ほんとは「本日」でもない。
ちょっと前のことだし、ずっとしてきた「継続整え」とも言える。
アクセサリーは小さくて、キラキラしていて、思い出もたっぷりあって、整理しづらいんだよなぁ。
でもね、やってみましたの。
それまでのこと、色々書くよぉ~~~!
では、いってみよう!
画像:アクセサリーを収納するモノ、一生モノではなかった
「一生モノ」にはならなかった
「一生モノは一生経ってみなわからんで」と思っている。
トップ画像のアクセサリーケース、「一生モノになるのでは?」と想っていた。
細長い方は本来時計用なんだけど(ちゃんとクッションみたいなのもある)、大き目のブローチやイヤリングを収納。
赤い革で、金色の金具、中は布貼り、細かなケースもある仕様。お店で出会った時、「素敵☆」と直感。両方を迎え入れたのだ。あれは、もう遠い日のこと。
あぁ、よく見ると傷んでいる。外も中も。
使い切ったな。お役目、ご苦労様だ。ケースの処分(捨て)を決意。(大そうな)
やはり、「一生モノ」は人生の途中では決められやしない。
「いつか」「誰か」の迷い
モノを整理する時、「いつか」「誰か」と言ってしまう。
「もう使わないかも」いや「きっと使わない」と思ったところで、踏ん切りがなかなかつかない。
こんなに小うるさくモノを片づけることを書いておきながら、私もまた同じ。
まだまだ修行中。
「整理するぞ!」って決意に満ち溢れた(?)時があった。
近所に住む姪はこの「赤い箱2つ」を幼い頃から知っていて、「キレイだね~、かわいいねぇ~」とおもちゃのように遊んでいた。
その頃より成長した姪に、「整理しようと思うんだ~」と言ったところ「え~、置いといて~」の反応。「誰か」は自ら登場。
「大きくなったらいるかも~」とも。「いつか」も見えてきた。
さらに成長した姪は、言ったことを覚えているのかどうか。
思い出させようとまたお伺いを立てたところ、ディオールのモノを全部持って行った。
「昭和のん、かわいすぎる~~~♪」だって。
「昭和?私は平成元年入社だから、昭和のモノかぁ」とつまらないことに納得。
姪の話にまでいたった。
ねぇ、アクセサリーだけでも時間をかけて整理してきたことが分かっていただけるだろう。
「もういいかな?」やっと思えた私は55歳。(なんで、年齢?)
「捨てる」と決めたのに「拾ってしまう」
覚えはないだろうか?
自分でする場合もあれば、家族間で誰かが捨てようとするモノを他の誰かが拾っていくということもあるかと。
私の場合、「自分はない」と思っていた。
それが、往生際の悪いことといったらない。
袋にまとめたモノを、別の場所で寝かせ(?)ていたのだ。
新たに「アクセサリーを収納するモノ」を前に、それをひっぱり出してきた。
そう、私は今回「迅速な整理」ができていなかった。
2023年のアクセサリー収納
アクセサリーケースの「新しさん」(新しいモノの意)は、以前ゆみちゃんが私の誕生日に作ってくれたカルトナージュのボックス・大きい方だ。
こちらに「最近使い」のアクセサリーが入っていて、そこに一緒にまとめることにした。
「収納量=所有限度量」
つまりはこのボックスに入るだけは持ってもいい、と考える。
整理したての頃はボックスに一杯かもしれないが、そのうちまた整理が進むことも他のモノで経験済み。
ボックスにおしくらまんじゅう(=ぎゅうぎゅう詰め)でも今はかまわない。
かくして現状、「ゆみちゃんボックス」にマックス収納。
1つにまとまったのは良し、後は「いつか」「誰か」を気にせず「継続整え」あるのみ。
整え後記
アクセサリー、そんな大したモノはございません。
誰かからのプレゼントだったり、お気に入りだったりと「思い入れあるモノ」だということ。
パールやリボンが昔から好きなようで、イヤリングはそういうモノばかり。
「使おう!!!」
十年一昔なら、ゆうに三昔くらい前のモノもあるけれど。
今回の整理は「重さ」が決め手になった。「耳がちぎれるか!」ってほどの大ぶりなモノは無理。
「加齢と共にモノを減らす」がマイ目標だが、「身体にかかる負荷」もまた同じだと気づく。
重いコートや、革製のかばんが「しんどい」と感じる。アクセサリーにも言えた。
リボンやパールのイヤリングをして、ワンピースを着たおばさんがいたら、それは私。
あぁ、整えはエンドレス。
(ま)
涼しくなったせいか、書きたいモード!?そろそろ、秋掃除かな~