「加齢と共にモノを減らす」
マイ目標で、ブログにも度々書いている。
ただ「数」を減らしたいだけじゃない。
そのモノにまつわることも減らしたいのだ。
「手入れ」だったり、「整理収納」だったりという「片づけ」を。
それは他ならぬ「自分のため」だと考えている。
では、いってみよう!
画像:涼しい新しさん、サーキュレーター
本日はつらつらと。(目次なし)
画像のとおり、「涼しいモノ」の「新しさん」(新しいモノ)を迎えた。
家干しや、エアコンの効きをよくするために欲しかったサーキュレーター。
昨年から「欲しい」と探していたのだが、シーズンに乗り遅れなんとなく先延ばし。
「なかなか買えない病」(モノは増やしたくない、買うなら研究と「買う」が慎重になること)なので、「欲しい度」が高まらないとゴール(=買う)にたどり着けない。
家電量販店に行くと、一応「巡回」
何が「一応」なんだかって感じだけど、買い物は「出会い」だから。
冬にはひっそりエアコンのそばに数点あるだけだったサーキュレーター。
「季節家電」としてコーナーを頂戴しているではないか。
大小、白黒、なんやかんや、目移りするほど。
「こ、これは!チャンス到来か!」
デザインが気になるヒト(私だけど)と機能が気になるヒト(母だけど)が、メンテが気になるヒト(近居な末弟だけど)に同行してもらい下見済みの家電量販店へ。
各々が自分が気になるモノを選び、意見をすり合わせ、決定。
小さく白い、上下左右に動き、工具なしで分解して洗える、物静か(静音設計)な「新しさん」がやって来た。
食器棚の上部を処分してカウンターのようになった場所に置いてみた。
なんと涼しいこと。静かなこと。存在感の小さいこと。
洗濯物や部屋のために買い求めたのに、「ヒト」(母と私だけど)によいではないか。
出はじめのサーキュレーターしか知らないので、その進化に驚くばかり。
「早く買えって話や!」「ほんまに!」
扇風機、速攻、捨てたった!!!(=捨ててやった)*ちょうど使用限度目安期間になろうとしていた
扇風機、毎年解体して箱に戻して、天袋へ。
シーズンになると、天袋から出して、組み立てて使う。
これを「季節の入れ替え」という「片づけ」をしていたのです。
書いてみると、「ご苦労さん>自分」
「天袋落下事件」(年長者が天袋のモノを整理していて転倒・落下する事故のこと)が起きないうちに「手放したい片づけ」だった。
「片づけの懸案事項」とでもいいましょうかね。
この度、サーキュレーターの登場により解決の運び。
元々「取説を読まない」だった。
何か不具合が起きたり、処分したりする頃になってやっと読むタイプ。
それではあかんのよ。近頃は、「買った時にさらっとでも読む派」に転向。
扇風機との違いにふむふむ。
床に大きな扇風機を置くより、台の上に小さなサーキュレーターの方がわが家にとっては安全で快適そうだ。
家電量販店で私が支払いをしている隣でも、サーキュレーター。その隣の隣も。
大流行なのか、サーキュレーター。
「こんなモノを買ったよ」って話ではありません。
「何かを買ったら、何か(モノ)が処分できて、それにまつわる片づけもしなくてよくなったよ~」って言いたい話。
今年10年目を迎える扇風機がもう1台ある。こちらもサーキュレーターとチェンジ予定。
天袋から出して組み立てて、今年は使う。
でも解体して箱にしまわないので、ダンボールをたたみ、詰めの発泡スチロールをくだいて処分。(そういう処理方法な自治体)
この作業が大汗、体力要。終わった時にはクタクタよ。
「捨てる」もだんだんとしんどくなるからね。
私はミニマリストじゃない。
バブル世代とされる年代で、マキシマリストでステラレネーゼだった。
そろそろ、そんなに容易く欲しいモノは見つからないし、扱いにも困りはじめただけ。
自分の記憶力、体力に合わせたモノを持ちたい。
さらに言うなら、自分の好きなモノ、必要なモノ、思い入れのあるモノをそれぞれ「少々」具合で。
手入れや掃除もできるだけ自分で長くやりたい。そのためには今のうちに、大方のモノの整理を自分で終えたいのだ。今はもちろん、将来の安全も考えて。
扇風機にまつわる片づけエトセトラ、ぞろ目を目前に手放せたよう。
(ま)
「片づけを小さくできた」ということでしょうか。メンテや整理収納の負担も小さくしていきたいと考えています。