日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

「一生モノ」について

今週のお題「一生モノ」

 

ついにお題が「一生モノ」

このワード、何度書いてきただろう。

年始の挨拶もしないまま、のこのことお題に誘われて書いてみる。

起承転結ならぬ、結論から言ってしまう。

「一生モノは、一生経ってみなわからんで」

では、言ってみよう!

 

画像:2024お正月のお花、Kさん

 

「整理する時」に言いがち

 

「これはぁ~、一生モノだからぁ~」(語尾をのばし気味に読んでね)

高価だったモノ、ブランドモノ、思い入れのあるモノに言いがち。

「整理するモノの対象外」として、「整理つまりは処分をしません」ということ。

私も言った、言った。書きもした。

 

 

「娘」に託そうとしがち

 

私も「娘」なので託されそうになったり、実際に受け継いだモノがある。

「娘」がいる友人たちは「娘にあげようと思って」と、言いはじめている。

何気なくそんなことを伝えると、「いらん」と素っ気なく言われることがあるらしい。

「え~、いらんの!!!!!?????」

驚愕するらしい。(らしい、続き)

母娘と言えど、「一生モノ」の価値は同じではないということ。

「誰か」に託す、つまりは「譲る」ということは考えない方がいいということか。

「要確認」の上、「譲る」ではなく「もらっていただく」としよう。

 

 

「一生モノ」コギレイ堂的考察

 

私達の会話の多くは片づけ系、「整える」話が多い。

「一生モノ」についても、何度も。

決まり文句が序文の、

「一生モノは、一生経ってみなわからんで」

「せやなぁ~」

 

現時点で持っているモノが「一生モノ」候補には違いない。

既に「これかも!?」って思っているモノかもしれないし、「気がつけばそうだった」ってモノかも。

「後者の方がいいなぁ」と密かに思っている。

自分が選んだモノか、近しいヒトが選んだモノかわからないけど、長く手元にあり愛しめる(大そうだけど)モノだったという「結果」に自分自身でも驚いてみたいのだ。

 

 

まとめ

 

6がチラつく50代になってみると、「一生モノ」はあまり言わなくなった。

若かりし日に「これは一生モノ!」と鼻息あらく言っていたモノがそうでもなかったと知ったから。

「加齢」を忘れていましたわ。似合わなくもなるし、衣類やかばんなどの「重さ」が負担に感じることを想像できていなかった。

 

身体的なことだけではなく、災害や事故による経験や見聞が心理的にも影響している。

生きている時間が長くなるにつれ、物欲が減りつつある。

元旦、けたたましくスマホが鳴り、母とダイニングテーブルの下に身を隠した。不気味な音を伴う揺れにじっとおさまるのを待った。

その後のことは皆さんもご存じのとおりです。

 

「一生モノ」いつ判定(?)できるかわからないけど、決めつけずにいたい。

いろんなことが起きたり、感じたりする中で、まだまだいろんな「モノ」を選ぶだろう。

そんな「モノを選ぶ目」は養っていきたいし、選んだモノが「私を表す」ということも覚えておきたい。

 

 

(ま)

 

 

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まなみ

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