日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

ミニマリストにはなれなくても*心意気

「必要最低限のモノしか持たない人」

ミニマリストの私のイメージ。

その「必要最低限」は「その人にとって」で、私の想像をはるかに超える少ない量。

「すごい!!!」とは思うんだけど、私はミニマリストにはなれないなぁと思う。

そんなこんな話。

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本文とは無関係、いつかの美味しいモノ
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まなみ

加齢と共にモノは減らすよ、でもミニマリストとはちょっと違うかなぁ~

 

 

1.「ミニマリストの登場」以前の片づけと当時の私

その昔(20年くらい前でしょうか)の「片づけ」はたくさんのモノをどうにかして(収納グッズを使う、方法を工夫する等)キュキュキュっとしまうことでありました。そんな番組・本がいっぱい。

 

私、子供の頃からそういうの(片づけ、整理収納、インテリア)が好きでして、母の友人から借りる「美しい部屋」(主婦向け)を楽しみにしている小学生でした。(お宅オタクは一日にしてならず)

 

そんな方達の集団(サークルみたいなもの)があると知り、「入りたい~!」と書き叫んでいたところ、ご縁があって仲間入り。30代前半くらいのことです。主婦のベテランさん達の中に、おひとり様30代、おもしろい世界でした。

 

この方たちの実例(お宅拝見)はとても興味深いものでした。年代、家族構成は違っても家の中にあるモノは似たり寄ったり。今思えば、どのお宅も数としてはたくさんのモノをお持ちでした。そのたくさんのモノを、当時の私には斬新なアイディアで整理収納している。その方法は「真似したい!」と思うものもあれば、「どうよ!?」と心の黒い声がつっこんでいる場合もありました。「どうよ!?」は「めんどくさい」と感じたり、収納するモノに納得できない(食品が入っていた容器・トレーやパックの再利用)時でした。

「牛乳パックやおじゃこが入っていたモノは処分したい」「継続して使うモノではない」若輩者は実は心の声でいっぱいつぶやいていました。

 

2.「ミニマリストの登場」には「時代」を感じる

「片づけること」を声高らかに話題にする時期だったなぁと当時を思い出します。その後は話題にする人はして、細く長く続いてきた。そこでまた声が大きくなったのが「ミニマリストの登場」ではなかったかと思います。こちらは工夫はない、モノを減らす。「工夫」があるとしたら「質と数の厳選」かもしれない。でも「少ない者勝ち」みたいに感じてしまう。

 

日本中あちこちで起こる災害が、家の中の安全を見直すことになりました。「生まれてからずっと不景気」という若者の物欲・所有欲は私達のような「青春時代がバブル期」という世代からすれば「少ない」と感じます。こういった時期・経験を経て「たくさんモノがあることが豊かではない」と多くの人が気づいた結果の「ミニマリストの登場」だったとしたら、とても納得のいく流れです。

 

3.私にとっての「モノの持ち方」心の師匠達

「加齢と共にモノを減らす」がマイテーマです。気力・体力のあるうちに、できれば50代でだいたいの目途をつけたい。そんな風に考えています。それは「ミニマリストに50代でなりたい」というわけではありません。私自身が維持管理できる量でありながら「好きなモノ」「使いやすいモノ」「思い入れのあるモノ」をできれば「ちょっと」で暮らしたいのです。

 

そういった暮らしをされている年長の方に影響を受けます。一番私の目を覚ましてくれたのは大原照子さん(料理研究家)でした。この方の著書には「ガガガーーーーン!」(擬音で失礼)でありました。私の教科書であり、今でも読み返すことがあります。

 

角野栄子さんもまた。「魔女の宅急便」は大好きな映画です。(インテリアはガン観です!)原作者はまた魅力的な方です。その住まいもご自身の佇まいも。

 

黒柳徹子さんはかわいいモノ、素敵なモノに囲まれていらっしゃる。昨日今日集めたモノではなく、若かりし日のモノもたくさん。インスタで拝見する度に「若い頃からモノを選ぶ目があったのだなぁ、”好き”に迷いがないなぁ~」と感心させられるのです。

 

この方達が幼少の頃は「モノがない時代」であったはず。それでも「自分軸」のモノ選びを形成されてこられた。あふれるモノに惑わされることはなかったのか、そういう時期を経て今はそうなったのかは分からない。ただ住まいや身の回りのモノが年齢を重ねても「私らしくある」という状態に憧れと、「私もそうなりたい」と思わずにはいられないのです。

 

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母の嫁入り道具、健在!半世紀以上使用中、立派にわが家でアンティーク雑貨に。母も師匠達と同年代

 

4. 【まとめ】ミニマリストにはなれなくても

ミニマリスト」と呼ばれている方達の「モノ」に類似性を感じます。「似ている」と思わずにはいられない。所有する少ないモノが有名企業の製品で、手に入れやすいモノであることが多く、最近のモノばかり。そこに「私らしさ」、その人自身の「シコウ(思考・志向・嗜好)」はあまりうかがえない。少ないモノがその企業イメージばかりを浮き立たせて「インテリア」は感じられず、なぜか残念に思えてならない。

 

「私の個人的見解」満載でした。ミニマリストが「ただモノが少ないヒト」という定義だとしたら、私はなれないだろうなぁと思います。

「暮らしを豊かに、楽しくしてくれるモノ」

「暮らしの手助けになるモノ」

「思い入れのあるモノ」「好きなモノ」

そういうモノが部屋にあり、インテリアを形成する。そんな「住まい」で暮らしたい。それはやはり「一日にしてならず」なのではないかと思うのです。

 

家の中のこと、「自由」で「人の勝手」です。何が正解っていうのもない、きっと。そこに住まう人みんなが良ければ良しです。でも他の誰かのあり様に影響を受け参考になることもあるから、まだまだ興味を持って「日々、整える」(ブログ名ですけど)を頑張ります。

 

(ま)

 

ミニマリスト否定ではありません。ん~、住まうヒトの個性が住まいにあまり見えないのが私には味気なく感じるのだと思います。少ない中でキラリと光る、そんな風なら私もなりたい。あっ、住まいに個性を求めないヒトもいるかぁ。尽きない話。