日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

本日の「整え」*汁椀

 

「汁椀」は「道具」

どんなモノをお使いだろうか。

なんともささやかなモノではあるけれど、自分に合うモノを探したい。

「暮らし」ってそんなことで、楽しくなるんじゃないかと思うのよ。

そんなこんなの「汁椀」について。

では、いってみよう!

 

画像:汁椀の新しさん

 

1.「汁椀」めざめ

 

正直、あんまり興味なかった。

っていうか、何でもよかった。

汁物がいただければいい、ってくらい。

100均のモノはイヤやわ、くらい。(個人の意見)

 

ある日、先に加齢していくヒト(母だけど)が汁椀を落としそうになる。

ちょうど「食器の重さ」が気になりはじめた頃で、「こりゃ、いかん!」と気づく。

そんな時、近所の大きな公園で「陶器市」

普通の汁椀にしては大きく、丼や麺類に使うお椀にしては小さい漆器に遭遇。

ひょっこりと持ち手も付いている。

「これだな!」後から追いかけて加齢中の私の分も2つ購入。

 

 

2.「道具」は自分の暮らしになくてはならないモノがいい

 

「自分の暮らし」というとこがポイント。付け加えるなら「今」も。

「将来」も見越したこともいいけど、あまり先読みするのもいかがなもの。

 

持ち手の付いた汁椀は年長者(母だけど)に扱いやすいモノとなった。

当時は子供用もしくは、素材がプラ製で「使って楽しいな」と思えるモノは見つけられなかった。

最近こそ大人が使えるモノを見かけるが、「うちのには負けているな」と心の声は毒を吐いている。

いわゆる汁椀の大きさより、少し大きめなことで具沢山スープや麺類にも使える。

「一石二鳥」的なことも「道具」には求めたい。

 

 

3.いつかは壊れる

 

ある日、落とした。

木目の大きい方が母のモノ、細かいのが私のモノ。

「細かい方」だと確認できた時は、ほっとしたような気持ち。

ほっとしている場合ではない、取れた持ち手を拾い上げ修復を試みる。

なんとか持ちこたえ、そのまま数年使い続けていた。

「また陶器市で探そう!」そう信じて。

 

 

4.汁椀の「新しさん」

 

新しいモノを迎えるにあたり、敬意をこめて「新しさん」と呼ぶこと数十年。

ドラマ化された漫画に登場する親子の間で交わされる言葉だった。

本来は育児・家族の話であったのだけど、録画して楽しむ高校生だった。(余談)

 

私の修復済みの汁椀、近頃、再び落下。

木目の大きい汁椀を使うヒト(母だけど)が「細かい方」を落としたのだ。

「落ちるのはいつも…」だ。

再修復は仕事が丁寧な近所に住む末弟に託した。

そして今春、陶器市へ。

 

同じモノが、数年前と同じように佇んでいた。

当時はなかった色のモノもそばに。

陶器市の中止が続いていた。いたしかたなく「修復した汁椀」を使い続けた日々。

やっと、本当にやっと、「新しさん」がやって来た。

 

 

5.おわりに

 

桜満開な公園に、陶器市目当て、汁椀目当てで「お花見はついで」というヒトがいただろうか。きっと私だけだな。

わき目もふらず、お椀を選び買い求める私に年配の男性店主さん「まけとくわぁ~」とお値引き。(私何も言ってませんぞ、そんな顔もしてませんぞ、マスク姿だし)

「ありがとう~、これを買いに来たんです」言葉に出た。

使い勝手がいいこと、落として手の部分が壊れたこと、最近また落としたことも話した。

修復の仕方を教えてくれて、「まだしばらくここにいるから持っておいで~」とも。

なんだかいいな、と思う帰り道。

 

同じようなお椀がないかと探したこともあった。

ここ数年の私の外出頻度や行動範囲では見つけられなかった。

「汁椀」もまた「不要不急」だったのだ。

まだまだ安心はしてないし、終わったとも思っちゃいない。

「木目が細かい方の2度目の落下」は「ちょっと外へ」という気持ちにさせてくれたかもしれない。(大そうなんだけど)

 

 

6.おまけ

 

せっかく「新しさん」を連れ帰ったのですが、相変わらず「修復された細かい木目」が食卓に出てきます。

3度目の落下の後(2度あることは3度ある?)、やっとおろせるのか。

今度はハッキリ色が違うので迷うこともなくなっていいのに。

「素敵なモノはしまいこむな!すぐ使え!ドンドン使え!」心の大声

 

(ま)

 

 

 

↓↓↓ 「汁椀」のこと、書いてました。よかったらどうぞ。

 

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