日常に「お裁縫」がある暮らし。
「針の扱い」についてはルールがある。
片づける際に「針がない!」ってことがたまに。
そんな時のわが家の様子と、先日の大騒動。
では、いってみよう!
画像:「あっ!」ってわかる方とお友達になりたい、時々出向く生地屋さんの保冷エコバッグ、「感謝祭」で頂戴する、こういう粗品はウエルカム
1.「お裁縫がある暮らし」背景
え~っと、私はしません、できません。
中高と家庭科の製作物、ほぼ「器用な友人」と「優しい先生」により完成。
はてしなく不器用。誰に似たのか、うらめしい。
両親は器用な方なので、そのDNAを末弟が「全部持って行った感」がある。(どんな感よ)
「この材料で、こんな風に作って」と考えることは大好き。仕事もそうかも。
「お裁縫をするヒト」はわが家では84歳の母。
編物はプロなのだが(亡くなった祖母も、器用DNAは脈々なのに…)、本人曰く「お裁縫は苦手」とのこと。
「いや、できるって!編物できるねんから、やればできる!」できないくせにえらそうな娘(私だけど)
75歳だった母にやらせてみた。(まだ、えらそう)
「職人気質」なのだろうな。それと頭が理数系なんだろうな。
私は素材から一気に完成形しか想像できないけれど、母の場合「作る過程」つまりは「工程を考えるのが楽しい」と見える。
無理やりはじまった「お裁縫」だが、編物より製作日数が短いため達成感(作品の完成)が早くやってくる。これが「楽しい!」につながったよう。
注文者が私だけなら、「毎日のように何かを作っている」という暮らしにはならなかったはず。身近なヒト達が「私のも!」と言いはじめ、ぎこちなかった母のお裁縫はメキメキと上達。今では工程をすっ飛ばすヒト(私だけど)に「これはこういう風になるから、こうしたい」と製作者としての経験からくる「さらなる良い仕上がりへの提案」もあるくらい。似ている、職人さん達と。
こうして私は自分の選んだ生地で、五十肩やコロンとしてきた体形に優しいワンピースを着ることができている。生地選びもなかなか難しく、見た目だけではなく着心地、重さ、実用性、扱いやすさ(洗濯やアイロン)と私も「80代のお裁縫」の一端を担う者として経験値を高めている途中。工程を想像することもね。
そんなこんな、「背景」だけでえらく長くなってしまった。インナーなどは買うけど、洋服に関しては既製品とは無縁の暮らし。
2.「針の扱い」わが家ルール
思い起こせば、「家庭科の初授業」ではなかったかと。
針の怖さを先生が延々と語った覚えがある。(実際は短かったかもしれない)
「なくした針が身体に入って…」みたいな話。ハート形の心臓をプチっとなイメージをした当時10歳の私。
「針はなくしちゃならん!」と最初に、キッチリ刷り込まれた。
「まち針が1本ないわぁ~」お裁縫をはじめた頃、ある日の母。
「なんと!!!すぐ探せ!今探せ!」刷り込み済みの私
「そんな大そうなこと?いつか出てくるやん!」的な顔の母
私は家庭科の先生がこんな風に言った、道具の扱いとして基本中の基本だ、色んな言葉を浴びせた。
同じくお裁縫をする友人にも聞いてみたところ、「必死で探す、見つかるまで探す」と言った。当時子供ちゃんも幼かったため、力強い言い方だった。
「Mちゃん(偶然にも母とよく似た名前)も、こう言ってた!」はダメ押し。
こうして、お裁縫のはじめと終わりに「針を数える」がルール化。
3.先日の大騒動
夕方、覇気のない母。ははぁ~んだ。
「針?ないの?」「…ない」「まち針?」「一番小さい縫い針」「キャ~~~!」
どっちがどっちの(母か私か)言葉かは読み当ててくだされ。
はい、そうです。「なんと!!!すぐ探せ!今探せ!」
捜索活動スタート!
ありません、どこにも。
製作中のモノにもひっついていない。
作業をしていた辺りにも見当たらない。
体にくっついてどこかに持って行ったかもしれないので、トイレまでも捜索。
「見つかれば夕食」なのに、それどころではない。
母は気落ちして「今日はもう食べない…」ションボリ。
捜索活動、翌日へ持ち越し。
たいていは見つかるのです。
トイレに落ちていたこともあるし、ソファーの下から出てきたことも。
裁縫箱のある場所付近に落ちていたことだって。
出てこなかったことはないのに、3日という時間が経過するも発見できず。
ションボリ状態が続くのもかわいそうで、励ましたりなだめたり。
「もう、お裁縫辞める…」とまで言い出す始末。
それは困る、みんな(数人だけど)が困る。
「なくした針の見つけ方」本日のタイトル。(やっと、着地点)
困りに困って、スマホに訊いてみた。
なんと、出てくる、出てくる、針をなくして困っている人々!
家庭科の先生の話は「都市伝説」だとあるし、そもそもなくさないための工夫も。
みんな、天才か!?
パワフルな懐中電灯(防災用っていうの)をこの際ついでに購入。家中照らすも見つからず。最後の最後、「家中を大掃除」することに。
高齢な母娘でソファーや大きな家具も動かす。
ついでに大掃除。掃除機のかけ方は「針の発見」が最優先なので、床をはいつくばるように。気がつけば大汗をかいていて、「有酸素運動だろう」などと思っていた。
ソファーやクッションのカバーもはずした。ゴミ箱やマガジンラックの中も。
最後の最後、普段使いのコードレス掃除機を開けた。
いた!!!長い糸がついた、縫い針。
掃除機の中のゴミパックの中まで入ることなく、長い糸のせいでブラリと。
「あったぁ~~~~~!!!!!」
4.おわりに
1000文字くらいのショートバージョンになるんじゃない?
そう想っていたのにいつもより長文に。
ごめんなさい、針をなくした話におつき合いいただいて。
そんなにキラキラしたこと、もう起きないのよねぇ。
針探しのための「大掃除」なんだけど、直後にやって来た母の友人(この方も母の作った服を着るヒト)や近居の義妹が反応。
どちらも「よく来るヒト」だが、「スッキリしてる~~~」と。
大きくモノを動かしたり、処分したりしていない。
ただいつもより、必死のパッチで掃除しただけ。
「なくした針の見つけ方」は「必死のパッチの大掃除」「掃除機の中を見ろ!」だった。
(ま)
「大掃除できてよかったなぁ~」と母。「ブログのネタにもなるんちゃう~~~?」とも。ん、何だかちょっと違う気がするのは私だけ?読んでいただき、ありがとうございました。