三十路を迎えた頃だったかな。
2人でいつものようにご近所でお茶をしていて、
「すんごいキレイじゃなくていいから、コギレイくらいでありたいねぇ。」
「そうねぇ~、自分自身も家の中も。」
そんな会話がありました。
あれから20年くらい経って、私はそうなれているのだろうか。
では、いってみよう!
画像*いつかの「とある素敵な場所」
1.「コギレイ」のススメ
キメキメの自分も部屋もかなり努力が必要だと思われます。「はなから、無理やんねぇ~」と心の声がする。ならば、ぼちぼち、ほどほどに。
「キメキメ」は最新の流行であったり、ブランドや高価格という何か本来とは違うものについて意識がいきがち。(個人の見解だけど)
私も若かりし日はそういうことに興味もあったけれど、「他人様がどうか」がそもそもあまり気にならない性質みたいだ。(身近なヒトたち評)
誰もが「うわぁ~」とならなくてもいい。「若作り」はイタイけど、「若々しい」はうれしい。「キレイ」に及ばずとも「コギレイにしてはるねぇ~」でなまくら心がシャンとする。外見だけそうあってもいただけないと思うので、内面も内面の表れとなる「家の中」もそうだったら「素敵じゃない?」と考えるのでした。
2.50代になった今もそう思う
若くてかわいい時代が終わって、「暮らし」についての興味が増した頃でした。あの時の会話も風景もハッキリと思い出せるくらい、今でも「指針」となっています。
ご近所にスッピン&適当な恰好で出かけた時ほど、知人に会う。ユーミンもそう歌っている。「家用」とした服って何?外出着から格下げしたモノや、よれっとしてきたけれど着心地がいい、でも外にはあまり出られない服が多いかと。ええ、私も「通った道」なのでよく分かる。でもこれでは「コギレイ」じゃないのよ!
最近は着心地がよく、動きやすいワンピースを「家用」としています。1シーズン2着くらいで、カタキのように着ます。「家用」も新品からはじまり数は少なくして、着る頻度を増やして使い切る速度を速めたい。新調する速度も速まるわけで、それは楽しいことだと思います。(他のモノにもあてはまる)
ここのところ「スッピン」です。「顔は用意ドンで、すぐに出かけられるくらいにしとけ!」と心がけてきたのに…。コロナ禍、常にマスクに負けてしまっています。ファンデーションがなくなりません、いつまでもある。
「コギレイでありたい」今も間違いなくそう考えている。だけど、だけど…、早く私を改心させる世の中になってほしい。
3.住まいの「コギレイ」
これは進化も、キープもしているつもり。
「加齢とともにモノを減らす」がマイテーマで、最強の片づけ仲間(ゆみちゃんだけど)がいるので大丈夫。
わが家に「アポなし」で来るヒト多し。(今はいないけど)
いつでもウェルカムな状態であることは暮らしを楽しくする。住まいとはそこに住まうヒト達がリラックスしたり、英気をやしなったりする場所。そこで平穏に楽しく過ごすことができれば、訪れるヒトにも心地よいはず。その時間は何物にも代えがたいと思うのです。
「家の中はくちゃくちゃだけど、誰も来ないからいいんです」はもったいない。自分はもちろん一緒に住まうヒト(家族ね)を残念な空間で過ごさせていることに気がついてほしい。もっと楽しい時間が持てる場所になることにも。こんなご時世なのでワイワイできないけれど、またそういう日も来るって信じて「住まいのコギレイ化」をしてほしいなぁと思います。
4.呼ばれることは恥ずかしいけれど…
そんなこんなの私たちの「コギレイでありたい」が屋号といいますかユニット名と言いますかの「コギレイ堂」
2005年からホームページ、ブログと形を変えながら共著で書いてきました。その間に文字を通じてのお仲間ができ、リアルに友人となった方も少なくありません。
「コギレイ堂さん」と呼ばれる時、ちょっとした恥ずかしさを覚えます。「はたしてコギレイだろうか」とわが身を振り返るからです。そしてシャンともする。今は「コギレイなおばあさんを目指す」ことも追加しようかなと思っています。
5.まとめ
「コギレイであるため」の方法として無理なく、簡単にを求めるようになってきました。たくさんのモノを管理することも、労力のかかることも頑張らないとできなくなっていくことを加齢しなければ気がつかなかった。はたして頑張らないといけないことなのか?減らしたり、やめたり、簡素化したりしてもいいんじゃないか。30代は30代の、50代は50代の「コギレイ」があると思う。
「すんごいキレイじゃなくていいから、コギレイくらいでありたいねぇ。」
「そうねぇ~、自分自身も家の中も。」
いついつまでも覚えているだろう、私たちのこの会話。読んでくださった方にも「私もそうありたいわ!」と思っていただけましたらサイワイ。
(ま)
家の中は努めているけど、最近の私はコギタナクなっていく~コロナめ!読んでいただき、ありがとうございました。