日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

家から考える家族の形・第三章のはじまり



この4月から、娘が家を出て独り立ちし、

夫と私、二人の生活が始まりました。

こんな日がいつか来るだろうと思ってはいたものの

さあ、その時、私はいったいどんな気持ちになるのだろうと

それは想像できずにいました。

「家」をベースに考えたとき、家族構成の移り変わりで

暮らしや気持ちにどんな変化があるのだろうか。

私たち家族の場合で考えてみました。

夫とは、「第三章のはじまりだね」と話しています。

そんな話を。

 

もくじ

 

 

第一章

30年前の5月。

夫と結婚して、私はこの家に来ました。

ここは、夫の両親が分譲地として購入した土地に家を建て

初めの家から2回の建て直しを経て、3度目に二世帯住宅を建てたものです。

二世帯住宅にはいろいろなパターンがありますが、我が家は玄関は1つ。

一階に両親、二階に私たちが住まうスタイル。

部屋・キッチン・お風呂・洗面・トイレなどは全て別で、内階段で繋がっていますが、

生活動線は二世帯で別々になるように設計されています。

けれど、玄関だけは1つなので、出かけたり帰宅したりする時は自然とお互い声をかけるようにしていました。

友人から「玄関も分かれてたらいいのにね」と言われたこともありました。

そう、確かにそのほうが気楽だったのかもしれません。

でも、あくまで私の場合は、ですが、親子で一階と二階に住んでいて顔を合わせない

というのも不自然な感じがしたし、もし仮に玄関が別だったとしても「おはよう」とか

「いってきます」くらいはきっと声をかけていただろうなと思いました。

夫の父と母は私を歓迎して受け入れてくれたし、尊敬できる人だったので

私はこの新しい家族の一員になれたことにとても感謝し、

母からはお料理や家事全般を教えてもらいながら、新婚時代を過ごしました。

夫は一人っ子だったので、母は娘ができたようで嬉しいと言ってくれて

父は下駄箱(玄関が共有なので下駄箱も共有)に並ぶ私の華やかな靴を見ては

目を丸くしながらまんざらでもなさそうな感じでした。

玄関を共有することで、ほどよい距離感がありつつも家族としてのふれあいもある、

父がいろいろ考えて決めた間取りのおかげで、世間一般で聞くようなトラブルもなく

大人4人で気配りしながらもリラックスできる関係が出来上がっていきました。

 

第二章

2年後、娘が誕生しました。

大人ばかりだった家族に、小さな赤ちゃんがメンバーとして加わったことで

家中に笑顔があふれた時代です。

娘は私たちの愛情のみならず、祖父母の優しさにも日々包まれて育ちました。

二階の子ども部屋には、私が弾いていたピアノが実家から運ばれ、

春が近づくと和室にはお雛様が飾られました。

週末だけは5人で夕食を共にし。

小さな女の子を中心に、想い出も数えきれないくらい生まれました。

 

2011年。

突然母が病気で倒れ、なんとか回復したものの、それをきっかけのように

父も母も入退院を繰り返すようになってしまいました。

二人同時に違う病院に入院していたことも。

つまり、夫と私にとっては介護が始まったということでした。

一階の両親の居住スペースにはいたるところに手すりが付けられ、

門から玄関までのアプローチには外構工事でこれまた手すりを取り付けました。

介護改修でトイレの入り口を広げたり、段差をなくしたり、いろいろやりました。

ケアマネさんやヘルパーさん、リハビリの先生など、毎日いろいろなかたが家に来ては手助けをしてくれました。

両親も老いと病との闘いで何より辛い日々ではあっただろうし、私たちにとっても。

でも全てが一転して暗くなってしまったわけではなく、

しんどい毎日の中にも救いというか、家族としての幸せを感じる瞬間が確かにいくつもありました。

6年間、そんな日々を過ごした後に、まず父が、そして母が安らかに旅立ちました。

 

娘は大学を卒業し、就職しました。入社時の研修は2カ月間、本社のある東京でした。

この時はまだ配属も決まっておらず、研修所とウィークリーマンションでの仮住まいでした。

正式に辞令が下りて、生まれ育ったこの家から通える大阪オフィスに勤務になりました。

夫・娘・私 の3人でのまた新しい暮らし。

私がここに来る前の、父母夫3人で住んでいた、その人数に戻ったわけですが、

私たちはその頃、ことあるごとに父と母(娘にとっては祖父母)の想い出を話していました。

5人で住んでいたこの家には、それだけの積み重なるものがあったのです。

そして、私たちは両親の住んでいた一階を広く有効に使うことも考えながらも、

引き続き二階だけでぎゅっと3人でくっついて住むという暮らしを続けていました。

両親の荷物を片付け、リフォームも済ませたにもかかわらず。

 


二世帯住宅で親世代が旅立った場合、皆さんどうされているのかな。

 

2020年、コロナ禍となり、夫娘ともに働き方のメインはテレワークに切り替わりました。

夫は一階のダイニングを仕事場にし、二階から一階に出勤するような感じになりました。

ステイホームの日々では、家が一番安全で、どこよりも安らげる場所であったことを改めて感じました。

コロナでの混乱や悲しい出来事はもちろんやるせなく、辛いけれど、一方で視点を家の中に置き換えると、家族3人での時間を最後にたくさん過ごせた2年間だったんだなと、今振り返って感じています。

 

第三章

2022年4月、娘が東京に異動になりました。

夫と私、二人の生活が始まりました。

5人で住んでいた家が、3人になり、そして2人に。

一言で言うと、がらん とした感じです。

でも不思議と、寂しさは感じません。

(本音を言うと、やっぱり少しは寂しいのですけれどね)

 

この家とともに、その時々を精一杯やってきたという

もしかしたらこれは達成感みたいなもの。

今はそれに包まれています。

介護もできるだけのことはやったつもりだし

子育ても、私にできる限りで手をかけてきた。

もちろん、もっとあの時こうしたら とか後悔や反省もたくさんあるけれど

やっぱり私にはこうとしかできなかったんだろうなぁと思って。

 

一階はまだ有効活用されずのままだし、娘の部屋もいつ帰ってきても泊まれるようにそのままにしてあります。

将来また、娘が新しい家族と一階に住むということは、、私たちは今は考えていません。

もし娘がそうしたい、と望んだら それももちろんあるのかもしれませんが

彼女には自分の人生をのびのびと好きなように生きて欲しいから。

娘も私たちも、どんな選択でもできるように、大らかに家族を受け入れてくれる

そんな「家」で在ればいいなと、今は思っています。

今は始まったばかりの夫と二人の第三章。

のんびり穏やかに、健やかに。

暮らしはゆるりと、だけど、大きく変わりました。

 

あ、娘は東京で憧れの一人暮らしを楽しんでいます。

それはもう、うらやましいなぁと思うくらいに。

 

 

我が家の歴史みたいになっちゃいましたね。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

(ゆ)