ゴミ箱・時計・カレンダー
「どの部屋にも必要だろうか?」ふと、そんなことを。
「当たり前にあるモノ」と考えていたなぁ。
「そうでもないわね」今は思う。
「モノがモノを呼ぶ」とか「モノが家事を生む」ってことがあると気づく。
減らしてもいいんじゃない?
では、いってみよう!
画像:後述の時計と温度・湿度計
1.「ゴミ箱」からまいりましょう
住まいの形状(戸建て、集合住宅など)、家族の人数、ライフスタイルも様々だから正解も不正解もないことなのでハッキリした数は示せない。ゴミ箱自体持たないってライフスタイルも昨今では「あり」なんだろうし。
家族の人数が減って、現在二人。間取りも5LDKから3LDKに改修。「家族の人数が多い=個室が多い」だったので、各部屋にあったゴミ箱。絶えずヒトがいるわけではない部屋にあり続け、今は使っていないモノだと気づくのは比較的遅かったように思う。「部屋にゴミ箱がある」というのが当たり前、疑いもしなかったから。
ゴミを捨てるには集めます。めんどくさいね。私にとって「めんどくさい」は再考のタイミング。ゴミ箱の数だけ、そこへ出向くという動作をしなければならない。空っぽだったり、ほんの少ししか入っていないゴミ箱に「いらんのちゃう?」(=いらないんじゃない?)と気づいた日からあっちを減らし、こっちを減らし。リビングとキッチン、自室にも「一応」ある。(「一応ってなんやねん」と思ってはいる。帰省部屋になることもあるので「一応」)
2.「時計」はどう?
昭和は贈り物に「時計」が多かったように思う。壁掛け、置きといろんなモノがあった。壁に掛かっているのに、なんかキラキラしてクルクル回る装飾のついた置時計もインテリア(?)としてあった。各部屋に複数の時計があった。
「そんなに何時か知りたいかぁーーーー!」
腕にも時計をはめている時代であった。CMもいっぱいあった。腕時計もまた「あって当たり前」のモノだった。
昭和・平成・令和になって、家は変わらないけど家族の人数と間取りが変わって、壁掛け時計は現在2つ。リビングとキッチンにある。置時計は2つ、個室2つに1つずつ。
私のモノは温度・湿度計とセット。
「そんなに何度か知りたいかぁーーーー!」と家族に呆れられるくらい、暑い・寒い時に「何度?何パーセント?」と聞くから。あまりに聞くのでヘンテコなのをあてがわれ、それが気に入らないので自分で買いに行ったモノ。(画像のモノ)
私はこれで「何時か、何度か、何パーセントか」を知ることができている。
平成の途中からかなぁ。腕時計をすることがなくなった。携帯電話を持ちはじめたから。私だけでなく、周囲のヒトの腕にも見られなくなった。老いも若きも携帯電話を持つようになり、時計のCMもまた見かけなくなった。それが今はスマホだものね。小さいパソコンのようなモノを多くのヒトが持っている。電車の中で読書したり、編物したり(いたよぉ~)は見かけられない。スマホを触る、化粧をする、食事をするという光景に加齢を実感する。(最後、脱線の加齢トークになってしまった。コロナ禍でまたその光景も変わっているのだろう:ここ2年電車にあまり乗っていない)
家の中でも、外でも、純然たる「時計」はもうあまり必要とされないのだろうか。
3.「カレンダー」はいかが?
昭和インテリアを表現される時、必ず壁には「カレンダー」
企業や商店の名前が入っているモノ。年末になるといっぱいもらった。子供の頃、それこそすべての部屋にあった。トイレにまで。名画とか、かわいいモノもあった。「販促ツール」だったのだな。幼き日の私もやはり、
「そんなに何日か知りたいかぁーーーー!」と思っていた。当時にはなかった言葉だけれど「ダサい」「イケテナイ」に似た感情も持っていた。
昭和・平成・令和、「時計」と同じくらい、いやそれ以上のスピードで減ったのではないかと感じている。「なくてもいいかな」と思うくらいだが、80代の母の「1つはいる」という希望により1つだけ。予定の書き込めるタイプで小ぶりなモノ。毎年いただくのだが、いつからか「指定」でこれを頂戴している。
販促ツールではなくなったようで、今はもらうことが少ない。丁重にお断りすることもある。「カレンダー」といえ使い切ることができないから。オシャレなカレンダーもあるけれど、そうそういらない。「カレンダーまみれ」はもういい。アイドルのカレンダーをめくれないくらい大切にしていたのはもう遠い日。
4.まとめ
ベランダにもあったゴミ箱。背景話としては、弟のどちらかが持ち帰ったモノ。主はいなくなったのでベランダに置いた。「ベランダにはいらんけど」と主たる掃除をするヒト(私だけど)は思っていたが、「子供のモノはなかなか捨てられない。たとえゴミ箱でも。」な親心(母だけど)により長らくあった。(ベランダに置くのに?)
マンションの大規模修繕にあたり、「ベランダを片づけよ」の指示にチャンス到来。
「ベランダのゴミ箱、ほって(捨てて)いい?」
「ん~、いいけどぉ~」
「わざわざ、ここにゴミためへんし、管理がめんどくさい~」
やっと言えました。
ゴミ箱・時計・カレンダーを「敵視」しているわけではないのです。「何気なくあったモノが減ったなぁと思う」という話。暮らしの中でこういうモノ、他にもあるんじゃないだろうか。
50代、「実家を片づける」という任務につかれている方も多いかと。昭和の3点セットが残ってはしないだろうか。なんなら元・子供部屋全部がそういうモノにまみれてはいないだろうか。
ちょっと郷愁だか哀愁だかを感じなくもないけれど、「モノがモノを呼ぶよ」「家事を増やすこともあるよ」と思うのでした。
(ま)
「 昭和を語りだしたら、おばちゃんやなぁ」と自分でも思います。読んでいただき、ありがとうございました。