モノの整理を本格的にはじめた頃、過剰なモノに途方に暮れました。
それらを前に「とりあえず、使おう!」心の声
モノは勝手にはやって来ない。
自分や家族が持ち込んだモノ、使って、使って、使い切ってやる!
片づけの心意気として一番心がけていること「使い切る」
自分で選び、買ったモノを「ご苦労さん、ありがとう~」と捨てる、モノを「使い切る女」になりたい!
どんだけ「使い切る」って書くかという序文でした。さぁ、いくぞ!
1.30代、「使い切る女」になりたい
「自分の元から手放す方法」は色々ありますが、「まだ使える」というモノを使わずに「捨てる」ということに躊躇。
「使える」「まだ」はモノの整理において、「NGワード」とされる。「使いたい」「今」が正しいと知ってる、分かってる。
それでも「処分」に慣れない時期は誰もが思ったり、言ったりしてしまう。私ももれなく。
「使えるから捨てられないモノ」の多くは日用品。
洗面所周りだけで、石鹸・洗剤・歯磨き粉・歯ブラシ、シャンプー等の試供品…などなど。これが各場所で同じように多過ぎる。私物はこれまた衣類、化粧品、文房具…などなど。どれだけの「などなど」か!
「とりあえず使おう、これらを使い終えるまで買わない!」
「その後は自分で選び、持ち込んだモノを使い切るようにしたい!」
2.40代「使い切る女」になれた!(と思う)
使い切りました、ほぼ。使い切れずに「ごめんなさい…」と捨てたモノもあるけれど。(告白)
何かだけというのではなく様々なモノが過剰だったので結構な時間を要したが、モノと向き合う時間だったように思っています。「整理」の中の「処分」にはいろいろあり、中でも「捨てる」に罪悪感が伴うのなら「使い切って、清々しく捨てる」を目指したいと考えるようになった時期。
今は旅先でのアメニティグッズを持ち帰ることや、粗品をむやみにもらうこともない。粗品は「ただやのに?あげるって言ってるのに何で?」という顔をされるけれど、「使い切る自信の持てないモノ」についてはやんわりとお断り「持ち込まない努力」をする。もちろん使いたいモノは「ありがとう」と頂戴するけれど。
「使い切る」を意識した行動で小さな「気づき」
小さくともたくさん。多過ぎたモノを使い終えた後は、新たに買うささやかなモノに対しても考えるようになったのです!
「使い切れるか?」心の声で自問。余談ですが親しい友人も何かを買う時私が思い浮かぶとか。手に取ったモノを商品棚に戻してしまうことがあるらしく、もはや私は「なまはげ」的だなぁと思うくらい。
日用品については「どのくらいで使い切るか?」という計測をしてみたことがあります。「化粧水は?」「シャンプーは?」「トイレットペーパーは?」と「わが家の使用スピード」から「適正なストック量」も見えたことで「持ち過ぎ」を回避。結果として部屋、家全体が「スリム化」できたようです。
この頃には「捨てるへの罪悪感」は薄らぎ、モノを手放すことに慣れたというか気持ちと行動が伴うようになっていました。
モノが減り、空間が増えた結果↓ 古いマンションも蘇り!
↓玄関脇の開かずの間→モノ入れ付き玄関ホールに
3.「使い切る女」が及ぼす家族への影響
親の家の片づけ、社会問題になりつつありますね。母と娘、いつまでもその関係は覆ることはないのではないか。
片づけ下手な母と、片づけたい娘の葛藤はわが家も同じ。争いの最後はいつも「私の家ですぅ~!」母
返す言葉もない、ぐうの音も出ないってやつ。それが母の加齢と共に「手伝って」にはじまり、今では「任せる」と事態は変化していきました。
娘がコツコツ片づけてそのことを書いていること、「使い切る女になりたい」と思っていることも母は知っていて、「使い切る女のママだから」とまで言うように。母との片づけ作業は「高齢者のモノに対する思い」「気力はあっても体力が追いつかない」等いろんなことに気づかされました。ただ処分を促すだけでなく、寄り添って、繰り返して「片づけたい」という気力を倍増させればいい。収納や処分などの体力が必要な作業はこちらが受け持てばいいと。
もうすぐ82才になろうとしている今の母は「あとちょっとやから、ちょっとでええねん」と言う。先の「ちょっと」は「人生」、後の「ちょっと」は「モノ」のこと。シュールです。とはいえ、スマホでゲームはするし75才からミシンをはじめるし、まだまだ「だいぶ」(=たくさん)だと思いたい娘心。母も「使い切る女」になったのではない!?
4.50代の今「使い切る女2人の暮らし」
父を見送り、弟達は独立し、母との2人暮らしもゆうに10年を超えました。
「私達がいなくなったらこの家にあるモノ、全部ゴミやから!」
いつだったか片づけていて出た私の言葉。母にささったようで、「ゴミ、全部ゴミ…」とつぶやいていました。ストレートというか、きつい言葉ではありますが処分を促す決め言葉、自分の背中を押すおまじないと今では二人とも心しています。
弟達、義妹達、姪、甥達にもこのことは伝えています。
「だから、なるべく片づけとく!」とも。身内や親しいヒトが受け継いで使ってくれるモノがあればいい。でも、それは期待も無理強いもしないつもり。
5.「使い切る女」のこれから
40代後半くらいから、心身ともに不調がみられます。老眼や五十肩のような笑い飛ばせるものからそうでないものまで。「いつか明ける日が来る!」と諸先輩に励まされ、その日を楽しみに生きています。(大そうなんですけど)
(ま)
【50代のおうち箋について】
片づける話は個人的事情満開。ここまで書いて「セキララやなぁ」と自分でも思います。「50才も過ぎたし、まぁええか」という気持ちがどこかにあって、「50代のおうち箋」は今までも書いてきた私の片づけ話の総集編みたいになればいいかなと考えています。それが少しでもどなたかの参考になったり、私達よりお若い人に「ふぅ~ん、そんな風に考える時が来るのかな」と思ってもらえたらそれでいい。
今の私は「使い切る女」から「始末のいいばぁさん」になりたいと思っています。
本日も長々と。ありがとうございます♪