「片づけ」にいろんな呼び方がある。
「身の周りをシンプルにしたい」
「加齢とともにモノを減らす」
などと考えているのに、私の思考はちっともシンプルではない。
「いろんな呼び方」にいささか抵抗を感じるのだ。
「老」や「終」の文字が入っていると抵抗MAX
私だけ?
では、いってみよう!
画像:本文とはあまり関係ない、ガジュマル君グングン成長中、いよいよ植え替えか
●目次●
1.タイトル、いろいろ
「老前整理」って「老いる前に整理」ってこと?
「終活」は「人生の終わりのための活動」の略らしい。
「生前整理」は「生きているうちに死後のことを考えた整理をする」とな。
ふぅ~、なんだかなぁだ。どれもこれも「なんだかなぁ」だ。(リピート)
ハッキリ言ってしまう。どれもあんまり好きじゃないーーーーーーー!(心の叫び声)
2.「心の叫び声の続き」をよろしい?
「老いる前」っていつよ?何歳?何年何月何日、何時何分何十秒?(子供の頃に言ったやつ、子供ヘリクツ)
時間は皆平等。1秒も1分も時間はみんなに等しく流れるのだから「老いる前」も同じなのか?違うだろう。あまりにも漠然としている。
「終」って文字が、だいたい好ましくない。「あぁ、終わったぁ」は達成感のある場合を除いては「残念~」につながることが多くないか?「人生の終わりのための活動」って書いているだけで「悲しくなっちゃった~」(幼い日の姪の言葉より)だ。ただただ終わりに向けてだけ活動するのか?今・現在・NOWは放置か?
確かに「終わり」に日々向かっているのかもしれない。それまでは「生前」だし、やっぱり日々老いていく。でも子供や若者は「老いていく」とは思えない。「絶賛成長中」だろう。「25歳はクリスマスケーキ」と呼ばれ「売れ残り」と揶揄された時代を「チャンチャラおかしい」と今は思う。
3.だいたい、タイトルは必要なのか?
映えなの?煽りなの?キャッチーなのかな?
私は「モノを片づける」ことばかりを書いているけど、「片づけるのはモノだけじゃない」とも思っている。「片づけている」って意識もなく、すべきこと、対人関係、その他もろもろを。それもずっと、日々、いつも、always。
片づけタイトルに「しなくっちゃ!」と思わされるヒトもいるかもしれない。「なんでやねん?どないや?」な私はあまのじゃく。(天の邪鬼と書くのね、音のみで使うことが多いなぁ)
4.わからなくもない
「どれもあんまり好きじゃないーーーーーーー!」
としながらも、わからなくもないわけじゃない。(ジュゲム?)
加齢するにつれ、「体力」が衰えていく。ためこんだモノに立ち向かう「気力」も減退。何を持っていたか・どこにしまったかも忘れがちな「記憶力」ももれなく。
ある日突然そうなってしまうわけではなくて、少しずつ少しずつ。「絶賛成長中」から「現状維持」やがて「衰退」(書くのも悩ましい)ということか。精神的にはいつも現時点が「トップ・オブ・ザ・私」といきたいが、それも「???」だ。「うっかり」や「ぼんやり」が増えていくと想像できる。
そうなる前に、「大方の片づけを終えてしまいましょう」ということ。私もそう思うし、そんなことばかり書いている。「目に見えるモノを片づける」ことによって、家事負担を減らしたり、時間や気持ちに余裕をもたらしたりする。こちらは「見えない」から想像しづらくて、「いつか使う」「まだ使える」などいろんなことを言って「見えるモノ」を守ろうとするんだと思う。そうしたことが「親片」(親の家を片づける)という言葉も生み出し、「片づけ」に様々なタイトルが付けられている理由なのかもしれない。
5.では、何と呼ぶ?
「知らんがな」では無責任か。「何と呼べば、納得できるのか」と自問の心の声。
そもそも片づけは一過性ではないと考えている。日々、何かを使うわけでそれを出したりしまったりする。洗ったり、拭いたりという「手入れ」だって。
片づけ動画を楽しく拝見するのだが、時々腑に落ちないことがある。一家の主婦が休日に「どわぁ~」(擬音表現)と一気に家の中を片づける。「なぜ、この方は一人で早起きして片づけているのか?」と思ってしまうのだ。ご主人や子供達が脱ぎ散らかした服、床に放りっぱなしな様々なモノ、シンクに残る汚れた食器。時代が令和になったところで、まだまだ一家の主婦だけが片づけを担っているのだと動画から世間を知る。お休みくらい、寝坊させてあげたいねぇ。
…脱線したか。名前ねぇ~、「日々楽片」っていかがでしょう?(ブログタイトルと「親片」を文字っている)「祭り」や「大会」のような一時的で体力勝負ではなく「日々こつこつ」する。
それも「楽しく片づける」ができたらいい。「楽」は「ラク」でもあって、1時間後の、明日の、将来の自分(近い将来~先の将来まで)を「ラクにする」と考える。自分がいなくなった後の誰かのためにやるより、自分のための方が断然いい。
6.まとめ
タイトルは本当はどうでもよろしい、と思います。そう言いつつも、見聞きする度にもやもやするのです。
でもタイトルが付くことで、やる気になる方や考えたりする方が増えるのならいいことなのかもしれません。私は今回これを書くにあたって考えた「日々楽片」の心意気でいきたいと思います。
(ま)
片づけタイトル、ありますか?読んでいただき、ありがとうございました。