モノの整理には「処分」がある。
「処分」は「捨てる」「リサイクル」「売る」「あげる」かな。
「捨てる」は罪悪感が強いけど潔いわね、自己完結、全う感。
「リサイクル」は新たなモノを産み出してもらうためにゴミルールに従う、「捨てる」の罪悪感がないやつって感じかな。ちょっと「いいことをしている感」すら覚える。
「売る」は自分が要らないモノをお金までもらって、使ってもらって、捨ててもらうわけでしょ、なんだかラッキー。けど手間暇かかるので今の私(50代)は苦手。
「あげる」ってなんだかなぁと思う。どこか「上から」ではない?自分が要らないモノを「あげる」ってどうよ!?
長い序文になりました。では!
1.「あげる」ではない、「もらっていただく」だ!
自分が要らないモノを「あげる」と言うのは抵抗感がある。「捨てるの逃げ道」に思えるから。
モノを整理(処分)する時、自分には必要がなくなったけれど、まだキレイな状態のモノだと好きそうな似合いそうなヒトが思い浮かぶことがある。「どうですか?」とドキドキしながら訊いてみる。受け取っていただけたなら「いらなくなったら遠慮なく処分してね」と言い添える。
「あげる」は「モノのバトンタッチ」の一つ。
モノを使うこと、捨てることも次のヒトに任せるのだから「上から」なのはいただけない。「もらっていただく」そう思わないと。
2.「あげる」には「寄付」もある
タイトルは「あげる」にしましたが「もらっていただく」、しつこいようだけど。これには「寄付」も含まれます。
画像は過去に処分した食器軍。撮ってましたぁ。心残りがあるモノも重たかったり、使用頻度が下がっていたり。踏ん切りがつかず、複数回に分けて処分(これらは寄付)しました。
それにしても食器棚って、ものすごい収納できるんだなぁと実感。ショップの方が引き取りに来てくれることもあり、時々お願いしています。(最近はあまりないなぁ)
知らないヒトが「モノのバトン」を受け取ってくれる。顔が見えるヒトにする気遣いを、この場合もしたい。顔が見えないヒトにはより必要かも。
私は世帯数の多いマンションに住んでいます。自治会があり、住民親睦行事も多かった。(コロナ渦でなくなった)その中で「夏祭りのバザー」がある。住民の「寄付」によるもの。わずかな金額で掘り出しモノに出会えたり、大人も子供も一緒になっての「お店屋さんごっこ」をしているかのようだったりと楽しみな行事の一つ。長年住んでいると、「お客さん」ではなく「お店屋さん」になることがある。この時に知る。とても次のヒトが受け継げないモノがまみれている。多くは新しいモノ、美品であるのだけれど、中には「捨てるしかないモノ」があるのだ。ちょっと、悲しくなる。
↑ 確かナルミのモノ、ペアカップだった。 新古品で300円くらいだったと記憶。よくおやつタイムに使いました。
3.「あげる」ならさっさと、スピーディーに
またタイトルは「あげる」にしましたが「もらっていただく」です。
長らく「いつか使うかも」「買った時、高かったから」と持ち続けてからではどうよ!?「置き古しのモノ」なんてどうよ!?」(どうよの連続)
古びてからではなくさっさと手放せって。(命令?)新しいうちにもらっていただけたら、より長く使えるし喜んでもらえるってもんよ。(普段の口調になってきている)
食品も「食べきれない」と思ったら、親しいヒトやご近所さんに素早く「おすそ分け」すれば、美味しいヒトが増えるし「食品ロス」は減らせる一石二鳥。「おすそ分け」いい響き。
「美味しそうだったからたくさん買い過ぎて~」「旬のモノをいただいたんだけど食べきれないから~」最後は「手伝って」と結べば受け取る側は負担にならないと思う。(おばちゃんの知恵)
「おすそ分け」のし過ぎはうっとうしいと感じられたり、負担に思われたりすることもあるから、そこらへん双方の関係性に左右されるので注意も必要なんだけど。(おばちゃんの経験)
とにかく「あげるなら、さっさとあげて!」(「もらっていただいて!」だ。しつこい!?)
4.「あげないっ」まとめ
小さい「っ」は声を大にして言いたいことを表しています。
片づけ番組で「これは~、あげます」とか言いながらモノの整理をしているのを観ると「あげないっ!もらっていただくだろう!」と心の声が叫び声のようになっていることがあります。それに「相手は喜んでいるのか?承諾しているのか?」とも。
モノのバトンタッチ、私も「渡す側」「受け取る側」の両者になりまます。「渡す側」では引き続き使ってもらえる感謝と「受け取る側」がそのモノをいつまでも処分しづらいことがないような言葉を言い添えたい。「受け取る側」が納得していない、一方的な「あげる」は嫌がらせになることがあるから、ご法度。
「受け取る側」になった場合、若かりし頃は安易に受け入れていた。ちょっとお姉さん(だいたい年上のヒトからなことが多い)の素敵に見えたモノが、少し時間が経つと「そうでもない」と感じて処分してしまったことが何度か。その時「自分で選び、買ったからうれしい」で、その行為をすっ飛ばして手元に来たモノには「愛着が少ない」と気づいてから「受け取る側」になるのはよく考えるようになった。
「渡す側の気遣い」「受け取る側の覚悟」
大げさかもしれないけれど、必要な気がする。みんな「あげる」って簡単に言うけれど、「もらっていただく」だから。簡単にあげちゃいけない。でも「受け取る側も、簡単にもらうな!」って話。簡単に受け取るヒト、みんなにそう思われて「みんなの要らないモノまみれ」になるよ。そうなったら、「渡す側も罪」だから。
しつこいようですが「あげる」ではなく「もらっていただく」の心で、よろしくお願いします。
(ま)