モノを整理していく過程で、後になって思うことがある。
意外と、なくても平気。
気づくのは「後になって」なので、最初からその量にたどり着けないのが自分ではがゆくもある。
それは仕方ないことなのか?
少しずつ、わかっていくことなのか?
「なくても平気」なら、考えなくてもいい?
では、いってみよう!
画像:マイお茶碗&湯呑、小ぶりなモノをと探したのにこれで大盛り食べている、朝ドラ「まんぷく」の福ちゃんとおそろいで驚き&歓喜(?)
1.「食器」はいつもドッサリ
遡れば「食器棚」単位で、整理つまりは「処分」がはじまった。
リビング側と、背中合わせに壁を挟んでキッチン側にも食器棚があった。「5人家族なんだから、こんなものだろう」くらいに考えていた。「整理しよう」なんてこれっぽちも頭になかった。そんな考えが覆る1995年、阪神淡路大震災。
「わっさわっさ」という感じで「処分」がはじまった。食器棚1台分の食器とお別れ。
大きな家具一つ分のモノと収納するモノ(食器棚)がなくなったのだから、ここで一段落。「やった感」でいっぱい。
時間が経って、内装(壁・床)のリフォーム。またモノの「整理どき」
収納空間に「キュキュキュッ」と詰め込むのが得意なものだから、出して並べてみるととんでもない量。すべてをまた元に戻す気になれず、ダンボール箱いくつかの食器とお別れ。
また時が過ぎて、食器棚の上部(収納空間としては2/3)を整理(処分)したくなる。何度かの「チマチマ整理」で顔なじみになってしまった寄付型のリサイクルショップにダンボール2箱分を引き取ってもらい、お別れ。
いつも「これで最後」と思うのに、しばらくするとまたリサイクルショップに電話をする。「このヒト、また片づけたんかいな」「一気にできへんのかいな」と思われてやしないだろうか。もう食器棚が1/3台しかないんだから、今後電話はしない。多分…。
2.漫画は「一生モノ」
信じて疑わなかった、漫画は一生モノと。
漫画だけじゃなく他のモノも、「一生モノ」は「一生経ってみなわからん」って今は思っている。
「キャンディキャンディ」にはじまる、私の漫画コレクション。当時小学生、私。ひらがなで名前を書いている、裏表紙に。大切やったんやろうなぁ。当時住んでいた団地の部屋番号も書いている、油性のお名前ペンで。
その時どきではまった作家さんの漫画がズラリ。整理(処分)なんて、これまたこれっぽっちも頭になかった。物入の中に、いくつもの収納ケースに、数百冊あったと思われる。(数えたことはない)
そしてまた覆る、老眼。身体的事情だ。
既にネット社会。漫画は整理の中の「売る」を選択。
お店の特徴に合わせて分散して、お別れ。「食器」と同じく、最初は勢いよく手放し、後はじわじわと。
集荷に来てくれるおじさん(私はおばさんだけど)とやはり顔なじみになり、何度目かの時に「いくらにもならへんで」と言われた。次に会った時に「結構、あったで」と言う私は負けず嫌いか。他人様(集荷のおじさんだけど)にご迷惑をかけながら、「キャンディキャンディ」と川崎苑子作品を除いた全コレクションとお別れ。
キャンディキャンディは幼い日の私が名前を書いてしまったから。川崎苑子作品は査定額と実際の引き取り額に差があり、悔しくて送料をこちらが負担して返却してもらうおかしなおばちゃん。(私だけど)
3.一度の整理(処分)には「限界量」があるのだろうか
書いてみると、いろいろおかし気なことを思いながら「整理」(処分)をしていたんだなぁとわれながら。普通はスマートに行えるものなのだろうか。「葛藤」とも言えず、「ヘリクツ」をこね回しているかのよう。
食器も漫画も、何度かの整理を経て今の状態になっている。
最初に「整理をしよう!」って思いついた時に、「今の量」にできなかったのかと心の声がする。何度かの「ジャッジ」(いる・いらない、持ちたい・いらん、使いたい・どうでもいい、好き・どうでもいい、思い入れがある・どうもないなど)を繰り返して、その何度かは残ったモノなのに結果的には「お別れ」
どうも「整理の限界量」があるように思えてならない。
「満足感」なのか「達成感」なのか、そんな気になったところで時間が経つと薄らいでいく。そしてまた「整理」(ジャッジ)をしてみると、処分するモノが登場する。
一気に推し進めたところで、「なんで処分しちゃったかな」と後悔したかもしれないから私にはこの方法でよかったのかもしれない。サバサバとできるヒトもいるだろうげど、「限界量があるタイプ」だと認識するのも「整理をする際の心構え」だと思う。
4.まとめ
「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマなのだけど、「加齢」が「整理」(処分)を加速させることも実感。小さい文字が読めない漫画、重く扱いづらい食器。
「持ちたい」「使いたい」と思っていたはずなのに、「無理」となる。気持ちとはうらはらに、どないもこないもな「身体的事情」「年齢的事情」は近頃の「カメの歩み」な整理(ジャッジ)の後押しになっている。
食器も漫画も、自分で考えた以上に減ったところで「なくても平気」
それどころか「なんで早くこうしなかったのだろう」と思うくらい。
まだまだ「整理しそびれているモノ」「整理途中なモノ」があるけれど、「整理に限界量があるタイプ」なのでじわりじわりと頑張るつもり。「じわり」が過ぎないことは気にしながら。最終的には「なくても平気」って思うのだから、大丈夫。
(ま)
「大丈夫」自分に言ってるかも。読んでいただき、ありがとうございました。