日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

50代のおうち箋「イイワケ三昧」

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わが家


「狭いから」

「忙しいから」

「子供が居るから」

「片づかないイイワケ」を見る、聞く。

本当は「片づけないイイワケ」じゃないだろうか。

イイワケ三昧、そろそろやめてみよう!

 

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まなみ

序文から「耳が痛い」と感じる方もいらっしゃるかも!?では、いってみよう!

 

イイワケワード1:「狭いから」

部屋、収納空間、家のことをさすのでしょう。確かに住空間が広ければ、モノをたくさんしまうことができる。でも「たくさんしまう」ことはそんなに重要なんだろうか。「モノ」を優先して「ヒト」を置き去りにしていいのだろうか。「~だろうか」ばかりになりそう。

 

子供の頃、大きな団地に住んでいました。同級生のほどんどが団地っ子。多少の広さの違いはあるけど、似たり寄ったりの間取り。両親と子供2人くらいの、これまた似たり寄ったりの家族構成。

でも違うのですよ、住まいの整え方。同じような間取り・家族構成なのに「あそこのお宅はいつもスッキリしている」なんてこと、みんなに「あるある」だと思う。「広さは片づかない理由にならない」と気づかされる。

 

家が器だとしたら、大きかろうが小さかろうが合わす。モノをたくさんしまうために収納空間を大きくしたところで、ヒトは小さくなって過ごさなければいけないというのはいかがなものか。「合わす」のは「モノ」「ヒト」それぞれの空間のバランス。

 

「ヒト」のための空間を大切にした方が暮らしは楽しい。年長者は特に安全性も上がるし、加齢による様々な不便を手助け(ヒトのための家具や福祉用具の導入など)することにもつながる。

 

モノが部屋にあふれていて「狭いから」、それはないかなぁ。

モノの交通整理をしたら、そこに住まうヒトみんなで元に戻すことができたら、片づく。「広さ」はそれほど関係ないと思う。

 

イイワケワード2:「忙しいから」

「私、暇で暇でしゃーないねん」そんなヒト、いる?

皆さん何かしらお忙しい。私の個人的見解ですけど、「忙しい、忙しい」っていうヒトに対して「ふぅ~~~ん」って思う。もしかして段取りが悪くて時間に追われているのかもしれないし、何らかのアピール(?)かもしれないと感じてしまうから。

 

「忙しそうね」他人様に言ってもらう言葉じゃないのかな。いくつかの職種・職場を経験して「忙しいヒトに仕事は流れる」と悟った。そしてその「忙しいヒト」は自分で決して「忙しい」とは言わない。

自分で「忙しい、忙しい」って言うヒト、あまり信じられない。(ごめんなさい、しつこいけど私の個人的見解)私も言わないように気をつけてます。それに「いいこと」が「このヒト、忙しいのかぁ~」って逃げてしまいそうだから。

 

「忙しそうなヒト」こそ、住まいは片づいていた方がいい。片づく仕組みができていれば、掃除や維持管理も住まうヒトみんなでできる。一人で頑張ることはない、「忙しい」を分けちゃえ!

 

イイワケワード3:「子供が居るから」

かわいそうね、子供達。確かに子供って持ちモノが多い。学校のモノ、おもちゃ、習い事のモノ、スポーツ用品など。

でも子供が全部持ち込んだ?違うよね。

 

「片づけ」は学校で教わることじゃない。学校の貼り紙は「整理整頓」だった。「使ったモノを元の場所に戻す」ことができる前提で「次のヒトが使いやすいように乱雑にせず、わかりやすくきちんと戻しましょう」というのが「整理整頓」なのではないかと思う。学校では「たくさんのヒトとモノを共有すること」を覚えて「自分のモノを自分で維持管理」を実践する家以外の初めての場所なんじゃないのかな。

 

「使ったモノを元に戻す」という片づけの中で一番シンプルなことは、小さいうちから身につけておいた方がいい。そう考えているので姪や甥達にも伝えてきました。(4人のうち2人は同じマンション内の近居、甘やかすだけでなく近しい見守る大人であり、おばという認識が双方にあまりないのですけど。「じぃじ」っぽいおば?)

最初に「片づけようね!」と言ったら、「???」キョトン顔だった。「通じない!」と分かり、「元に戻そうね!」と言い換えたのはもうずいぶん前のことに。

 

最初は「放り込み」(ただおもちゃ箱に入れるだけ)、「分けて放り込み」(ままごと、人形などの子供に合わせた大まかな分類)と片づけも成長させていった。

「オカタヅケ、No.1です!」姪のことを、幼稚園の先生がおっしゃったと義妹の報告。「遊んだ後は元に戻す」一緒にやった成果です。

 

「子供」ってすぐ大きくなる。先の姪も15才。近所でありながら最近は顔を見ることも少ない。それでいい、そんなお年頃。幼い頃はわが家への出没率が高く、彼女のモノもたくさんあった。それらを本人と整理し年々減らしてきた。元・おもちゃ箱は空けてもらって、今は私の「かばん箱」になっている。

 

姪はまだあまり話せないうちから、わが家のモノの場所を把握していた。母が「ものさし…」と言いながら取りに行こうと立ち上がろうとすると、姪の方が先にトコトコと持ってくる。膝が悪く立ったり、歩いたりがゆっくりな「ばぁば孝行」は早くから。驚きながら「なんぞの時には助かるはず」と少々邪な考えも持ちつつ、わが家のモノのありかを伝えてきた。だって子供はすぐに頼りになる存在になるのだから。

 

↓姪6歳頃「インテリアごっこ」、フライパンはジャグジー

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「イイワケ三昧」まとめ

結局のところ、「片づけの先送り」なんじゃないかなと思います。

50代のイイワケにはならない言葉もありそうです。広い家や部屋を持て余し気味に感じたり、おもちゃを使うような子供達は成人していたり。そして元・子供達は片づけられていますか?

 

イイワケして片づけを先送りできている間は、なんとなくやり過ごせているかもしれません。

でも片づけなんか放ってでもしなければいけないこと(自分・家族の病気や不測の事態)が起こるのが暮らし。その際に家の中がある程度整い、一緒に住まうヒトみんながやはりある程度維持管理できれば暮らしはまわる。50代ともなれば、子育てに目途がついて親の見守りが必要になってくる時期ではないかと。余力を持っておくためにイイワケとは決別した方がいいと思うのです。

 

「家」って自分や家族が英気を養う場所。何よりのパワースポットでないと!これからは気力・体力も落ちていく。もうイイワケしている場合ではない。今のうち、今のうち!

 

 

(ま)