日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

「シンプルな暮らし」これいかに part.2

以前も書いたのよ、このタイトルで。

ふと、「続き」というか「今(2023年)」考えることを書いてみたくなりました。

「買わない」「捨てる」「真っ白な空間」「どこかの企業のモノで揃える」

ってことじゃあないんだよ~みたいなことが前回の内容。

今も変わらず、そう思う。

では、いってみよう!

 

画像:ガジュマル、植え替えた、大きくなりました!

 

 

 

1.「シンプルな暮らし」って「やめる」ってことじゃない

 

マイ目標が「加齢と共にモノを減らす」

それは自分の気力・体力・記憶力に合わせて、自分自身で維持管理したいと考えるから。「自分自身で」としたけれど、誰かに手助けをしてもらう際にも分かりやすい。

モノにまつわる「手入れ」や、掃除といった「負担」「加齢と共に減らしたい」とも考えている。

 

ここで気づく。「減らしたい」のだ。「やめたい」わけではない。

「やめる」一見潔さそうだけど、モノは何もなくなって、維持管理もしないってどうなんだろう?

好きなモノ・思い入れのあるモノ・必要な道具を「少々」持ち、「大掃除」はできないけど「日々の小掃除」をすることで「清潔な空間」と「健康」を保てたら。

それで、良くない?(=「良いことではない?」の意で読んでくだされ)

 

パンデミックなんてことを経験してしまって、「人間関係」までも「これを機に」って見聞きするが「だいじょうぶ?」って思う。私はそもそも「少なく・深く」タイプなので、何の変わりもないけど。なんだかモヤモヤするのよね。

 

「やめる」方がいいことだってある。無理が生じたり、継続が困難だと判断したなら思い切りたい。(思い浮かぶのがマンションの自治会主催の「夏祭り」、コロナ禍で中止が続きいよいよ「やめる」みたい、代わりの行事を模索中らしい)

暮らしは「モノ」だけじゃない。「家事」「風習」「習慣」や「行事」など、「ヒト」「モノ」「コト」にまつわる色々。「やめる」まで、ちょっとジタバタするのも悪くない。

 

 

2.「シンプルな暮らし」って「数を決める」ってことじゃない

 

「1アイテム〇点まで」(〇に数字が入る」

「整理収納界隈」で、時々見かける「持ちモノルール」

ミニマリスト界隈」に近づくほど、その数は小さくなる。なんなら「0」もあり。

元・捨てられネーゼな私は、他人様から見れば何の役にも立たないモノを未だ持ち続けているし、「自分の収納空間に収まるだけは持ってもいい」としているので「数で管理」はしていない。その収納空間が「ギュウギュウ詰め」はなんとかしたいと思うし、「収納空間自体を減らしたい」とは常々考えている。

それで、良くない?(リピートするのか?再び、「良いことではない?」の意で読んでくだされ)

 

「界隈」の方々にとやかく言いたいのではない。万人には難しいと思うだけ。

「1週間は7日なのだから、マックス7枚でいい」と下着代わりのTシャツについて末弟が言ったことがある。出張が多く、1人暮らしだった独身時代に母がせっせとTシャツを買いだめるものだから「ストップ」をかけたのだ。

「なるほど」と思った。「数学が得意か苦手かの違いだな」「右脳派と左脳派の違いか?」とも。事実のほどは、知らんけど。

「数」は確かに目安になる。万人に伝わるが、できるかどうかは個人差あり。

 

 

3.「シンプルな暮らし」って「趣味を持たない」ってことじゃない

 

「趣味が多いとモノが増える」よく言われること。

では、「それをやめればいいのか?」って話。

「それは暮らしがつまらない」と思ってしまう。「したいことはすればいい」って。

 

わが家の場合、「手芸」が趣味なのでその材料がたくさんある。

「収納空間」を決めているのでちょいちょい「整理」(処分)はしている。「趣味だから」といって、無限に増えていくようなことにはならないようにしたい。

母の年代(80代)では「手芸はやめる」(あっ、「やめる」話)と引退宣言が多い。その材料がわが家にやって来ることがある。これらはあまり使われることがないため、近頃では引き受けないようにしている。材料も自分で選んでこそ楽しいと気づいた。

「むやみに他人様のモノまで頂戴する」はいたしません。

 

「加齢と共にモノを減らす」のお手本としている方の一人が上階の方。

同じ間取り・同年代・同じような家族構成ながら、その暮らしようと家のありようは、40年近く前の入居当時からかなり違う。洗濯機の上部に棚を設けたわが家だが、上階のお宅では絵が飾られている。

「洗濯機の上に絵よ、絵!!!」興奮していた母は、今の私より若かった。

おひとりになられた上階のお宅、若干1名居残った(私のこと)ので2人暮らしのわが家。どちらも、ヒトもモノも激減。ただその差は今も昔も開きがある。

「はぁ~~~、うちはまだまだ減らさなあかんなぁ」と上階のお宅でつぶやく母娘。(私と母だけど)

「え~~~、もういいやん。片づいてるで~。趣味があるから、その分多いだけやん。」上階の方

そうか!「趣味のモノ」の差か?

「趣味ないのぉ~?」訊いてみたところ「ん~~~、数独!」

「紙と鉛筆、本しかいらんや~~~ん!!!」

「趣味」には「モノまみれ」になるものとそうでないものがあるようだ。

 

「さぁ、今日は何を作りましょうか」母の朝の一言。

創作意欲にあふれた80代、良くない?(これで最後、「良いことではない?」の意で読んでくだされ)

「やめる」と言う日まで、「良し」と思っている。

 

 

4.まとめ

なんか、前回よりクドクドした感じに仕上がったような。

 

kogireido.hatenablog.com

 

今夏の暑さには心身ともに参ってしまった。

身近な「更年期界隈」(私の世代)と「後期高齢者界隈」(母の世代)のヒト達にも参ってしまったヒト多数。

「無理なく、気負わず」何度言ったことか。(当ブログの更新ポリシーでもある)

「整え活動」も小休止だった。

「シンプルな暮らし」は気候変動も影響するのか。

そんな日々の中、せめてイエ(家)くらいは過ごしやすく、ヒトがフラットな気持ちでいられる。「シンプルな暮らし」とはそういうことなのかな。まだまだ模索中。

前回、このように締めている。今回も同じ気持ち。自分の文章を引用して、これにておしまい!

 

 

(ま)

 

 

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まなみ

モノの量だけでない「シンプルな暮らし」を考えています。