私はミニマリストではない。
マキシマリストで、ステラレネーゼだった。
たくさんのモノを維持管理するのは、何かと煩雑になりがち。
災害を経験したり、年齢を重ねたりするうちに「たくさんモノがあることがもはや豊かとはいえない」と気づく。
今の私は「加齢と共にモノを減らす」、ただそれだけを心がけている。
いつになく真面目な序文。
では、いってみよう!
画像:最近の「買う」麻の葉模様のマグカップ、プレート
1.「モノを増やす」つまりは何か「モノを買う」ということ
モノが増える経緯としては、もらったり、舞い込んできたり。(DMなど紙類が多いかな)一番多くて、「心意気」でなんとかなるのは「買う」ことだ。
「なんとかなる」というのは、デザイン、質、機能性など「自分で選ぶ」ことができるという意味。数量の把握や限度、さらには収納する場所、最後の処分まで想像できる。
「そこまで考えちゃいないわ」昔の私もしかり。
「買う」までの思考が安易というか、行き当たりばったり。結果、必要以上のモノに囲まれ整理するために収納グッズ(収納するモノもモノやで)を増やし、片づけた気になっていた。「整理収納が得意!」と大勘違いもしていた。とほほ、である。
モノの整理は「買う」ところから、はじまっている。
2.既視感
「好み」ってある。
似たような洋服やかばんを増やしがちではないかな。
「好み」なのだから、目に留まるし欲しくなる。
一度、落ち着く。
「どこかで見たことはないか?似たようなモノを持っていないか?」
何かを買う前の心の声・第一声は「既視感!」
3.数量規制
そもそもヒトの持ちモノにさほど違いはない。違うのは「数」
家族の人数やライフスタイルの違いにより、その数は一定ではない。
また他人様に決めてもらうようなことでもない。
自分の住まいに合った数とは、
- そこに住まうヒトが快適に過ごせる
- 維持管理が楽にできる
だとしたら、「何が好きか」「どのように過ごしたいか」「収納空間の活用」と多岐に渡り考える。
やっぱり、他人様に決めてもらうようなことでもない。参考にすることはあってもね。
一度決めたからといって安心はできない。
ライフスタイルも変化するから。家族構成の変化や加齢は等しくみんなに起きる。
- 時々見直しをする
- 維持管理の「手間」は減らしていく
「数量規制」は書いてみると、長期戦。
同じような家族構成、同じような住まいでも「シコウ」(思考・嗜好・志向)の違いは大きい。「わが家の数」はやはり、そこに住まうヒトが見つけられたらいいな。
何かを買う前の心の声・第二声は「どこにしまう?」
むやみに増えることはなくなるはず。
4.ゴールを想う
「捨てる」に罪悪感がともなう。
元マキシマリスト・ステラレネーゼとしては「捨てる」は修行でありました。
「処分」の中に「捨てる」があって、「もらっていただく」(「あげる」は上から目線だと感じるためこの表現)や「売る」「リサイクル」もある。
「整理には処分がある」と気づいた当初は、「捨てる」以外に勤しんだ。
「もらっていただく」は「捨てるをお任せする」ような気になり、簡単にはいかない。相手に気も使えば、探す時間もかかる。それより早く手放したいと今は考えるようになった。
「売る」は「自分が思うほど価値はなし」と悟った。
「やっほぉ~い!」となったのは、バブル時代の貴金属だけ。箱詰めしたり、持ち込んだり、頑張ったこともあったけれど今はそんな気力なし。
もう「売る」はしないと思う。
「リサイクル」は気分的に楽だと感じる。
自治体のゴミルールにしたがって出せば再生される。
また「売る」をしなくなってから、寄付型のリサイクルショップを利用。取りに来てくれるのが何より楽で、わが家では不要となったモノが活かされることも罪悪感をまぎらわせてくれる。
「使い切る」も頑張った。過剰なモノを「使い切るまで買わない」と決意。
使い切ってからの「捨てる」は爽快感というか、自分に対してはもちろん、モノに対しても「ご苦労さん」と感じられた。「罪悪感のない捨てる」もある。
「使い切る」「捨てる」は自分がすること。
最終的に「捨てる」なのだとしたら、使い切って捨てたい。「ご苦労さん」を言いたい。
何かを買う前の心の声・ラストは「使い切れるか?」
5.その先にあるもの
いつからか「使い切れるか?」の次の声が聞こえます。
「捨てる時は、どうする?」
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今から買おうとするモノに「捨てる時は、どうする?」とは興醒めかもしれない。
でもねぇ、聞こえるのよ。ここまできたら「買う」がむずかしい。
6.まとめ
モノが多くて片づかないという場合、「買う」を再考してみたらいいと思う。
経験者として言わせていただくと、収納するモノを買ってきてキレイに収めたところで使いこなせなかったり、存在を忘れたりは何の意味もない。
本当の整理(処分をメインとする)をはじめなければ気づけなかった。
バブル期に青春時代を過ごしたので、モノに贅沢だった。たくさんのモノに囲まれたことも、モノを選ぶ目を養ったと思いたい。
自分で維持管理できる範囲の好きなモノ・思い入れのあるモノ・必要なモノを、少しだけ持ちたい。「買う」もまだまだ楽しみたい。
モノを増やす前、私は心の声と問答しています。
(ま)
友人は何かを買おうとする時、私の顔が思い浮かぶそうです。ふふふ、なまはげ?