日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

暮らしをダウンサイジング

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カナダのドキュメンタリー番組を観た。

シニアのモノを減らす、暮らしを小さくする過程。

母娘で衝突があったり、自分自身と葛藤したり。

国は違えど、いずこも同じなんだな。

私は「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマなんだけど、

同時に「暮らしも小さくしていきたい」のだろうなと実感。

では、いってみよう!

 

画像:いつかのとある素敵な場所で

 

 

 

1.悲しく、さみしい「ダウンサイジング」

 

一緒に住まうヒトが亡くなって行う場合。

その後の暮らしのために、モノを整理する。「遺品整理」も含まれると、なんとも悲しく映る。「さみしいだろうなぁ」と想ってしまう。

そのヒトを失ってからの時間が短いほど、涙はあふれるだろうにすぐに「整理」をはじめようと突き動かすものは何なんだろう。

悲しいから、さみしいから、そのまま。

「立ち止まっていてはいけない」の気持ちからなのだろうか。

 

父を亡くして、父のモノはもちろん家の中に「父のいた風景」が思い出される。いつも座っていた場所や、使っていた家具。

モノの整理は早かった。母が「泣くのは全部片づいてから」と言って、私は奮い立たされた感がる。家具は私が引き継いで使い、家の中は大きく改修した。この過程がわが家の「ダウンサイジング」だったように思う。

悲しく、さみしい「ダウンサイジング」

前向きになるために、乗り越えるために、必要なことなのかもしれない。

 

↓↓↓ わが家の改修話

 

kogireido.hatenablog.com

 

 

2.親子で「ダウンサイジング」

 

老いた親を心配する子供は万国共通。

モノを整理しづらい親世代と、家の中での事故、快適に過ごしてほしいと心配する子世代が時にぶつかってしまう。これも万国共通のよう。

両方が同じテンションで進めることはむずかしい。どうしても子世代の気持ちが先走る。子世代から促されて行う場合は特に。

親世代の方が「減らしたいから、小さくしたいから、手伝って」という場合は、衝突も少なくスピードも早まるのかもしれない。でも、これは「レアケース」かな。

 

家の中の不都合(モノが多い、そのことが安全ではない状態)には慣れてしまいがち。長くその状態が続いていればいるほど、自分では分かりづらくなっていく。

そこを、やんわりと伝えることができ「納得」できたらいい。これがむずかしいことなんだけど。

 

 

3.「モノ減らし」と「ダウンサイジング」

 

関係深いなぁと思う。含まれているのかな。

私の場合、「加齢とともにモノの維持管理が大変になるだろうな」ということから「モノ減らし」を進めている。極端に少ないモノの暮らしを望んでいるわけでもなければ、流行の「ミニマリスト」でもない。ただ自分の気力・体力・記憶力に合ったモノを持ち、できる範囲の家事をなるべく自分でしたいということにつきる。そのための「モノ減らし」

 

モノが少ない家事が軽減されることは実感済み。掃除もしやすくなるし、手入れをすることも減る。「コンパクトな空間でも大丈夫だな」という気持ちにもなり、実際に冷暖房が必要な時期は意識して暮らしている。「寒い(暑い)時は集まれ!」だ。

 

実際にイエ(家)を住み替えた方の本も興味深く読んでいる。最近は中村メイコさんの著書を。「小さくした暮らし」を楽しまれている様子に「悲しい」「さみしい」といった感情はわいてこない。

同世代の母には「家に居るだけでもオシャレをしましょう」「スーパーのお花でも暮らしが華やぎますよ」といったことが心に響いたようだった。母にとって「ちょっとお出かけ分類」の服を翌朝着ていたのが、娘(私だけど)としては微笑ましかった。

「モノがたくさんあることが、もはや豊かではない」のかもしれない。

 

 

4.50代からはじめる「ダウンサイジング」

 

「ダウンサイジング」は「シニアになってから」でいいのだろうか。

一気に進めることが心配になる。

「モノの整理」を自分で進めたいと考える私は「50歳までに目途をつけたい」と思ってきた。それが未だ「途中」であり、「50代で」に目標を変更した。

「納得しながら」ということが「ぼちぼち」しか進まないのだ。

 

何か悲しいことがきっかけでしなければならないというより、なんでもない平常時に進める方が冷静だったり、気負わずにできたりするのではないかと思っている。

まだ気力も体力もなんとかなる。将来、自分の家の中で転んだり、天袋のモノを出し入れする際に落下したりするのはイヤだ。

「未来の自分の安全」を考えた時、「モノを減らす」「大そうな家事を減らす」は今からできる「準備」だと思う。

 

 

5.まとめ

 

もう、うとうとしかかっていた。途中からだった。全部ちゃんと観たかったな。

空間(つまりは家)のダウンサイジングは今のところ考えていない。でも、実は私は狭い空間の方が「整え意欲」(どんな意欲)をかきたてられる。トレーラーハウスを造る番組にはワクワクする。自室(私物を置き、寝るだけなら)も本当は4畳半がいいと思っているくらい。

 

「加齢とともにモノを減らす」「暮らしのダウンサイジング」につながる。

なんやカタカナでかっこいい(?)けど、もう少し普段の言葉で言いたいな。「ダウン」もイヤだな。

小さくとも暮らしの質は「アップしよう」って思いたい

 

(ま)

 

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まなみ

「ダウンサイジング」に代わる言葉が見つからない。読んでいただき、ありがとうございました。