ちょっと大そうに聞こえるタイトル。
いえね、80代の母が申しましたの。
「7月は”捨てる決心”をするわ!」と。
その「宣言」をちゃっかり頂戴いたしました。
では、いってみよう!
画像:いつかのとある素敵な場所、本文とは無関係
●目次●
1.「整理」のうちの「処分」の中の「捨てる」
「整理」は「分けること」
「要・不要」はもちろん、「種類」や「用途」などに「分類」すること。そして「不要」「今後は持たない」と「処分(手放す)」を決めたのに、さらなる「分ける」が待っている。「処分(手放す)」としたのに、まだ分けるのだから「ご苦労さん」なことだ。決して簡単ではないことに気づく。
「処分」もいろいろ。「もらっていただく」「寄付」「売る」「リサイクル」「リメイク」「捨てる」だろうか。よく「あげる」という言葉を見聞きするが、どうも「上から」な感じがして「もらっていただく」だと思っている。自分が使い切れない・不要になった・必要だと見誤ったモノを、どなたかが使い続けてくれて、「処分」も担ってくれるのだとしたら「感謝」しかないだろう。
私もいろんな「処分」をしてきた。
「もらっていただく」は「もらったモノだから」と相手が負担にならないように「いらないと思ったら遠慮なく処分してください」と言い添える。ここのところ、もうあまりそういうことはない。なかなかヒトと会えないこと、処分を決めたのに置いておく時間が延長されることが理由かな。
若かりし日のワンピースは形を変えて(リメイク)、ごきげんで今も着ている。5人から2人になった暮らしには多すぎる食器は、「寄付型のリサイクルショップ」に引き取ってもらった。自分で「モノのバトンタッチをする相手」を探すこともなく、私にはストレスフリー。自ら探して「売る」をするには手間暇がかかり、「めんどくさい」と感じる。貴金属、ブランドモノ、本などは「リサイクルショップへ売る」もした。「捨てる以外の処分」これまでにし尽くした。
もう「捨てる」を選ぶことが多い。私のモノは、私が始末しようと思う。
どんなモノも最後は「捨てる」が待っている。
使い切って、傷んで、似合わなくなって、必要がなくなって、理由はいろいろだろうが「満足感のある捨てる」をしたい50代。
2.8050母娘の「7月は捨てよう!」
序文にあるように、母が「7月は”捨てる決心”をしよう!」とつぶやいた。背景話としては、私が図書館で借りてきたエッセイを読んだこと。母より年長の方、母と私の間くらい(60代後半)の方の暮らし本。どちらも借りてきた私より先に読み進めていた。
「今回はおもしろいのを借りてきたねぇ」と母は言うが、本来親子でも本の共有はいかがかと思っている。今興味があることを知られるような感じと、「他人様の本棚を覗いてはいけない」と考えているからだ。「本」はそのヒトの「シコウ」(思考・志向・嗜好)がうかがえる。
まぁ、「他人様ではなく母」だ。思春期でもない(それどころか更年期)「子」だ。図書館へ出向くことも億劫になり、本にふれる機会が減ったけど「読みたい」が現役な母にとっては私が持ち込むモノの中から選び取るしかない。そう考えたら、「本の共有」も「まぁ、いいか」と思えるようになり、母の好きそうなモノも借りている。
私が選ぶ本は、ここのところ暮らしにまつわるエッセイが多い。加齢による理由(遠回しに言ったところで、老眼)により、細かな字は読みづらい。小説はとんと、ご無沙汰。エッセイ本はゆとりある行間で、少し大きめの文字がうれしい。
「片づけ」についてはノウハウ本はいらん。(他に表現方法がないのか)
「このグッズを使って、こんな風に収納してます!」はノーサンキュー。(またもや他に表現方法はないのか)
それより「心意気」だったり、そのヒトらしい暮らしぶりがうかがえたりする方が読んでいて楽しい。こちらも「やる気」をおすそ分けしていただけるような気分。
母もそう感じ取ったのだろう。「もうちょっと、減らそうか。捨てようか。」と片づけのお誘い。「服はお互い着てみて、腐し合おう!」とな。受けて立つぞ!
*腐し合う:「本人の思い入れとは別に客観的な意見を言い合う」ということです
3.涼しい環境で、頭を使う「整理(処分)」
熱中症には気をつけて。わが家ももれなく。冷房効率をあげるため、今の時期は「こじんまり」と集まって暮らす。(2人しかいないけど)
涼しい部屋に居ながらも、家事をしているだけで暑くなる。必要以上に頑張る時期ではないなと思いつつ、「おひさま」を駆使して「水仕事」は6月より継続中。
もう「祭」や「大会」をするような「片づけ」はできない。「加齢とともにモノを減らす」をしてきたことで、「処分」は減ってきた。最近は「ちょっと踏み込んだ」「気持ちのよっこいしょが必要」そんな「処分」になりつつある。
「頭」とタイトルに書いたが「気力」かな。「心」かな。
整理(分類)して「持ちたい」といつか決めたモノ達を前に、「今、今後も持ち続けたいか」向き合う。ちょっと前回とは違う判断をするかもしれない。
4.まとめ
「捨てる決心」を7月はしてみようと思います。同時に「持ち続ける決心」もあるかな。「判断の先送り」はしないように気をつけて。
親子間の「片づけ問題」悩ましいところです。わが家も長きに渡るバトル、モリモリでした。いつしか、私の話に耳を傾け、任せてくれるように。
「片づけ」はうつる。「伝染する」ということ。この「伝染」は片づけ過程において、「すぐ」とはいかないけれど「じんわり」と後戻りすることはないと思います。娘の言葉ははじめは届かずとも、他の誰かの言葉や様子から聞き入れてくれる日もやがて来る。本や動画、テレビ番組なんでもいい。意図したわけではないけれど、私が読む本や観ているモノにより変貌を遂げた例がここにあり。(母だけど)
腐し合いながら、「7月は決心」(捨てる)を頑張りたい。
(ま)
ややこしいお天気です。読んでいただき、ありがとうございました。