日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

ちょっと、まとめてもみる

片づけについて「独りよがりになってはいないか」と思うことがある。

1人暮らしや、自室ならそれでもいい。

一緒に住まうヒトがいるならば、誰か一人にしか向かない・わからないという状態は何かと不便で快適とは言えないと考えてしまう。

子供に向いた、動きづらい年長者に向いた「片づけ」

模索し続ける中で気づいたこと、思い出話を。

では、いってみょう!

 

画像:スイッチとスマホの充電器、80代は家の中で持ち歩く、可動式収納

●目次●

 

1.小さな子供に「片づけて」は通じない

 

いつか書いたぞ、何度でも書こう。

暮らしの中にチビーズがやって来た頃(甥姪の誕生)の話。まず、末弟のところに姪が誕生。一年少し後、上弟のところに甥1号。翌年、末弟のとこに甥2号。また翌年、上弟のとこに甥3号。あっという間に、ドンドン「おば」になった。祖母である母は既に70歳近くになっていて、体力不足もあり「孫守り」の任務は私が担うことも多かった。今も「おばちゃん」と呼ばれることはないまま、チビーズ(甥姪達)には稀有な存在になっていると思う。幼い日の姪は家族に「まぁちゃん」(私のこと)がみんないると思っていたらしい。

 

ちょっと「私の背景」になってしまった。ヒトとして偏っていると自覚済み。ただ何をもってして「普通」というのか、50代になったところで未だにわからずにいる。背景より、そのヒトの中を見出した方がおもしろいからね。ヒトと比べる必要もない。でも周囲のヒト達により、偏りを補ってもらうこともある。チビーズの誕生は今までとは違う視点・感情を教えてくれたと、そんな風に思っています。

さて「偏ったおば」が教えられることは何でしょう。やっぱり「片づけ」か。私はひそかにチビーズに仕込もうと考えたのでした。

なのに「片づけて!」は通じない。なんたること!模索のはじまり。

 

 

2.オモチャはややこしい

 

形もならば、種類の多さも。おまけに、やっと歩くか、しゃべるかという子供に複雑なことができようか。「片づけを仕込む」どころか、その前の「整理収納」に悩まされる。

 

最初のチビーズである姪に「ベビーサイン」をママである義妹が教えていた。(興味がある方は調べてね)当時の私と両親(父、健在でした)は「んな、あほな」と実は冷ややかに見ていた。義妹は何かをする度に、ニコニコと手を動かしながら話しかけていたのだ。

 

ある日のデパート、オモチャ売場にて。木製の滑り台のようなモノに、やはり木製の球を転がす単純なオモチャがあった。それをやって見せたところ、姪の手が「もっと、もっと!」と動いた。「えっ、えっ?」言われる(?)がまま、繰り返す。(そのオモチャ、勢いにのまれ買い求めたわ)やがて「おいしい」とほっぺを触ったり、高い場所を見たい時には「だっこ」「おねがい」を組み合わせたり。こちらが言っていることは、通じていると悟る。あなどれない!彼女の言葉を理解しようと、急いでベビーサインを覚えた。

 

姪は幼い日の私と同じように早くから「文」で話した。ベビーサインのせいか、DNAかは知らんけど。ただ「片づけよう」は通じなかったことから「元に戻そう」と言い換えるようにした。まずは「放り込む」だけの片づけ。初期は「整理」は放っておいた。ややこしい形だったせいもあるし、姪の観察期間だった。

 

 

3.「整理」をはじめてみる

 

小さな手が、自分の意思を伝える時間は短かった。自分の知らない言葉を聞くと「3回復唱」している姿は「只今インプット中」に見えておもしろかった。「覚えてる、覚えてる」と見守った。「そろそろ、整理を教えてみよう」と思ったのはそんな頃。

 

