日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

使い切る時間 part.2

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「捨てる」に罪悪感を覚える。

それは「使いこなせなかった」からなのか。

ならば「使い切って捨てたい」と考えるようになった。

「使い切る」と感じるタイミング、お知らせ的なことはあるのだろうか。

身の周りのモノで考えてみる。

では、いってみよう!

 

画像:最終的には「写真」はこれだけでいいと思っている、集合写真アルバム&厳選アルバム、2冊の小さなアルバム、黄色いアルバム自体が「思い入れのあるモノ」

 

 

 

1.「食べモノ(飲みモノ)」はさっさと!

 

自分や家族の血や肉となるモノが、「安い」とか「古い」だけっていうモノはイヤだな。

賞味期限消費期限は分かりやすい目安ではある。

期限が長いモノより短いモノの方が新鮮で安全だと感じる食品もあり、最近は好んで期限の短いモノを選ぶこともあるくらい。長ければいいってもんでもないと気づく。(そもそもの期限が売れずに短くなっているということではありません。期限を長くするためのナンチャラ剤が入っていないということ。)

 

食品のストックは普段食べるモノを余分に持ち、レトルトや缶詰、冷凍食品も日常の食生活にに取り入れながら循環させる「ローリングストック」という方法をしている。

 

ストックがあることに安心せず、賞味期限が先であっても「さっさと食べる」を心がけている。「期限ギリギリに食べたらいい」というものではないと思う。「期限までに食べたからセーフ」なこともまだまだあるけど。

「わが家のフードロスは出さない」がモットー!

 


2.「道具」は破損、使い勝手が悪いと感じた時

 

「いつか使うかも」「まだ使える」というモノはいらない。

「いつか使いたい」「まだ使いたい」とは大違いだから。

「持ちたいモノ」「必要な道具」はここのところ「好き」や「思い入れ」もプラスされてきているように思う。そのせいか、「手入れ」も楽しく感じる。

そんなモノが壊れた時、悲しいくらいだったら「道具」でも「使い切った」と言えないだろうか。破損しないまでにも、加齢やライフスタイルの変化などにより使用頻度が減ったり、使い勝手が悪いと感じたりすることがある。

これもある種の「使い切る」じゃないのかな。

 

「道具」について、これからはもう安易な選び方、持ち方はしないだろう。

「長く使えるだろうか」って心の声で問うて、できるだけ使える時間の長そうなモノを選ぼうと思っている。(人生の折り返し地点を過ぎたからね)

そして手入れをしながら、「ご苦労様」と使い切りたい。

 


3.「衣類やかばん、靴」もさっさと!

 

衣類やかばん、靴も「道具」のうちかな。(服飾小物も)

その中では「私物」「必要なモノ」だけど量が多くなりがち。腐ったり傷んだりしづらいモノだから。

 

既にたくさんあるのに「着るモノがない~」は「あるある」だと思う。たくさんあるから着そびれるし、存在も忘れる。ただあるだけだから傷まないし、食べモノみたいに腐らない。でも流行遅れになったり、似合わなくなったりする!!!

「いつまでも、何でも似合うと思うな!」だわさ。

食品のように「賞味期限」や「消費期限」はないけれど、間違いなく「似合う期限」はあると思う。

 

トッカエヒッカエじゃなくても、「今、身につけたい」と思うモノ「少々」清潔にして循環させればそれでいいと思うようになった。(まだ「少々」とは言えないけど)

そしたら傷むよぉ~、「使い切る」が早くなる

 


4.「思い出のモノ」は容量制限

 

これは「使い切るモノ」じゃない葛藤するし、踏ん切りがつきづらい。

だから「この箱に入るだけ」などの「容量制限」をしている。

 

何でもかんでも「思い出のモノ」とするのはいただけない。

「昨日の思い出」「一昨日の思い出」って生きている限り「思い出の更新」なのだとしたら、「過去」ばかりを優先して「今」や「未来」が置き去りになるようなことはしたくはない。

「容量制限」をした中で、「思い出のモノを更新」していけばいいと考えている。

始末のいいおばあさんになった時(なる予定)「厳選・思い出箱」になっていると想うと楽しみ。

 

 

5.まとめ

 

「好きなモノ」「必要な道具」「思い入れのあるモノ」を持ちたいと考えている。

「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマでもあるので、最終的にはどれも「少々」にしたい。(まだまだ途中なんだけど)

 

「整理」はモノを分類するだけではなく、「持ち続けるかどうか」ということも含まれている。さらに「処分」も。「処分」「リメイク」「リサイクル」「もらっていただく」「寄付」「売る」そして「捨てる」がある。

 

「捨てるを遠くにしたい」と考えて、「使い切る」を目指すようになった。

ささやかなモノでも使い切って「捨てる」時、やはりささやかな達成感を覚えることが分かってきた。モノにも、使った私にも「ご苦労さん」である。

 

「使い切る」はなかなかむずかしい。

50代になって余らすも切らすもしたくはないし、極端にモノを減らしたいわけでもない。「なんぞの時」には備えたいけど、無駄にもしたくはない。

「さっさと」時間的なこと、「容量制限」と収納空間的なことを設定して「使い切る」に挑んでいるかのよう。

 

ただの「モノ減らし」ではなく、「へんてこなモノ」「どうでもいいモノ」を減らしたいのだと思う。これから先、そんなモノに振り回されたり、手をかけたりせずにすむようにしたいだけ。残りの時間がどれだけあるかは分からないけど、有効かつ楽しく!

 

(ま)

 

 

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まなみ

書いて、自分を叱咤激励するようでもあります。読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

kogireido.hatenablog.com