日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

50代のおうち箋「そぎ落とす」

f:id:kogireido:20220317083159j:plain前髪は「とさか」で、

耳がちぎれそうなほど大きなイヤリング、

怖いほどに真っ赤な口紅。

あの頃、私は何に挑んでいたのだろう。

年齢を重ねるに連れ、そぎ落としてきたように思う。

自分自身も、家の中も。

そんなこんな話。

では、いってみよう!

 

画像:もうしないと思われるキラキラモノ、姪に「置いといて」と言われて保管中。襟元とか靴につけようかな。

 

 

 

1.50代はマキシマリスト!?

 

マキシマリスト、ミニマリストとは対照的。

好きなモノや大切だと感じるモノがたくさんあることに、満足感を覚えるタイプ。

今の50代は青春時代が「バブル期」

年齢にはそぐわないブランドモノを持ち、「よく遊んだ~」と懐かしむヒトが多いのではないかと思う。

そんな形のない「気持ち」だけでなく、残骸(?)である「モノ」が残ってやしないだろうか。まだ自分の家にあるならいい。

実家に放置、これは絶対「アカンやつ」

 

 

2.どうして、あんなにモノを持っていたのだろう?

 

「欲しかったから」だろうな。

「物欲」にほかならない。

見るモノ、見るモノ、「みんな欲しい」くらいの凄まじい物欲。

50代の今だから、当時を冷静に分析できる。

 

「欲しいの沸点」が低すぎた。

「流行っている」「かわいい」「セール」いろんな理由をつけて、安易に買う。

結果として「モノまみれ」になっているのに、気づいちゃいない。

 

幸か不幸か、私は「整理収納が得意」だった。(そう思っていた)

ドンドン欲しいモノを買って、

ドンドン整理(分類のみで処分がない)をして、

ドンドン収納するモノ(収納するモノもモノやで)も買って、

ドンドンキュキュキュッと収納していった。

そりゃ、立派なマキシマリストになるわさ。

 

 

3.目を覚ませ!>私

 

「モノまみれ」だと気づいたきっかけは、やはり阪神淡路大震災

 

kogireido.hatenablog.com

 

詳しくはこちらで ↑↑↑

 

「赤いハイヒール」に頭を小突かれたわけです。

「履きもしないのに!」と言われたかのようでした。

モノまみれの自称・収納名人、覚醒の時。

 

 

4.わが家を省みる

 

「わが家を客観視してみよう」と試みる。

自室は片づいてはいるものの、「収納するための家具」ばかりになっていた。

狭いながらもインテリアを楽しんだ10代の頃の部屋は、当時ティーン向けのインテリア雑誌に掲載していただいた。2度目の掲載を依頼されたのだが、「相談ページ」に載った。「モノが多すぎて困っています、どうしましょう?」みたいな。

「私は困ってない!」と思ったのだが、この頃既にモノが増えはじめていたのだ。

あの時が「モノまみれの前兆」だったと今は思う。

 

自室だけにとどまらない。

壁という壁が、家具で埋まっている。

圧迫感のないロータイプの家具は皆無。なんなら「そんな収納力のないモノ、いるかいな」くらいの否定的思考。「収納力=モノがたくさん入ること」と考えていた時代。

 

今考える「収納力」についてはこちら ↓↓↓

kogireido.hatenablog.com

 

壁が埋まっているだけじゃない。床も。

床にモノが「直置き」ということは「自称・収納名人」だからない。

キャスター付きのラックや、家具とは呼べないケース、棚の多いこと。

まだ壁に沿わせて置かれているならマシだけど、ラックが空中(壁に沿わず、部屋の真ん中にあるなどの状態)なのは、もう「かなりのモノまみれ」だ。モノをしまうだけの「開かずの間」があったら間違いない。

 

「モノが増えたからと増やした収納するモノ達」ほぼヘンテコ。

隙間家具、スチール製のエレクターに嫌気がさすのだから、透明ケースやカラボ(カラーボックス)は忌々しいとさえ感じる。(個人の感想)

そんなモノにしまわれているモノは、「どうでもいいモノ」であると気づく。

自分が「好きだ」「持っていたい」と思うモノはちゃんと「ええ場所」「ええ家具」に収まっていたから。

 

 

5.「片づけ祭」はできない

 

ぶぁ~っと(擬音でよろしく)片づけまくる「片づけ祭」って、私にはそろそろできない。「処分がメインの整理」をするには気力・体力が足りない。

元々「捨てるが苦手」な「ステラレネーゼ」だし。

 

「捨てる」を遠くにしたいと考える。

そのために「誰かもらってくれないかな」「売れないかな」と色々試みた。

「自分がいらんモノは他人様もいらん」

「自分が思うほど価値はない」

思い知らされた。その後は、モノを持ち込む前に一考することを覚えた。

 

少しずつ、納得したり、思い切ったりしてモノを手放していった。

今は「一生モノ」は「一生経ってみなわからん」と思うし、モノの維持管理には気力体力の他に記憶力も必要だと考えるので「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマになっている。

「片づけはエンドレス」

これからも、少しずつでも、手放していくつもり。

 

 

6.まとめ

 

今の言葉で表すならミニマリスト」でも「断捨離」でもないような気がします。

年齢環境、変わらないようで少しずつ変化する自分のシコウ(思考・嗜好・志向)に合わせて「そぎ落とす」をしてきた。そんな感じ。

 

私のミニマリスト考 ↓↓↓ 「なれなくても」って「なりたい」わけでもないかな…

kogireido.hatenablog.com

 

 

ただ「モノを減らす」ということだけをしてきたわけじゃなくて、新たなモノを探したり買い求めたりすることも楽しんでいる。

もう「見るモノ、見るモノ、みんな欲しい」とは思わないので、今となっては「欲しいの沸点」が高すぎて「なかなか買えない」というジレンマも。

 

「前髪がとさか」であった時代の年齢にそぐわないモノ選びも、「通過点」だったのではないだろうか。「ええモノ」「どうでもいいモノ」もたくさん見てきた世代だと思える。でも「当時のまま」というのはいただけない。

モノも、モノでないものも、ちゃんとそぎ落としていきたい。

 

(ま)

 

 

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まなみ

体重とか、シミ・しわ・くま3点セットもそぎ落としたい!読んでいただき、ありがとうございました。