日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

every day 片づいているわけじゃない

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「日々、整える」

ブログタイトルでもあるんだけど、「私の家の中はいつも片づいている」というわけじゃない。

とっ散らかっていることもあるし、「そもそも、それでいいの?」って場所やモノもまだまだある。

それが「イエ(家)」ってもんさ。

「まぁまぁ、片づいている」くらいがちょうどいい。

こんなにも片づけのことばかり書いておきながら、実はそんな風にも思っている。

では、いってみよう!

 

画像:リビングにあるソファ、何もなければこう、いくつものクッション・ひざ掛け・敷物・その他もろもろが通常あり、最近へたり気味、新しさん(新しいモノ)を迎えるとしたらまたこのメーカーのモノを買いたい(うるさい画像説明でした)

 

 

 

1.「部屋の片づき度」は「まぁまぁでいい」と思う

 

「片づいている」と感じる度合い個人差ありあり。家族でも。

その度合いが「高いヒト」は少しのモノが出ていることも許せないというか気持ち悪いと感じるのに、「低いヒト」はどうもない。なんなら「片づいてるや~ん」と思うかもしれない。

 

どっちに合わせる?どっちもイヤだな。

「間を取る」というのも変だけど、「まぁまぁな片づき度」まではもっていきたい。

歩み寄りはやがて「まぁまぁ度」も自然に上がっていくと思っている。

 

 

2.母よ、ソファに住んでいるのか?

 

80代の母は日中ほとんどの時間をリビングのソファで過ごす。

そして何かをする時に「これでもか!」ってくらいモノを広げる。

L字型のソファ、私の領域にまでモノが進出。座る場所もない。

「はいはい、すみませんね~」と言いながら、はみ出たモノを自分側に寄せる。やっとこさ座れる私。

 

L字にモノを広げているわけですな。なんとも器用な。そこで昼寝もすれば、ゲームもする。友達と長電話もする。昼寝にはひざ掛けサイズの毛布が必要で、ゲームやスマホの充電器もすぐ取り出せるように小さなカバンに入れてソファにいつもある。手芸もするから、毛糸や布、裁縫箱が出ていることも。

もう「ソファに住んでいる」かのようなのだ。

 

膝が悪いため歩きにくい。数年前から外出時には必ず付き添う。ここ2年、母は通院以外の外出はない。家の中だけが、まだ自由に動ける場所。とはいえテキパキ動けるわけではないので、自分の手の届く範囲にいろんなモノを置くのだと思う。

わが家では「片づき度が高いヒト」と思われる私だけど、日中は「それでいい」と思っている。母が元気だということだから。

(手芸などの「何か」を終えるタイミングや、寝る前には自分で「閉店、閉店~」と片づけています)

 

 

3.「汚実家」とは呼ばせない

 

よく見聞きする「汚実家」汚い実家か。わが家、実家でもあるわけで。

「汚実家」身内から言われる言葉でしょ。言わすもんか、呼ばすもんかの心の声。

むかつくでしょ、そんなこと言われるの。昭和の古いマンションだけど、手を入れて片づけてコギレイに暮らしている思われたい

言われたことがあるわけじゃないんだけど、家族が分散して増えはじめた頃から思ってきた。「汚実家とは呼ばせない」と。

 

小さな甥っ子が「ばぁばとまぁちゃん(私だけど)のおうちは、なんだかいいよね」と言ったり、義妹のお父様が「うちも片づけてほしい」と帰り際におっしゃったり、昨年末2年ぶりに帰ってきた義妹が「こんな風に暮らしたい」と言ったり。

「万感の思い」ってこのこと?任務を果たしたかのような気持ち。ただの「負けず嫌い」ではなく、どこか安心してもらいたいと思っているのかもしれない。

 

 

4.無理なく、気負わず

 

ブログの更新についても、二人でそんな風に話している。(ここのところ、頑張っているけど)イエ(家)もそうありたいと思う。

「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマとかはたから見たら「十分、気負ってるで」と思われるかもしれないけど。

 

わぁわぁ、キーキー言って、部屋の中をスッキリさせたところで寒々しい空気になるのはいかがなものか。「片づき度の高いヒト」「黙ってやれ!」と思っている。自分もいつからか、そうしている。黙って続けるためには「片目をつむる」ことを覚えるし、「まぁまぁでいい」とも思うようになる。そう思いながら、まだ「黙ってやれ!」だ。やがて報われる

 

「無理なく、気負わず」と言いながら「黙ってやれ!」とな。「黙ってやる」は少々さぼれるので悪くないのだ。「片づき度合いが高いヒト」と認定(ばれて)されてしまったら、「やって当たり前」のように思われてしまう。それはどうよ!?

そこに住まうヒトの中で「誰か1人だけが頑張る」って違うと思ってしまう。リーダーシップをとるのはいい。でも「わぁわぁ、キーキー」は厳禁。

 

黙って「片づけやすい仕組み」を作り、黙って「片づける後ろ姿」を見せる。無理なく、気負わず。家族といえど、ヒトのことはなかなか変えられない。自分が変われば、ヒト(家族だけど)も変わるかもしれない。

 

「まぁまぁ、片づいているくらいがちょうどいい」そう考えることが私にとっては「無理なく、気負わず」かな。「加齢とともにモノは減らす」けどね。

 

5.まとめ

 

タイトル、every day って。もうすぐ終わる朝ドラの影響か。(終わらないで~)

 

毎日、いつも、どんな時も片づいているというわけじゃない。たまたまこれを書きかけた日に、母の調子が悪く(1日で復活した)リビングのソファは片づいたままだった。やはり「母の元気度」と「部屋の片づき度」は反比例。

 

家で過ごす時間が増えて、「住まい」を見直しているヒトも少なくないだろう。一時的、一過性でありませんように。片づけはエンドレス。every day です。

 

 

(ま)

 

 

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まなみ

ファンヒーターはそろそろ片づけてもよいのかな?読んでいただき、ありがとうございました。