大きな地震、その後の臨時情報の発表、台風。
このお休みはなんだか、なんだか。
そんなお盆休みの間の「整える」
暑くて、気力もなければ体力もないんだけどなんとか過ごしています。
早く涼しくならないかなぁ。まだまだよねぇ~
では、いってみよう!
画像:麻の葉模様、小鉢の新しさん、ヘビロテ、軽めで扱いやすい
まだある「物欲」
マイ目標「加齢と共にモノを減らす」
80代の母も賛同してくれていて、「私達がいなくなったら、この家にあるモノは全部ゴミ」を合言葉に整理活動に勤しんでいる。
「ただ減らす」ということには執着しておらず。(おばさん&おばあさんはミニマリストになりたいわけじゃない)
「捨てる」を減らして「使い切りたい」の志。
暮らしの中で使ってうれしいモノ、楽しくなるモノ、そんなモノはまだまだ欲しい。
いつかの陶器市で買ったプレートとマグカップ。
「小鉢もあったらいいのにね」
見つけた!
2人で1人前しか食べられないけど、食事が楽しくなる。
「新しさん」(新しいモノのこと)を迎えるのは、やはりうれしい。
帰省の簡素化
年々、「帰省」が楽になっていく。
こちらは迎える側なのだが、帰省前の準備(買い出しや寝具の用意など)、滞在中は3度の食事、チビーズ(甥3姪1=人数)の相手、帰省後の後片づけといつもの暮らしとはかけ離れた忙しさ。盆暮れ正月、へたしたらGWも4泊5日コース。
帰って来る方も混雑する中の移動は大変だろうが、迎える側も決して楽ではない。わが家ではその任務の大半を私が担っていることを誰も知る由もない。
十数年、いろんな葛藤や事件もあって、「GWはなし」「2泊3日まで」と母の大号令で少しずつ負担は減っていった。
いつまでも続くことではない、チビーズはすぐに大きくなって自分の世界を持つようになる。そうしたら、自然に帰って来る機会は減る。老いていく母の息子や孫と会える時間を想った時、「少しでも長いように」と思い頑張ってきた。
コロナ禍により奪われた時間は本当に大きい。
「オンライン帰省するね~」と甥っ子達が母にビデオ通話してきたり、美味しいモノが行ったり来たりという交流が続き、やっと会えた時には母は孫全員に背丈を追い越されていた。
わが家での「宿泊はなし」になった。
義妹のご実家に行く前にわが家へ寄るだけ。食事は同じマンション内の末弟宅で、料理の得意な義妹が用意してくれ、宴の会場も末弟宅になった。
昨夏に私が調子をくずして、そうなったのだ。今夏の帰省は皿1枚洗わなかった。
いいのか、悪いのか。申し訳ない気持ちと、安堵。
とても書ききれないけど、世の中には老いた親に代わって「帰省を迎えるおひとりさま」もいることをちょっと知ってほしいと思うのでした。
「備える」をまた、考えた
2つ前の記事で「備える」のことを書き、器を注文した。
そしてテレビと本のことなどをのん気に書いた。
そうしたら大きな地震があった。
ニュースでは「備える」がいっぱい。お水やお米、防災用品が、お盆休みだという時期に売り切れ。
地震、台風と大きな災害が日本中あちこちで起きているのに、何も備えていないヒトが多いのか?
それとも「まだ足りない」と混乱が予測される中、居ても立っても居られずお店に出向くのか?
かくいう私もヘルメットをそろえた。必要だと思いながら、先延ばしにしていたのだ。
物流が落ち着くのを待って、少しずつ「足りないな」と感じている「備える」を整えていきたい。
やみくもに恐れて過剰にならないように。
一時的なブームにならないように。
個人・各家庭で、「備える」をよくよく考えるように。
多くの命が助かるように。
モノを揃えるのが防災ではないはず、家の中の安全対策も立派な防災で減災。
まとめ
どうして、ヘルメットをなかなか買わなかったのだろう?
売っているお店に出向く機会が少ないから。
在宅避難になるだろうと考えているから。
今後買うことがあると思えないヘルメットは、器と同じ色(濃いグリーン)を選んだ。
こういうモノも「どうせなら」という言い方は語弊があるかもしれないが、機能を満たした上に好みのモノであるといいなと思うのです。
「ピンクはないの?」85歳のかわいいモノ好き(母だけど)に応えるモノは見つけられずライトグリーンを。
「備える」に関しては「加齢と共に減らす」というわけにはいかないな。
(ま)