日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

「始末がいい」ということ

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「ケチ」ではない。

「倹約」「節約」とも違う。

うまく説明できないけれど。

自分で選び、家の中に持ち込んだモノを

できるだけ「使い切りたい」と考える。

その結果が「始末がいい」ではないのかな。

そんなこんな話。

では、いってみよう!

 

画像:本文とは無関係。いつかのゆみちゃんからのいただきモノ、小さなリンゴ達

 

1.「ケチ」「倹約」「節約」についての個人的見解

 

先の3つは、どこか「無理」が感じられる。

そのヒトの性質背景によるところがあるかもしれない。ある時期「せざるを得ない」ということも人生のうちにはあるってもんさ。(なぜに、もんさ)

 

「ケチ」はどうもイメージがよろしくない。たいてい、悪口に登場する言葉。

自ら「ケチやねん!」と言えたら、ある種の潔さを感じる。まぁ、とにかく、あんまり言われたくもないし、言わないかな。「愛すべきケチ」もあると思うんだけど、「ケチくさい」はイヤだな。

 

「倹約」「節約」こちらはまとめて。

ある時期とか目標に向かって「頑張っている」感じがする。その成果が出ているのなら、なんと素晴らしい。努力賞。

だが必要以上のモノを抱えながら、わずかに安いとかポイントのために食材や日用品を遠くのお店に走ったり、お店のはしごをしたりして買い求める。(ネットもあるなぁ)これには「どうよ!?」の心の声。

その労力時間「わが身の酷使」だろうと思わなくもない。

「倹約」「節約」と言いながら、「隠れ無駄遣い」になってやしないだろうか。こちらは「お金」「モノ」だけじゃないよ、「時間」「自分」もだから。

 

 

2.「ケチ」「倹約」「節約」と「始末がいい」

 

「始末がいい」「ケチ」「倹約」「節約」とも深い関係があるように思う。表裏一体か、紙一重か。

 

最後まで使い切ろうとするあまり、「ケチ」に見えることがある。

絞り出しにくくなった歯磨き粉を私は切る。近居な義妹に自慢(?)したところ、「当たり前~」と言われた。彼女もスッカリわが家に染まってしまった。

ささやかなモノでも使い切る。「始末がいい」に込み込みだと思う。

 

「倹約」「節約」は「消費」の見直し。

使いすぎているのではないかと省みるのは「モノ」であり「お金」であり。

見直した結果、減らせることができたとする。そこに「無理」がなければ「始末がいい」ということにならないだろうか。

その時点で「過剰」だと感じられたモノやサービスを減らしたところで支障がなく、結果として消費を小さくできたのは「倹約」「節約」とはちょっと違うと感じる。

「もういらないのではないか」「減らしてもいいのではないか」と考えて、その時点でのスタートに戻すような感じ。

「過剰」だと感じたまま、継続することはない。

手続きがめんどうであったり、長く習慣のように続いていると「そのまま」になりがち。それをタイムリーに見直し、減らしたり、やめたりする。

「始末がいい」とはそういうことなんじゃないかと思う。

 

 

3.「使い切る」先にある「始末がいい」

 

「後始末」という。物事をした後に片づけること。

ヒトは「モノ」だけじゃない、何かを片づけ続けている気がする。日々の家事も、仕事も、対人関係も。(もっと他にもあると思われる)

 

私は「モノを片づける」ことばかり書いているので、「モノ」で考える時に「使い切る」の先に「始末がいい」がある。

自分で選び、家の中に持ち込んだモノはなるべく使い切りたい。

見誤って途中で嫌になったり、合わなくなったりして、使い切ることができずに「処分」ということもまだまだある。「捨てる」に罪悪感を感じるのはそんなモノ。

ささやかなモノでも使い切れた時には「達成感のある捨てる」が待っている。

そこに気がついてからは、「達成感のある捨てる」を連続更新したいと考えているくらい。この「連続更新」こそが「始末がいい」だとも。

「使い切る」は「モノの後始末」のうち。

 

 

4.50代の私が考える「始末がいい」

 

ジュゲムジュゲムになっていないだろうか。

「ケチ」「倹約」「節約」「始末がいい」の嵐。

 

なくなりかけた歯磨き粉を切っている自分に笑いを含んで「うわぁ、ケチ!」と思うし、「いやいや、もうすぐ使い切る!えらいぞ!」とも思う。

モノを整理する時に「処分」がなかった私としては、「使い切るの練習」であり、小さな達成感を積み重ねている最中。(もう50代なんだけどさ…)

 

はたから見て「ケチ」「倹約」「節約」をしまくって「始末がいい」のはイヤなのだ。

どう言えばいいのかな。何かを選ぶ際に「安いこと」「量が多いこと」が一番にあるのは50代となった今は「いただけない」と考えてしまう。

ちゃんと自分が納得したモノを選びたい。

無駄にもしたくない。

気負うことなく、抱えすぎない。

今、思うこと。

 

 

5.まとめ

私には「始末がいい」は「ほめ言葉」なんだと思う。

今回「思う」表現が多くて、「まだまだ迷い中なんだなぁ」の心の声。

「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマなので、終着点は「始末のいいおばあさん」ということかな。

「ケチ」「倹約」「節約」は今からでもできて、すぐに止めることもできるけど、「始末がいい」は長期戦。そうそう簡単なことではないかもしれない。

 

(ま)

 

 

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まなみ

心意気、伝わったでしょうか?読んでいただき、ありがとうございました。