まだ続けようかと、part.3です。
マイ目標が「加齢と共にモノを減らす」になって25年は突破したと思う。
(もう年月の感覚が曖昧…)
自分がどんな風に年をかさねていくのか、想像でしかない。
その時の状態、気持ちに応じたモノの量にするとしたら「減っていく」は間違いないだろう。そんな感じの目標設定だった。
はてさて、まぁまぁ減ってると感じる今日この頃。
「それでどないやねん?」心の声、そんなこんなの最終回。(多分)
では、いってみよう!
画像:ガジュマル、ぐんぐん成長中
1.はじめに
当ブログの相方であり、もはや友人と呼ぶより姉のような、ゆみちゃんに感謝の意を。
「捨てられない」「安物買いのナントカ」「収集癖あり」な私のシコウ(思考・志向)をゆるやかに、改善の道へと導いてくれたと思うのです。
外出時に余分なモノを持たず、小さなかばんで軽やかに歩く姿は崇高ですらあり、わが身をふり返ることができた。自分の好みをしっかり見極め、「なんとなく買う」ということもしなくなった。
私達の30数年に及ぶ会話のほとんどは「整える」かもしれない。
「ありがとう」ひらがな5文字にいろんなことを込めて。
2.今の私(55才と数日)が思うこと
「モノを減らす」と書くと、「今あるモノをひたすら処分していく」感じ。
まだまだモノへの興味もあるし、傷んだり壊れたりで「交替」や「交換」だってある。
いろんなモノが日々進化していて、加齢していく暮らしの手助けになるモノも登場する。「新調」は、いつだってワクワクする。
「処分だけでなく、循環なんだなぁ」そんな風に思っています。
「うまく循環させながら、減らしていきたい」
今はこう考えています。人間が古くなっていくのに、古いモノばかりに囲まれるのは味気ないと感じるし、面白味もない。
「モノを選ぶ目」は年相応に養っていきたいと思うが、年齢制限を自分で勝手に設定はしたくない。50代、かわいいモノが好きでもいいではないの!(叫びに近い)
長く使い続けるモノも、最近迎えた新しさん(=新しいモノの意)も、うまく混在したらいいなと思う。
3.モノ・ワールド
モノを整えると、他のことも整う。
意識が変われば、行動も変わる。
ぐるぐる、ぐるぐる、「連鎖」だと感じています。
暮らしって「モノ」だけじゃなく、いろんなことを片づけたり、整えたり。
目に見えないことの「選択と決断の繰り返し」の方が、本当は多いのかもしれない。
ならば見えているモノに振り回されなければ、大概のことはうまくいくんじゃないか。少なくとも、「よーいドン!」とすぐに飛び出していけるような気がする。
4.まとめ
「加齢と共にモノを減らす」と言ったり、書いたり。
「減らした先に何があるのか?」って、近頃ふと想ったわけです。
モノ減らしと共に、そのモノにまつわる事柄(メンテや片づけ)を簡単にしたいと考えました。そういった「家事」もしづらくなっていくと想像したから。
実際、重く大きなモノは既に扱いづらいし、手間暇かけることも億劫に。そういったモノを手放す解放感は癖になりそう状態。
「よかったなぁ~」と思う反面、「減らす」「簡単にする」「省く」「やめる」というワードを多く言っている自分に気づく。「なんだかなぁ~」でしょ?
パンデミックの足音が近づく頃、元同僚と久しぶりに会う約束がありました。
その日を目前に学校が休校になり、不要不急の外出は控えようと。そのまま3年を超える月日が流れてしまいました。
先日、その約束がやっと叶ったのです。2才にもならなかったお嬢ちゃんは、園児に成長していました。大人の方は多少の劣化(?)はあるけれど、あまり変化なし。
まだまだ流行の波があって終息したわけではないけれど、気をつけながらこういう時間を「増やす」「マメに」「続ける」暮らしになればいいとつくづく。
減らすモノあれば、増やすことができる見えないモノあり。
そんな感じでしょうか。
「減らした先」には、いいこと、いい時間が待っているといいな。
さて、「加齢と共にモノを減らす」気づき・最終回でした。
まとまったのか?
引き続き、マイ目標に勤しみ、書いてまいります!
(ま)
読んでいただき、ありがとうございました!