日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

2021春整理*本のこと

「持ち物が多いんじゃないか」

「整理の中の”処分”をしてないんじゃないか」

自覚した頃、最初に着手したのが「本」でした。

減りに減った今、「これも!?」という気になっています。

どうしてます、本。

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小さく、コンパクトになったけど
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まなみ

たくさんの本を所有していました。現在は「少々」になりました。

 

 1.ステラレネーゼ、本に着手!

子供の頃から、本は好きな方。漫画も好き。

よって、たくさんの本を所有していました。「たくさん」は人により感覚が違うけれど、部屋を圧迫し、収納ケースが増える一方だったくらいの量でした。作家別に整然と並んだ光景は壮観ですらあり、それらを「処分」しようなんて気はさらさら。きっかけは壁紙を貼りかえる「リフォーム」でした。

 

 

2.きっかけになったのは「リフォーム」

1部屋ずつ進んだ壁紙の貼り替えは、荷物を動かしながらでありました。予定の部屋の細々したモノは前日までに違う部屋へ。当時、わが家には「開かずの間」(モノだらけの部屋)が存在し、家の中で一番狭い部屋のモノにうんざりさせられたのです。中でも一番多かったのが「本」

 

本だけじゃなく他のモノにも言えるけど、「収まっているモノを全部出すと、ドえらいある」ということ。ほんと、ドえらい、思っている以上の量。試しに引出し一つでもやってみると、すぐに実感できる。それが棚やタンス等の収納家具、押入れやクローゼットといった収納空間と大きくなればなるほど…ドえらい。

 

「今週はリフォームなので定時で失礼しま~す」

20代後半くらいでしたかな、私。「モノ動かし」のため、そそくさ帰宅。仕事をして、公共交通機関を使って帰ってからの力仕事は「残業の方が楽やわ」と思ったくらい。当時60代の両親だけでは大変だったと思います。50代となった私が今あの作業をすると考えるだけで腰が痛くなるから。

 

 

3.本の重さに気づくステラレネーゼ

「本は紙でできている」

当たり前なんだけど、紙の束。それが大量になると、重い、重い。束ねたり、箱に詰めたりして違う部屋へ移動させるを繰り返すうちに、「これをもう一度するのか!?」気づいたわけです。

「キレイに壁紙が張り替えられ、生まれ変わった空間にまたこれを?」再読されることもなく、ただただ並べたり積まれたりしていただけに過ぎないことに久しぶりに手にして気づく。

「これでは増える一方なのではないか!」

これからが「脱・ステラレネーゼ」となるのです。

 

 

4.本を手放す過程*二昔前

最初に処分したのは「文庫本」でした。もう数えきれないくらい。その時々ではまった作家さんのモノがずらりとあり、「読書の歴史だなぁ」と思いました。部屋を空ける期限(翌日のリフォーム)がありますから、手にとってしみじみしたり、読み返したりする暇はない。処分のための「箱詰め・束ね」に全力投球です。

 

「キレイになった開かずの間」に一度は戻しました。そしてゴミの日に合わせて処分(捨てる)を開始。ところがゴミ捨て場まで運ぶのも一苦労。「紙は重いで」を痛感。途中から「取りに来てくれないかな」と、本の買取店を思い出しました。ネットで調べることもできない、そんなにたくさんの買取店もない頃のこと。お店に行き、引き取り依頼をして、後日来てもらうとなんとも手間暇がかかりました。

 

いろんな種類の本をわんさか引き取ってもらいました。「いくらにもならないかもしれません」と言われた(引き取られてから値段がつくという、これまた手間暇)のに、「失礼しました、結構ありました」と電話連絡。カーテンを買えるくらいの金額を、再び店頭に受け取りに。「十年一昔」というけれど二昔以上前のこと、「ゆっくり」な流れです。

 

 

5.本を手放す過程*平成の終わり頃

「漫画は一生モノ」変な思い込み。「捨てるなんて考えられない」そう信じて疑わない。ところが、ほとんど読まなくなっていきました。そしてケースにやはり整然と収納されたモノ達を前に、あの作業を思い出したのです。「急がねば!」

 

既にネット社会、全巻揃っていると高額になるとか、事前に買取価格が分かるとか、自分が安心・納得できる店探し。このあたり、私の「オタク気質」がさく裂します。めんどうじゃない。きちんと箱詰めして、せっせと手放していきました。いえ、本当は段階をふんでいました。「一気に手放す」は漫画歴もないがしろにするように思えたり、再読するかもしれないと考えたりする「元・ステラレネーゼ」の名残。手にして、いや目にしてみると読みづらい。「老眼」という加齢を自覚した時、手放すスピードは加速したのです。

 

 

6.【まとめ】2021春整理*本のこと

「本」はほとんど手放しました。私の感覚で「少々」になりました。「本棚にはその人のシコウ(思考・嗜好・志向)が見える」と考えています。だから人様のお宅で「見てはいけない」と思うくらい。手元に残った「少々」の本達は、本の内容とは別なおかしさを覚えます。

 

画像の文庫本について。大きさも数もいろいろあった本をしまうためのケースはこの小さな2つに。中にはハードカバーだったモノを文庫で、再読したくて再購入したモノもある。これだけなら、ひょいと運べるだろうと考えた量。手にしてみたら、いやまた目にしてみたら、いよいよ手放してもいいかもしれないと考えはじめた桜の頃。

 

(ま)

 

母が75歳の時、白内障手術により視力1.5に復活。今では私より見えています。また文庫本に手が伸びるかもしれない。そう思うとまだまだ往生際が悪くもあります。元・ステラレネーゼ、まだミクロンで残っていると思われます。