日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

本日の「整え」*母の衣替え

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「衣替え」は大嫌い。

私にとっては「めんどくさい」の最上級(?)

よって自分の「衣替え」はいたしません。

それが80代の「母の衣替え」はいたします。

年々「助っ人具合」が高まり、

ここ数年は私が「主たる衣替えをするヒト」

そして2022年春を前に、「衣替え終了」の兆し。

では、いってみよう!

 

画像:「私のミニチュアコレクション」より、干支も集めがち、ウサギ母&サル娘

 

 

 

1.「衣替え」はめんどくさい

 

「衣替え」するものだと思っていた。

幸か不幸か「自称・収納名人」だから、キュキュキュッと詰め込むのが得意。

母なんて「なんか知らんけど、あんたがしまったらようけ(=たくさん)入るなぁ」と感心していたくらいだ。得意になっていたけど、これが私がモノを持ち過ぎた原因だと今は思う。

 

「なんか知らんけど、これってせなあかん?」(知らんけどが多い関西人、おばちゃん)ある日、ふと気がつく。

よく見たら、よく着るモノとあまり着ていないモノ「季節」というくくりだけで集められ、一緒くたにキュキュキュッだ。整理の中の「処分」がなかったら、衣類なんて一生あるんじゃないかと気づく。「こんなことをしている場合ではない」と「処分」が進んだ。

 

収納ケースはやめた。

すぐに取り出せる収納空間に「ここに入るだけ」とした。

春夏秋冬、年がら年中、冬の手袋であろうが、夏のワンピースであろうが、「秒」で出せる。存在を忘れていたり、しまった場所を思い出せなかったりすることはなくなった。

「めんどくさい」は再考のタイミング。

「衣替えをしない」なんと楽なこと。

 

 

2.自分のはしないのに手伝う「母の衣替え」

 

衣類は私物。「自室で自己管理」がルールでありました。

どこのお宅もそうではないかと想うのだけど、母娘で片づけたらたいていはケンカに発展するか、ドヨ~ンとした雰囲気になるんじゃないだろうか。

 

「わが家ももれなく」であったのに、「任せた方が楽かもしれん」と考えた母が「片づけの全権」を私にゆだねた頃から手伝うようになった。

年齢的にも無理を感じはじめていたのと、ちょうど私がインテリアや整理収納関係の資格をいくつか取得した頃で「親も資格に弱し」

わが親でも「おうちオタク」な娘がちゃんとどこかで認められたということに安心感を覚えたのか、そこでやっと「聴く耳」を持ってくれたのだと思う。

経験に勝るものはないと考えるし、資格主義でもないけれど、その界隈なのか業界なのかの「入場券」と自分の「看板」を得ようとしての資格取得は母には「水戸黄門の印籠」(?)になったようだ。

 

手伝う、他でもない母の衣替えだから。

でも「自分のはしないのに、なんでヒト(母だけど)のんせなあかん?」の絶対声にしてはならない心の声が年々大きくなる。

ついには出てしまう。「衣替えって必要?」

「じゃあ、いいわっ!自分でしますっ!」

ヤバい、ヤバい。若者の「ヤバい」とは違う。

「50代のヤバい」は危ない、キケンの意味。

 

 

ドヨ~ンな衣替えを繰り返して…

 

「じゃあ、いいわっ!自分でしますっ!」

母がキレたところで「あぁ、そう」とはならない。また季節が巡れば手伝う。

衣類以外の「モノ減らし」にはあまり抵抗が見られず、家の中の整理は進んでいる。母も少しずつ慣れているのだろう。

「ドヨ~ンな衣替え」はまたいつしか「ふつうの衣替え」となった。

 

チャンスだ!

じわじわと「衣替えをしないのススメ」

「ここはこういう風にしたらどう?」

「ふた付きの収納ケースは重くて危ないからやめない?」

母は座って観ているだけ。「口だけ」だ。

作業はすべて私がする。本人の希望を聴きながら。

衣類を資源ごみとして出せる日が「衣替え日」としては最適。

迷わせず、整理(処分)を促す。

 

ふた付き収納ケースが一つ減り、二つ減り。

まだ「ケースがもったいない」とも考えてしまうようで、手芸の材料の収納に今は使っている。

ついに母の衣類を「キュキュキュッ」と詰め込む必要はなくなった。

 

 

4.2022年春を前に

 

「資源ごみ」の日。「そろそろしようかぁ~」と朝から。

母の衣類の収納空間の中で「かける」をしている場所で、いい場所にこれから着るモノをかけなおす。並べ替えるだけの「衣替え」

母の衣類も春夏秋冬、年がら年中、冬の手袋であろうが、夏のワンピースであろうが、「秒」で出せるようになった。

ついに、ついに!

「母の衣替え」もいたしません。

 

 

5.まとめ

まぁまぁ、長い道のりでした。

本人の「納得」が必要だったから。

「衣替え」を自分ではできなくなったということ、

たくさんの衣類をもう必要としないこと、

とどめに「加齢とともにモノを減らす」と言う・書く娘がいることで母の衣類整理は進み、「衣替えをしないですむ」という状態になった。

 

モノの維持管理に含まれる「衣替え」

やっと手放せた。整えられた。

空っぽの収納ケースは軽いけれど、モノが詰まった状態はそろそろ危ないお年頃。

もっと早くに気がついていたら、ギックリ腰も癖にならなかったかもしれない。

 

(ま)

 

 

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まなみ

春整理の一環である「母の衣替え」もこれにて終了のようです。読んでいただき、ありがとうございました。