日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

50代のおうち箋「めんどくさい」

f:id:kogireido:20220111152219j:plain前向き、ポジティブには聞こえないなぁ「めんどくさい」

だけどある種の「改善ワード」ではないかと思うのです。

そう思ったなら、そう感じない工夫をすればいいのでは?

思い切ってやめてしまうことも「あり」なのでは?

50代、もう頑張らない。

そうするための知恵もついたはず、きっと。

 

*画像 福袋は食べ物オンリーな近頃。コロナの少し前からネットで購入するように。「初売りに突撃」もめんどくさい!?

 

 

1.そもそも、「片づけも掃除もめんどくさい」

「片づけ」を簡単に言ってしまうなら「モノを元に戻すこと」

いや、それだけではないな。モノを必要に応じて出したり、しまったりすることもそうだし、持ち続けるかどうか時々点検して交換や処分することもそう。

「整理」「手入れ」「整頓」も含んで「片づけ」と総称されているように思う。みんな「片づけ」という広大な海を泳いでいるかのようね。

 

「掃除」は終わりがない。

さぼったら、さぼった分だけの「お返し」(汚れ)となってわが身に返り、格闘することといったら…。だいたい「どこまでやったらいいのか」も分からないし、頻度ややり方もヒトそれぞれで話題にすらならない。(私たちは話題にしまくりますけど)

年末になって「大掃除特集」みたいなのがやたらあるけれど、あれは腹立たしい。

「くっそ寒い、気忙しい時期にすすめるなっ!」と思うわけです。…脱線

 

「片づけも掃除もエンドレス」 暮らしは片づけの連続。

そりゃ、めんどくさいわ。

 

 

2.「片づけがめんどくさい理由」

 

「片づけ」の中で、日々の「モノを元に戻すこと」が一番頻度が高いのだけれど、「モノの位置が決まっていない」というお家では「どこに戻したらええねん?」って話。では「なぜモノの位置が定まらないのか」と考えてみる。

 

・自分(家族)で管理するには多すぎる

・収納空間に収まりきらない

よって室内にモノがあふれる、適当に置く。

 

これが「片づかない要因」だと考察。(何者!?)

ならば自然と答えは見えてくる。

・自分(家族)で管理できる量にする

・収納空間に収める

これに尽きる!(言い切る!?)

 

私たちのように「片づけヘンタイ」(片づけが苦痛でない、それどころか嬉々として日々考えているヒト)でなくとも片づくはず。

「モノの位置を定める」勝利への一歩!(これがなかなか難しくて、長い話)

 

 

3.「片づけるのはモノだけではない」

 

モノだけではないね。色んなこと(すべきこと、時間、対人関係など)を判断し、決断して片づける。そちらが優先されるから「モノ」は後回し気味だけれど、「モノ」を制覇(?)すればたいていのことはうまくいくと考えています。「衣食住」と「住が最後」だけれど、住まいが整えば衣食も自然に整うと思うのです。そして思考も。

 

「モノの整理は心の整理、頭の整理、時間の整理…」

片づける際の私のおまじない。後回しにしがちな「モノ」をやっつけておけば、他のことに向き合える。部屋(家)の中が自分のシコウ(思考・志向・嗜好)の表れだとしたら…。やる気が出てきませんか?

モノを探すこと、自分の部屋(家)なのに落ち着けないこと、そんな時間や気持ちがもったいなくてめんどくさい。

「めんどくさいから片づけない」というのは絶対違うと思う。

 

4.「めんどくさい片づけからの脱出」

 

すぐ前に

「めんどくさいから片づけない」というのは絶対違うと思う。

こう書いておきながら、「めんどくさくない片づけ」を考えている。

収納グッズを統一するとか(収納するモノもモノやで)、こったラベリングとか、より多くのモノをしまおうと工夫するとか、「とか」いっぱい書けそうなんだけど、これらの「とか」がもう「めんどくさい」わけです。全部、「通った道」なんだけどね。

 

台にのぼってモノを取るとか、細かく仕分けるとか、そのモノにたどりつくまでの行動が複雑だとか、片づける場所が広くもない家の中であちこちにばらけているとか、また「とか」いっぱい。これらが最近めんどくさい。

使用頻度や重さなど、利便性と安全性を考えて収納を考えている。最近さらに「よく使うものはより近くに」とばかりに引き戸収納の棚の中は開けてすぐの所を「一等地」としてみた。これなら扉を全部開けなくても取り出せる。束ねたモノも個々に出せるようにもしてみたら、出す度に楽なことといったら。

「めんどくさい」の感度(?)は加齢により変化する

「めんどくさいなら めんどくさくなくすればいい」 一句?早口言葉?

 

5.まとめ

「めんどくさい」「めんどくさくない」何度書いたでしょう。こんがらせてしまいませんように。

 

「めんどくさい」を改良するかのように再考することもあれば、思い切ってやめてしまうことも出てきました。大がかりなこと(クリスマスや季節行事の装飾、大掃除)です。食器棚の上部を処分し、下部をカウンターのように使うようにしたのも食器棚の上の掃除、カバー(ほこりよけの布製)の洗濯やその際のつけ外しがめんどうかつ危険を感じるようになったから。難なくできているうちはいいけれど「めんどくさい」は時に「しんどい」でもあって。

 

頑張る必要がないのであればやめてしまってもいいと考えています。それは片づけだけでなく、いろんなことにも。80代の母が「私たちはていねいな暮らしではないねぇ、ズボラな暮らしやねぇ」と笑います。

頑張ろうとするからめんどくさい。無理もきかなくなってまいりました50代。考え直してみたり、やめてみたり。「めんどくさい」とつぶやく自分を卑下することなく、「んっ、もっといい方法あるかも!?」そう思った方が暮らしは楽しい♪

 

(ま)

 

 

f:id:kogireido:20210107135445p:plain
まなみ

読んでいただきありがとうございました。「めんどくさい」を超越する時「ごくろうさん」と言ってしまいます。