日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

お風呂とか、バスタオルとか、光熱費とか

月末が近づくと、玄関ドアのポストに電気とガスの検針結果が入る。

今月の光熱費の発表の瞬間は「ガタン」という音とともに。

「さぁて、いくらでしょう?」お決まりで訊いてみる。

「ん~」と言って、だいたい言い当てる80代の母。

毎月「ギャフン」と言わされる。「主婦の勘」衰え知らず。

暮らしの経費的なこと、「過ぎたる節約はもういい」と思っている。

では、いってみよう!

 

 

●目次●

1.年がら年中、お風呂につかりたい

 

ガス代、水道代が「経費」かと。

「常にシャワー」「夏はシャワー」「季節に関係なく、浴槽にお湯をためる」といろんな「派閥」がある。わが家はタイトルどおり。毎日浴槽につかり、「ふぅ~」と言いたい。

わが家のご近所、縦列は角部屋の同じ間取りのせいか、家族構成・年代も入居当時から似ている。新築当時から40年近くなろうとし、「未亡人率」の高いこと。「超高齢化社会」はニュースで言われずとも実感。この「縦列チーム」の中でも、上と下の階の方とは親しい。もう一つ上の階の方も、近居な末弟宅のお隣ということで出会えばお話をさせていただくようになった。わが家を含め交流のある4件は「未亡人率100%」すごい。皆さん、フロアーにおいて「長老」だ。

 

背景話が長くなった。どうも「おひとり」になると、「浴槽にお湯をためる」「毎日洗濯をする」ということが「もったいない」と感じるらしい。(ごくごく狭い、年代、件数の私調べ)

わが家でも、どちらかが具合が悪く「今日はお風呂やめとくわぁ」となると「ほな、私もやめとこう」か「ほな、シャワーにしとこう」となるから、わからなくもない。

健康番組が気になる世代となって得た情報によると、「入浴は毎日、浴槽につかった方がいい」らしい。お湯のはり方、入る順番(高齢の母が後)など「うち、やってる~」なことが多く、長く「より良い風呂活動」を模索していたが定着した。

80代においては水道代、ガス代のことより「今日も元気にお風呂につかる」をできることが何より。

 

 

2.バスタオルを使いたい

 

かさばるからなのか。近頃「バスタオルが嫌われている」と感じる。ミニマリスト界隈(どんな界隈)では「悪」かのように書かれ、「かわいそうに」の心の声。

入浴後、大きなタオルに包まれるのはほっとする。ダメなのか?私には、バスタオルを使う習慣はやめられない。

「バスタオルを何日使うか問題」(問題なのか?)が巷ではある。日数はもちろん、複数人で一枚を使うとか、もう想像がつかないバリエーションの多さ。論争になりかねないし、巷は気にしないことにしている。(以前のブログでタオルのことを書いたら、それまでコメントを交わしたこともない通りすがり(?)なヒトから「洗濯の頻度は?他の洗濯物と分けるか?」など怒涛の質問攻撃にあい辟易した、ネチケットはどこかにいったのか、衛生論争はしない主義)

 

わが家は「1人1枚使い、毎日洗濯」だ。大物(シーツなど)やマット類を除く、日常使いのモノはバスタオルから下着まで「一緒くた洗濯」(分けるほどの量ではない)

80代と50代の母娘二人では、どろんこなモノもなく「それでいい」と思っている。ただ「バスタオル2枚」があるため「洗濯は毎日」で未亡人衆から「毎日せんでも…」とか「2人やのに洗濯モノをいつも干している」と余計なお世話なことを言われるが(言えてしまう長いおつき合いということか)「毎日お風呂につかりたい」からの一連の流れでこうなっていると思う。

 

「バスタオルはかさばる」と気づいてはいる。干す場所を圧迫(?)するため、「バスタオルハンガー」なるモノを買ってみたが、やはり広げて干したい。今度は私の「どう干したいか問題」だ。「バスタオルは使わない派」はどうも「フェイスタオル」を使っているようだ。「それはちょっと小さくはないかい?」「小さいのでチマチマと一生懸命拭くのか?」と心の声はいつかのコメント主のよう。

ある日、「ミニバスタオル」なるモノを見つける。バスタオルの長さで、フェイスタオルより少し広い幅。(各種サイズを調べたところ、スポーツタオルに近い大きさ)

買ってみた!具合がいい。バスタオルに使用感は近く、干す場所も圧迫しない。あんなに「バスタオルを使いたい」と思っていたが、ニューサイズに移行していくつもり。

 

画像:ミニバスタオル、他にも買ってみたがサイズは各社違う(統一してくれ)、サイズ研究開始

3.「食べる」が楽しみ

 

バイキングのお店に興味がなくなったり(元が取れなくなったから、自分で取りに行くのがめんどくさくなったから)、食す量が減ったりしてくると「ちょっといいモノ」が食べたくなる。先日もテレビで「醤油比べ」を観ていた母が「これ、買って!」とメモを渡してきた。何時間も、何種類も、アナウンサーや食のヒトが比較を続けた結果の栄光の1位のモノ。「これが一番やねんて!」鼻息荒めの80代女性(母だけど)

 

料理を作る気はだんだん失せていくようだが、「食べたい」は永遠なのだろう。量が多いと、食べきる時間の延長。安いだけというモノは、そんなに美味しいモノではない。(わが家比)そうなると、「ちょっとの、ちょっといいモノが食べたい」となる。

「食欲」わが母はしんどくても、食欲だけは決して衰えない。食費のわずかな節約より「今日も元気に食べる」このことが何より。

 

 

4.まとめ

 

「節約」という観点からすると、「まだまだアオイで」なことをしています。

そもそも「節約」する気がない。必要以上にジャージャー水を使うとか、誰もいない部屋の電気をつけているということはしない。それも「節約」ではなく「始末」だと考えているし、何をもって「節約」とするのかこんな年齢になってもよくわからない。

 

毎日お風呂に入って、洗濯して、ちょっといいモノを食べたい。それにまつわる経費は過ぎたり家計に支障をきたさなければいいのではないかと思う。

こんなご時世で、どんどん物価も上がっていく。この影響がいつから、どんな風にと想像もつかないけれど「始末をしながらも、したいようにする」ができたらいいな。

 

(ま)

 

 

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まなみ

「お金」の話のつもりが光熱費、日用品から家事にいたるまでの話に。読んでいただき、ありがとうございました。