まなみちゃんの記事を読んでから考えている。
始末のいい人 について。
私は、歯磨き粉は切ったことなかったけれど
ケチャップやマヨネーズを切ります。
1 私がマヨネーズを切る理由
マヨネーズは、最後、容器の先から絞り出せなくなっても
切って、バターナイフですくったら、ポテサラ一回分くらいは作れる。
歯磨き粉は切ることを思いつかなかったのに、
なぜマヨは切るのだろうと考えてみたら、
容器が透明で、中身が見えているからだと思い至った。
「まだわずかに残量があるのが見えているのに捨てる」っていう行為に
抵抗があるのだろうな。調味料とはいえ食材だからなおさら。
もったいない、という意識もだけど、小さな無駄が嫌なんだろう。
まなみちゃんはそこに加え、
モノを使い切るための想像力がある(見えていない歯磨き粉を想像できる)なぁと、
すっかり感心してしまった。さすがや♡
私も次から歯磨き粉、切るね!(何の宣言)
最後まで使い切って、なくなったのを確認して、締めくくる。
それはケチケチしているのではなく、とても清々しいことだ。
それが私の考える始末のいい人かなぁ。
私もまなみちゃんに続き、そこを目指したいと思っています。
コギレイ堂の名に恥じぬように。
と言いつつ
自分の持ち物を、もう一度見わたしてみると
買ってみたものの、思ったより活用できていないものもまだあったりして。
それを手に取ると、私の心はチクッと痛みます。
私のところに来たことで、モノがモノとして全うできなかった、
上手く使うことができなかった、
申し訳ないような、後悔の気持ち。
マヨネーズのチューブを切って、使い切った時のあの気持ちよさとは
何という違いだろう。
2 買うこと捨てること
整理整頓好きなので
今までたくさんのモノを手放してきた。
手放す、という言葉でなんとなくオブラートに包んでしまっているけど
はっきり書くと、捨ててきたのだ。
いろんな理由をつけて。
そのたびに私は、あ~すっきりした!という気持ちと同じくらい
後悔、反省、一抹の虚しさ、を重ねてきました。
そしてその反省を生かすべく、だんだんモノ選びの目が厳しくなってきた。
何かを買うたびに、
私はこれを使いこなせるのか?
メンテナンスはできる?
と自分に問いかけることになります。
そして最後は捨てることになるなら、捨てた先はどうなるのかも、想像したり。
で、なかなか買えなくなっている。
でもね、なかなか買えないくらいでいいんじゃないのかなと思ったりもしています。
もちろん、私がもう人生の半分以上過ぎているからということもあるけれど
今までが気軽に買いすぎていたのかもしれません。
長持ちさせて、手入れしながら使うと考えたら
やはり丁寧に作られたいいものを選ぶ、ということになります。
そういうものがもっと見直されていくといいし
そういうものを消費者が選んで、作り手の方や、経済に貢献したいとも思います。
3 まとめ
マヨネーズを切って使い切る話から
だんだん大きくなってしまったけれど
食べ物はもちろん、服も靴も家具も道具も、どんなモノでも
充分に使い切ったよね、もういいよね、というところまで辿り着きたい。
それが本当の「豊かな暮らし」なのではないかな。
結局、自分が持てるモノ、管理できるモノは限られているから
必要なモノを必要なだけ持って、始末よく。
そんな暮らしが理想です。
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まなみちゃんの過去記事から。
考えるきっかけをいただきました。
始末のいいおばあさんに、一緒になろうね。
自ら持ち込んだモノの行き着く先は。
ほんと、考えさせられます。
(ゆ)