100円ショップでネット状の子供用の袋(手が付いている)を3つ。中のモノが見えて、洗うこともできる。赤、青、黄色でそれぞれキャラクターの絵柄付き。文字より、色やキャラクターを先に覚えるのを「整理収納」に使わない手はない。「ままごと」「人形」など「ざっくり」とした分類。遊び終わったら、その色の袋に放り込む。「遊んだ後は、オモチャは元に戻すんだよ」手伝いながら教えた。

 

私の想定外だったことは、遊ぶ場所に姪が袋を運んだこと。リビングから、時に私の部屋へ、仏間へ、玄関へと気の向くまま、その日好きな場所へ。そして遊び終えると、袋を持ってリビングに帰って来る。一緒に遊んでほしい時は「来てごらん~~~」と呼ばれた。(「~ごらん」という言い方を後悔、お店でも何度も言われた)

「シャボン玉セット」も作っていたのだが、これはチビーズが4人集うと活躍した。少し大きくなってくると、4人で袋を持って公園へ。帰ってきたら、使ったモノを袋ごと洗ってベランダでワイワイと干している。

「まぁちゃん~、乾いたら片づけて~」最後の片づけは依頼されるが、「あっぱれ」だと感じていた。へんてこなおば(私だけど)の後ろ姿、見てたってこと。そして甥達には姪が「キャプテン」のようになって教えていたことも想定外。

 

チビーズのモノの「整理収納」はその後、あまり進化させなかった。そもそも、わが家は「ばぁばの家」なので多くのモノがあるわけでもないし複雑化しない。それでも「場所」だけは定めていて、時々幼過ぎるモノの整理(処分)を促すくらい。「元に戻す」ということ時々「持ち続けるか」を考えるという習慣はついたと思う。

 

 

4.80代の母も、チビーズ同様に

 

年長者にも複雑な片づけは向かない。チビーズの「袋作戦」を母にも。

病院に行く度に支度に手間取るようになってきた。本人はそう思ってはいないだろうけど、はた目にはイライラも見えるし疲労感も。「病院バッグを決めたらいいんじゃない?」母にはそこから。手芸が好きなこともあって、自分仕様の「病院バッグ」を楽し気に作りはじめた。A4の予約票を折らずに入れたい、薬も入れたいなど「母独特の要望を叶えたモノ」が完成。ハンカチや財布、お薬手帳、すぐにでも病院に行けてしまう支度がいつもできている。

 

個配の注文書や商品カタログも「袋」に。わざわざ「それ用」として「収納するモノ」を用意する必要はない。家の中でも袋(手付き)は便利。どこかにひょいと掛けておけばいい。鉛筆と消しゴムも一緒に放り込めば、注文書を書く時の動作は少なくて済む。

この他に「充電器バッグ」もあったり、「目薬バッグ」も。迷子になりがちなモノをちょっとまとめただけ。幼い日の姪と同じく、母は家の中でバッグを持ち歩いている。

 

「モノの定位置」は可動式でもいい。「種類別」にこだわる必要はなく、「行動別」でもいい。「片づけ方」によっては「補助」につながることもあるんだと気づかされたチビーズと母の片づけの話。

 

画像:母の部屋にて、左から「生協バッグ」、「目ケアバッグ」(帯のリメイク・母作)、「病院バッグ」(母作)

5.まとめ

 

今日も2000字を軽く超えてしまいました。

私的なことが多くなりましたが、片づけは暮らしの中にあること。経験や気づいたことを書いていることが多いので、「まぁまぁ、そんなこともあるねぇ」とか読んでいただく方の暮らしのヒントになることがあればいいなぁと思います。

私も「入院セット」「図書館セット」はあります。「倒れたら、持ってきて~」と「倒れたら、返しといて~」なセット。これから、増えていく予感しかない。まとめたことを忘れないようにしたい。

 

(ま)

 

 

f:id:kogireido:20210107135445p:plain
まなみ

片づけは万人に共通とはいきませんね。読んでいただき、ありがとうございました。