久しぶりにの更新なのに「失敗」とは、いかがなものか。
ふと、「収納はパズルみたいだな」と感じていたことを思い出しまして。
そのことは当初「得意気」ですら。
磯野波平さんと「タメ」になった今は「違った!」と思っている。
そんなこんな、片づけの「失敗だったかも!?」と思うこと。
では、いってみよう!
画像:月より団子、団子ではないけど、本文とは関係なし
1.「収納はパズルみたい」
序文にも。
収納空間や部屋といったスペースに、キュキュキュっとモノを詰め込むのが得意だった。少し余った空間は「デッドスペース」だと思っていたし、「整理」を置き去りにていた。「使わないモノを増やしている」「風通しの悪い空間を作っている」と気づくまで時間も経験も必要だった。
2.「収納するモノもモノ」
当ブログ、頻繁に出てきている「収納するモノもモノやで」
片づけようと意気込んで、収納するモノを先に買い求めるのは違う。収納するモノを統一することで「片づいた」と錯覚する。「どうでもいいモノ」や「空気」をしまっているかもしれないし、そこに住まうヒト誰か1人にしかわからないのは「どうよ!?」な話。「ピロピロ系」(ゆみちゃん表記・ツボってます・ポリプロピレンとかのこと)の「未来のゴミ」を増やしてはいないだろうか。「導入は慎重に」と今は考えているが、その昔私もいっぱい買いましたわさ。
3.「整理の順番」
いきなり「思い出のモノ」から片づけるのはハードルが高い。
「今、使うか?」という「使用頻度」という点からは遠い位置にあるけれど、「思い入れ」がたっぷりあるから。写真や手紙、工作品とか。そんなモノは「後回し」でいい。
衣類や道具といったモノの中にも「思い入れがあるモノ」は存在する。それらも「後回し」でいい。「何秒で決めろ」とか、「一定期間使ってなければ整理せよ」とか(とか多め)、「時間縛り」にとらわれなくてもいい。「片づけの初期には目安」にするくらいのことだ。
「明らかに要らないモノ」から手放せばいい。
「もう使わない」とその時点で思うモノ。「壊れたモノ」「傷んだモノ」は修理しても使い続けるのか、「ご苦労様、ありがとう」と処分するのか。「役目をはたしたモノ」は正々堂々の処分、「使いきる」だ。自分をほめてあげてもいいくらい。
「いつか使うかも」「まだ使える」はほとんどのモノがあてはまる。「いつか」は曖昧で、「まだ」は往生際が悪い。そんなモノ達を家の中に「置き去り」にはしない心意気さえあれば「良し」だ。
明らかに要らないモノ、思い入れの少ないモノから片づける。
でも1度で終わりとはいかない。時間が経てば、判断も違ってくる。「片づけはエンドレス」だから。片づけだけでなく、日々何かしら判断を繰り返しているもの。同じことなんじゃないかな。
やがて「思い入れのあるモノ」を整理する時もやって来る。誰かの時間じゃなく、自分の時間軸なら手放しやすい。ただ「判断の先送り」をしてきたことを忘れてはいけない。「波平さんと同級生」な私としては、もうそろそろ「先送りはやめよう」と考えている。マイテーマ「加齢とともにモノを減らす」はスピードアップの時期なんじゃないかと思うから。
4.「片づけ」を侮るなかれ
「片づけ」って幅広い。整理、収納、整頓、手入れ、掃除も含んでいる。
単純な「元に戻す」っていうことだけにしたいと常々思っている。でも「洗う」「拭く」という「手入れ」をしてから「元に戻す」もあれば、そもそもの「元」(場所)を決めておくこと、わかりやすく収めることも関連づいてくる。その「おまけ」のようなことを、仕方なくするよりは楽しくできたらいい。
そのためにはささやかなモノでも使って、手入れの際に触れてうれしいと感じられたらいいなと思う。流行を追いかけまくる年代ではなくなったけど、ちょっと流行のモノ、季節を感じられるモノ、自分が好きなモノが身近にある暮らしがしたい。そのモノが自然とインテリアになったり、私自身を表すようであったら尚いいな。「モノを選ぶ目」も養っていきたい。
ヒトが持っているモノの種類はさほど違わない。圧倒的に違うのは「数」だ。「質」もあるな。(また別の話、そのヒト軸の質の良さもあると思う)
たくさんのモノを維持管理するには、「時間」「場所」「記憶力」が必要かと。残念ながら、どれも「さほど」である私。「記憶力」の衰えをじわじわと感じていて、付随する「労力」も「めんどくさい」が高まる一方。ならば、片づけを簡単にする工夫を今のうちにしておきたい。「モノ減らしは、手間減らし」とも考えている。
5.まとめ
片づけのノウハウ本を、これまでにいっぱい読みました。仕事柄、片づけ系の資格取得もしてきました。参考になることはあっても、「自分にピッタリ」というには、なかなかいたらず。
私達は「片づけシスターズ」(片づけが趣味?くらいな片づけオタク)なので、日常会話レベルで「片づけ論議」をするけれど普通はそうではないとか。2人であぁでもない、こうでもないと話すことはモノだけでなく頭の整理もしてきたように思います。
若かりし日には「この方法がいい」と考えていたのに、今はそれほどでもない。「失敗」ではないかもしれないけれど、そう思えることがいくつかある。
「片づけ道の通過点」だったかもしれないから、失敗も「良し」としよう。最後に、「失敗を恐れるな!」
(ま)
時々涼しい日も。「書く」をまたはじめましょう。