れるよ。
3.「ちょこっと」で済ませるために
前章、ちょっと白熱しそうだった。「片づけられない」というヒトもいらっしゃるからね。その分野の専門家ではないので語るに及ばずだが、脳の仕組み、精神的に疲弊している場合など特定の誰かというより、誰しもそういうことになる可能性は持っていると思う。みんなに「片づけなんか放ってでもしなあかん」ってことも起こりうる。
そんなこんなを考えると、「できるうちにしておこう」と思う。明らかに要らないモノは迷わず処分する。これは「ゴミルール」(収集・分別)にのっかるだけでいい。「明日は古紙や古布なので、何かない~?」と家族に促すのも刺々しさがない。自然と本や衣類の整理につながる。収集日とともに「整理」(処分)もルーティンだ。イイワケワードの「家族がうんぬん」からの脱却よ。やいのやいの言わずに「習慣化」されたらこっちのものだ。自分自身はもちろん、一緒に住まうヒト(多くは家族かな)の「意識づけ」にもなる。
簡単に言うと(言えるのか?)、「仕組みと意識の習慣化」かな。がんばったり、まとめたりせず、無理なく片づける。そして、その頻度は「ちょこっと」としたい。
私達は「片づけシスターズ」なので、日々、何を整えようかと考えているだけでなく書いてもいる。(ブログタイトル)
もう片づけることに振り回されることなく、「習慣」となってもいいお年頃ではないか。負担を減らしながら、「ちょこっと」の作業や時間で整えられるような「将来の仕組み」を模索しているのかもと書いていて気づかされた。
4.まとめ
ごはん(食事)も「ちょこっと」でよくなってきました。のわりには、体重に変化は見られない。(残念すぎる)
「片づけ」は決して「厄介ごと」ではないと思う。自分が好きだと思うモノ、思い入れのあるモノ、使い勝手のいいモノを「使う、手入れする、しまう」という流れは「楽しい」と感じられるんじゃないかな。すべてのモノに「好き」とかって感情はないかもしれないけど。
「必要なモノをどう扱うか」ということ、そろそろちゃんとできたらいいな。
そして長く自分でできるように「ちょこっと」の量、手入れ、時間にしたい。
(ま)
「ちょこっと」でまいりましょう。読んでいただき、ありがとうございました。