日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

50代のおうち箋「しまいこむ女」

f:id:kogireido:20220213093201j:plain自分で迎え入れたモノを「使い切る」

モノの持ち過ぎを自覚した後は、そうありたいと考えている。

はて、なぜ「持ち過ぎ」になりましたか?

「いつか」「まだ」と処分せずに、たくさんのモノを収納することばかりにとらわれていたから。

そんなモノ、実は大したモノじゃないと気づく。

「処分のある整理」をしていたら、そこにまぎれた素敵なモノ達を発掘。

私、「しまいこむ女」でしたわ。

 

*画像:母が幼かった頃のおけいこ道具

 

 

1.「大切」のカンチガイ

 

素敵なモノを使わずに「保管」してありました。「住まいの中で”保管”って何なの?」と今は思う。大そうな。

それこそ片づけNGワードの「いつか」です。「いつか使うから」

素敵な食器、きれいな刺繍がほどこされたタオル、もうなんやかんやと天袋からザクザク出てきました。

 

「どうするの、これ?」掃除や収納、インテリアは得意ではない母から言われた。処分を含む整理はこのヒト(母だけど)は得意だった。モノ離れがいい。潔い。

素敵なモノ、放出することにしました。「素敵なら今使え!すぐ使え!」

しまいこむことが大切にすることではない。気づきの三十路手前。

 

 

2.「しまいこむ」は「ややこしい」

 

しまいこまれたモノはたいてい、ややこしい場所にあったり、出す・しまうもややこしかったりする。

「ややこしい場所」とは私が天袋を「保管庫」としていたように、あまり目につかず台に乗らないと取り出せないような場所。また収納空間において、何かをどけないと取り出せないような奥深い場所。

「出す・しまう時にややこしい」はそのモノに到達するまでの時間が長かったり、動作が大きかったりということ。「収納」はどれだけ詰め込むかじゃなくて、いかに出しやすくしまいやすいかだから。

「取り出しやすさ」という点からかけ離れる「しまいこむ」は「ややこしい収納」になりがち。

 

 

3.「しまう」「しまっている」と「しまいこむ」

 

通常・現在進行形の動作は「しまう」だ。収納された状態で「しまっている」かな。

「しまいこむ」はその「しまっている状態の長期化」という感じだろうか。この「長期化」がろくでもない感じがする。(個人の感想)

「しまう」時に「素敵!もったいないからしまっておこう!」と思う。そして「収納するモノ」(収納するモノもモノやで)に入れて、取り出しにくい・目につきにくい場所に収納する。そのまま時が過ぎ去っていく。そんな予感、いや経験からくる「ろくでもない」

 

 

4.どうでもいいモノはしまいこむな!

 

素敵なモノをしまいこんで、日の目を見ないというか使わないことがもったいないと気づいてよかった。若さゆえの「しまいこむ」もあったのではないかと今は思う。50代の私はさっさと使う。それは残された時間を想ったり、「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマだから「少ないなら好きなモノ」と考えるからだと思う。

「素敵なモノ」と言っても「素敵だと感じる度合い」は時間の経過で変わるし、食べ物のように「旬がある」と思った方がいい。今使え!すぐ使え!

特別な感情のない「いつか使うかもしれないモノ」については、「そんなモノしまうな」(口が悪い…)と思います。「いつか」「かもしれない」ってどうよな感じ。「使う」の意志が乏しい。「しまうな」なのに「しまいこむ」のはもってのほか。

しまいこまれるモノは「どうでもいいモノ」である可能性大。

 

 

5.様々な「しまいこむ」タイプ

 

いろいろあるんじゃないかと思います。しまいこむモノも、しまいこみ方も。

食品や日用品を「ストック」と称して増やしてしまったり、紙袋がなかなか処分できなかったり。その結果として、収納空間を圧迫してしまったり、家中のあちこちにばらけてしまうことになったり。もう「たり」の連呼。そしてそのことを忘れてしまったら…もうどないもこないも。

自分のタイプを自覚できたら「しまいこむ」から脱却、遠ざかれると思うのです。

 

 

6.まとめ

 

「使い切る女」を目指しているけれど、「しまいこむ女」でしたという話。

自分のことを「収納名人」だと思っていましたからねぇ。「処分をしない整理」を繰り返し、たくさんのモノをキュキュキュッと詰め込むのが得意だっただけ。「収納はパズルみたいだ」と考えていたくらい。収納空間も風通しを考えている今とは大違いです。

 

若かりし日の自分に言うような「乱暴口調あり」でした。最後に「しまいこむ女」のお手柄(自分で?)話を。

 

整理は得意な母が子供の頃使っていた、日本舞踊の扇とお琴の爪(木箱入り)を持っていました。(画像のモノです)祖母(母の母)が長らく持っていて、祖母の遺品整理の際に母が持ち帰ったと思われます。これをいつだったか「捨てて~」と。そう言われても捨てることができず、私の部屋にしまっていました。

このおけいこを一緒に習っていた母の友人が来宅。当時の写真をお持ちになりました。発表会の写真は2人が最年少で最前列・中央に鎮座。「センターや~ん」と楽しく拝見。母も「私も持ってるわよ」とすぐに小さなアルバムを持ってきました。(こういうモノもしまいこまず、コンパクトですぐに見られる化しました)

私も自室にこの扇とお琴の爪を取りに行きました。(すぐに出せる場所に収納)

驚く元・6歳、現在80代の二人。懐かしい写真当時のモノが目の前にあるのです。

「捨ててなかったん?」「なんだかねぇ、小さいモノだし。しまっておいた。」母娘の会話。母のお友達は「すぐに出てくるのもすごい!」とそこにも驚き。

「しまいこむ女」の名残?このことについては「いい仕事したんじゃない~?」とやや自画自賛なのです。

 

(ま)

 

 

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まなみ

今は「しまいこまないように」と考えています。読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

kogireido.hatenablog.com