モノの整理をしていて「持ち続けるかどうか」を迷う。
新しいモノに出会って「買おうかどうか」を迷う。
人生、迷うことが多いのに(人生論!?)、せめて「モノ」に対してはシンプルな思考でありたいと思う。
いやぁ、まだまだ往生際が悪いんだけど。
そんな話を、ユーミンベストをBGMに。
では、いってみよう!
画像:本文とは無関係、かわいいたたずまいに撮りたくなる、載せたくなる
ブログを書きながら、歌っている姿は見えまい、聞こえまい。
本日、つらつらといかせていただこう。(目次はありませぬ)
最近、「さて、これをどうしますか?」と整理する際に心の声がすると「あぁ、いらん(=いらない)のだな」の返事の心の声もしてくる。検討に入っている時点で、ゴールは「処分」しか見えない。(処分にもいろいろある)
モノの整理は「いる・いらない」「使う・使わない」で分類しがちだが、「いつか」「まだ」といった言葉がくっついて厄介。
賞味期限などがある食品以外について、整理が進まないというヒトも多いだろう。
大概のモノ、おまけ言葉(いつか・まだ・)が付いたら、「永遠に(?)あるで」と思った方がいい。そうすれば、モノの整理は加速する。
何かを買う時も迷う。
それも何度も、2人して書いている。(お時間のある時にどうぞ、見つけてね)
「使い切れるか?」という心の声に、葛藤するのだ。
安易(?)な「欲しい」はもはや邪道ですらある。
おかしな、おかしなコギレイ堂。(私達のこと)
モノ選びに迷ったら…
その時は「いらん」「買わん」(いらない、買わない)だと考えるようになった。
複数のモノを前に「この中ではこれが一番いい」という選択も、「なんや違う」と思いはじめている。
そういうモノの選び方をしなければならない事態もあるだろうが、「マシなモノを選んでいる」と感じる。そんな気持ちがどこかでしたら「見送る」もありなんじゃないかな。また今度、いつかどこかで迷わないモノに出会うかもしれない。(この「いつか」はOK)
秋掃除をしながら、モノの整理も進行中。
「さて、これをどうしますか?」を繰り返していて気づいた話でした。
そう思っている時点で、もう答えが出ているような。
迷わず持ちたい、買いたい。
もう、どうでもいいモノはどうでもいい。
ところで。
髪を切りました。(これも、整え?)
こんなご時世も3年目。「自分で散髪」(セルフヘアカットと言え!)も同じく。
若かりし日は、後ろ姿が2頭身。腰くらいまでのロングでした。
加齢とともに短くなっていき、「有働さんみたいにしたい」と美容院でお願いすること数えきれず。でも私の髪の生え方ではできないと、断られること同じ回数。
ボブが定着してしまった。
YouTubeで習った方法で、洗面台前でチョキチョキ。
いつもより短くなった。ちょっと裾を首にそわせて、サイドを耳かけしたらいつもと違う感じに仕上がった。人生で一番短いかも。
なんだか、スッキリ!
(ま)
おひさまが足りなくて、秋掃除がはかどらない~