前髪は「とさか」で、
耳がちぎれそうなほど大きなイヤリング、
怖いほどに真っ赤な口紅。
あの頃、私は何に挑んでいたのだろう。
年齢を重ねるに連れ、そぎ落としてきたように思う。
自分自身も、家の中も。
そんなこんな話。
では、いってみよう!
画像:もうしないと思われるキラキラモノ、姪に「置いといて」と言われて保管中。襟元とか靴につけようかな。
1.50代はマキシマリスト!?
好きなモノや大切だと感じるモノがたくさんあることに、満足感を覚えるタイプ。
今の50代は青春時代が「バブル期」
年齢にはそぐわないブランドモノを持ち、「よく遊んだ~」と懐かしむヒトが多いのではないかと思う。
そんな形のない「気持ち」だけでなく、残骸(?)である「モノ」が残ってやしないだろうか。まだ自分の家にあるならいい。
実家に放置、これは絶対「アカンやつ」
2.どうして、あんなにモノを持っていたのだろう?
「欲しかったから」だろうな。
「物欲」にほかならない。
見るモノ、見るモノ、「みんな欲しい」くらいの凄まじい物欲。
50代の今だから、当時を冷静に分析できる。
「欲しいの沸点」が低すぎた。
「流行っている」「かわいい」「セール」いろんな理由をつけて、安易に買う。
結果として「モノまみれ」になっているのに、気づいちゃいない。
幸か不幸か、私は「整理収納が得意」だった。(そう思っていた)
ドンドン欲しいモノを買って、
ドンドン整理(分類のみで処分がない)をして、
ドンドン収納するモノ(収納するモノもモノやで)も買って、
ドンドンキュキュキュッと収納していった。
そりゃ、立派なマキシマリストになるわさ。
3.目を覚ませ!>私
「モノまみれ」だと気づいたきっかけは、やはり阪神淡路大震災。
詳しくはこちらで ↑↑↑
「赤いハイヒール」に頭を小突かれたわけです。
「履きもしないのに!」と言われたかのようでした。
モノまみれの自称・収納名人、覚醒の時。
4.わが家を省みる
「わが家を客観視してみよう」と試みる。
自室は片づいてはいるものの、「収納するための家具」ばかりになっていた。
狭いながらもインテリアを楽しんだ10代の頃の部屋は、当時ティーン向けのインテリア雑誌に掲載していただいた。2度目の掲載を依頼されたのだが、「相談ページ」に載った。「モノが多すぎて困っています、どうしましょう?」みたいな。
「私は困ってない!」と思ったのだが、この頃既にモノが増えはじめていたのだ。
あの時が「モノまみれの前兆」だったと今は思う。
自室だけにとどまらない。
壁という壁が、家具で埋まっている。
圧迫感のないロータイプの家具は皆無。なんなら「そんな収納力のないモノ、いるかいな」くらいの否定的思考。「収納力=モノがたくさん入ること」と考えていた時代。
今考える「収納力」についてはこちら ↓↓↓
壁が埋まっているだけじゃない。床も。
床にモノが「直置き」ということは「自称・収納名人」だからない。
キャスター付きのラックや、家具とは呼べないケース、棚の多いこと。
まだ壁に沿わせて置かれているならマシだけど、ラックが空中(壁に沿わず、部屋の真ん中にあるなどの状態)なのは、もう「かなりのモノまみれ」だ。モノをしまうだけの「開かずの間」があったら間違いない。
「モノが増えたからと増やした収納するモノ達」ほぼヘンテコ。
隙間家具、スチール製のエレクターに嫌気がさすのだから、透明ケースやカラボ(カラーボックス)は忌々しいとさえ感じる。(個人の感想)
そんなモノにしまわれているモノは、「どうでもいいモノ」であると気づく。
自分が「好きだ」「持っていたい」と思うモノはちゃんと「ええ場所」「ええ家具」に収まっていたから。
5.「片づけ祭」はできない
ぶぁ~っと(擬音でよろしく)片づけまくる「片づけ祭」って、私にはそろそろできない。「処分がメインの整理」をするには気力・体力が足りない。
元々「捨てるが苦手」な「ステラレネーゼ」だし。
「捨てる」を遠くにしたいと考える。
そのために「誰かもらってくれないかな」「売れないかな」と色々試みた。
「自分がいらんモノは他人様もいらん」
「自分が思うほど価値はない」
思い知らされた。その後は、モノを持ち込む前に一考することを覚えた。
少しずつ、納得したり、思い切ったりしてモノを手放していった。
今は「一生モノ」は「一生経ってみなわからん」と思うし、モノの維持管理には気力・体力の他に記憶力も必要だと考えるので「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマになっている。
「片づけはエンドレス」
これからも、少しずつでも、手放していくつもり。
6.まとめ
今の言葉で表すなら「ミニマリスト」でも「断捨離」でもないような気がします。
年齢と環境、変わらないようで少しずつ変化する自分のシコウ(思考・嗜好・志向)に合わせて「そぎ落とす」をしてきた。そんな感じ。
私のミニマリスト考 ↓↓↓ 「なれなくても」って「なりたい」わけでもないかな…
ただ「モノを減らす」ということだけをしてきたわけじゃなくて、新たなモノを探したり買い求めたりすることも楽しんでいる。
もう「見るモノ、見るモノ、みんな欲しい」とは思わないので、今となっては「欲しいの沸点」が高すぎて「なかなか買えない」というジレンマも。
「前髪がとさか」であった時代の年齢にそぐわないモノ選びも、「通過点」だったのではないだろうか。「ええモノ」も「どうでもいいモノ」もたくさん見てきた世代だと思える。でも「当時のまま」というのはいただけない。
モノも、モノでないものも、ちゃんとそぎ落としていきたい。
(ま)
体重とか、シミ・しわ・くま3点セットもそぎ落としたい!読んでいただき、ありがとうございました。