「DM」ダイレクトメールとしたけれど、主に郵便物や郵便受けに投函されるこちらの望まない「紙モノ」について。
「自分で家に持ち込んだモノは使い切るようにしたい」とか「加齢とともにモノを減らす」と考えているのに、いかがなモノなの、DMって。
どうしてくれよう!?
いろいろとあがいてみています。
では、いってみよう!
1.新聞はやめてみた
古新聞を束ねてゴミ捨て場に運ぶことがめんどくさくなってきた頃、主たる読者であった父が亡くなったこともあり新聞購読をやめてしまいました。
チラシ類が見れないという点が気になりはしたけれど、それらもかさばるし「興味がない」という母(安いから買うという概念があまりない)の言葉に後押しされた。
なんかねぇ、「大人は新聞を読む」とどこかで思っている世代でしょ。ちょっと躊躇はしました。
資源ゴミの日にせっせと束ねた新聞紙を運ぶことがなくなり、「ほら、こんなに安いで~」といった目に訴えかけてくる情報(チラシ)を減らしたことで「セール」や「お買い得」を改めて考えることができた。
「ポイント倍増!」「2点買えばさらに割引!」といったあおりにも近い文句には「買わないと損!」と一瞬感じさせられるのだが、「どうでもいいモノは買わないのがお得~」という母の言葉を思い出し冷静になるようにしている。(ゆみちゃんもらしい・笑)
「新聞はやめてみた」処分する作業、過多な情報から解放され、概ね「良し」と考えている。新聞以外のモノで世間、世界のことを知れる世の中になったし、新聞もはたして信用していいのかとこの頃思うし。
新しいお店ができるとか、私が絶対興味がありそうだと思う記事やチラシは新聞購読をしている近居な義妹やお隣さんが教えてくれるのでね、ありがたいこと。
2.投函されるチラシには一言よろしい?
マンションの集合ポストでわが家のを開けて取り出す時、必要な郵便物より無造作に、いや不躾に投函されたチラシの方が多くて辟易すること度々。集合ポストから家まで歩きながら、「いる・いらん」を分けて家に入った時には「いらん」は「古紙」の箱に入れてしまう。リビングには持ち込まない。ダイニングテーブルの上に置きっぱなしになるのを学習済みだから、さっさと片づける。「こんなモノに振り回されてなるものか」の心意気。
私の頑張りむなしく、チラシまみれは止まらない。そんなことにイライラさせられるのが腹立たしいと感じるようになった頃、対策を考えることにした。ラベルの機械、何やったっけ~、テプラだ!買ったけど使ったのはその時っきりなんだけど(まだ家にはある、捨てちゃう?>ゆみちゃん)、短文でそれでいて上からな感じがしないような文言を考えてシールを作り、わが家のポストに貼った。考え抜いたところで要は「チラシはいらんから入れないで」っていう表明。
投函チラシ、減った。イコール、古紙処理も私のイライラも激減。チラシを入れる方にはお仕事だから悪いなぁと思うけれど、入れさせる側には「ちょっと大概にしてよ」って黒い心の声でつぶやく50代、私だけど。
3.「受取拒絶*印」をやってみた!
ちゃんと郵便物で届くDMに「どうしたものか?」と考えるようになってきた。高齢の母に届くモノは怪しげなのもあったり、用なしだったり。止められるモノは止めて、それでも尚届く(止める手段が不明もしくはめんどくさい)モノを「どうしてくれよう!?」だ。
受取を断る方法があるのね。開封せず「受取拒絶」と明記、氏名を書くか押印(シャチハタ可)してポストに投函する。 注:これは日本郵便のやり方で、最近は宅配便の会社から届けられるモノもあるからどんなDMにもとはいかないのでご興味を持った方は詳細をきちんと調べてね。また拒否できないモノもあります。
いささか高圧的だけれど書いた。「受取拒絶」しっかり赤字で。
表明はした。この後どうなるのかはまだ分からない。送り主には伝わるそうだから、それでも送ってくる企業や団体は「イケテナイ」ってことで。
4.まとめ
自分の意志とは関係ないどころか、無理やり押し付けられている感じがするDM。中には「教えてくれてありがとう!」っていうのもあるけれど、めったにない、ほとんどない。マンションの集合ポストには中のモノがはみ出ているお宅もある。投函チラシが跳ねた髪みたいに飛び出している。あれはもう、郵便箱ならぬゴミ箱だ。あの中にとても大切なお知らせがあるかもしれないのに、埋もれてしまうじゃないか。余計なお世話だがそんな光景を見ながら、私はわが家のポストをゴミ箱にはしたくないと思うのです。
わざわざ出向かなければならないポストで毎日のぞくのはめんどくさいから、「いらんモノを入れてくれるな」本音はそこかも。
(ま)
望まずしてやって来るモノ、どうにかしたくなっています。読んでいただき、ありがとうございました。