日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

迷ったら、着てみる、使ってみる

「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマ。

となると、日々「モノ減らし」を考えている。

でも元々は「ステラレネーゼ」

往生際の悪い心の声が邪魔をする。

「ほな、着てみろ!使ってみろ!」

では、いってみよう!

 

画像:元・母のバッグ、家族間で拾うな、今回の話のモノ

●目次●

 

1.着てみる

 

衣類の数が多く、なかなか整理(処分)しづらいというヒトが多いと思う。私ももれなく。若かりし日は手持ちの収納空間では足りず、カラボ(カラーボックス)やプラ製の収納ケースをいくつも増やした。「誰もが通る道」で、それが「若さ」だ。加齢や何かをきっかけとして、持ちモノの見直しに目覚めて「整理をはじめよう!」考えるヒトもいれば、「そんなんどうでもいい」とするヒト、「したいとは思うがどうしていいか分からない」というヒト、いろいろ。

 

衣類を眺めた時、買った時のことを思い出す。買った時の気持ち着た思い出が「走馬灯」のようにめぐる。そして「高かった」など「価格」、生地や縫製といった「価値」について「計算」がはじまる。当方大阪のおばちゃんなのでコスパつまりは「元は取ったか」ということも。そんなこんなを考えているうちに、整理しそびれるモノ多数。あかん、あかん!モノだけを見ていてはいつまでも、「ただあるだけ」の延長

 

着てみる。

「今・現在・NOWな私」「いつかの服」を着て、鏡の前に立つ。走馬灯も、計算も吹っ飛ぶ。「おかしい」「イタイタシイ」の心の声。「若々しい」はいいけど「若作り」はいただけない。衣類の整理について「どうでもいい」と考えるヒト以外は、間違いなく「整理」(処分)できる。「したいとは思うがどうしていいか分からない」ヒト、まずは自分の衣類を着て鏡の前に立つだけで、「整理」は進むよ!片づけは「整理」が先で「重要」だから。さぁ、衣類を出して鏡前にLet's go!

 

 

2.履いてみる

 

「衣類」の次は「靴」にしましょうか。靴も数が多くなりがち。私も実はまだまだなのよねぇ。「履くと必ず靴擦れする」とかって靴なんか、さっさと手放せばいいと思うのに「そのうち私の足に合うようになるかも」などと「セコイ考え」を持ってしまう。「それまで絆創膏を貼り続けるのか?」心の声は辛辣

 

わが家の女衆(私と母だけど)、靴は同じサイズ。男衆(亡父・上弟・末弟)も同じサイズ。「なんと経済的!」と考えるおバカ一家。(うちのことだけど)

これが「整理」(処分)が進まない。「誰か、履けるんちゃう?」となる。父の革靴はいいモノもあったので、弟達の「なんぞの時」(面接とか冠婚葬祭とか)に役立つこともあった。しかし、ある日、玄関を出て行った上弟が引き返してきた。

「おかあさん!靴が壊れた!!!」若かりし母、驚愕。

 

ずっと後になって、今度は母が久しぶりに履いた靴がご近所デパートで崩壊。靴売り場に飛んでいき、新しいモノを購入し履き替えた。「この季節、よくあるんですよ。かかとが店内に落ちていることがあります。」と店員さん。(確か今頃か、梅雨頃だった)

しばらく履いていなかった靴を久しぶりに引っ張り出して履いてみたところで、こんな事態になるとは思いもしない。手入れも大切だけれど、モノは使ってこそなのだと実感させられる。

「衣類」のように「今・現在・NOWな私」に似合うかということの他に、「経年劣化」をお忘れなく。

 

 

3.使ってみる

 

「衣類」「靴」ときたので、「かばん」にしましょう。って、ほんの最近っていうか昨日のことをベースに書きたいと思います。

 

家族間で「拾う」って「あかん!」とは思っているのに、拾った。母のグレーの小ぶりのバッグ。ななめ掛けできるし、買物に出かける際に便利かと。色合いも私の服に合いそうだった。持ちモノを調子よく詰めて、出かけた。途中で交通カードを出すと、手に何やら黒いモノ。手をはたき「謎の黒いモノ」を落とす。次に財布を出すと、「黒い点々」が付着。私の手についたモノと同じ。バッグの中の劣化だ。外見はなんともなくても、中が傷んでいた。あ~、「長く使えばいいってもんじゃない」も悟ったはずだった。モノの寿命、使ってみてわかることがある。

母が所有していた頃もよく使っていたし、若かりし日の私も時々借りていたモノ。もう十分だろう。走馬灯も、計算も、コスパもオール良し。「ご苦労さん」とお別れする。

 

 

4.まとめ

 

加齢とともにモノを減らし続けているけれど、そのスピードは遅くなっている。もう明らかに要らないモノは見つからないし、「整理」に「よっこいしょ」や「えいやっ!」が必要になる時期に入ったと思われる。収納空間からはみ出していないことに安心するため、「ただあるだけ」になっているモノに気がつきにくい。「発掘整理」になっている近頃だが、実際に着たり使ったりして「納得」させられる。「モノの劣化」は一抹の寂しさを覚える。「整理」も「使う」も私の判断が甘かったのではないかと。

 

自分自身も腰が痛いだの、腕が上がらないだの「絶賛劣化中」なのに。いや「絶賛」は自分次第で「ちょいと」にもなるかもしれない。モノについて「劣化するまで手放すことができない」ことにも「ちょいと判断を早くできるようになりたい」と思う。

 

(ま)

 

 

f:id:kogireido:20210107135445p:plain
まなみ

まだまだ往生際が悪いです。読んでいただき、ありがとうございました。