前記事で「収納力」と繰り返していたら「整理力はどうなんだ」とふと思いました。
「整理力」はあまり目にも耳にもしないじゃないか。
はぁ~、なんてこったい!
「収納よりも整理の方が大事やで」
太字で赤字で言いたい。では、いってみよう!
*玄関近くのウォークイン納戸
1.「整理力」とは?
「整える力」だ。力強く書いてみている。
片づけにおいての「整理力」は「分ける力」
単純に「モノを分ける」といっても、「行動」「人」「場所」「利便性」「安全性」があり、「時間」や「緊急性」も背景にある。
「たくさんしまえる」ことが「収納力」とするならばモノ(収納するモノ)頼みなところが見えるけど、整理は自分軸だ。奥深い話よ、これは。
2.「整理力」が片づけを制す!?
「整理する時は分けて、分けて、分けまくれ!」と書いたことがある。
整理する時にまず「要・不要」で分けましょうと言われる。これがピンとこない場合「自分語」(自分に響く言葉)に変換した方がいい。
私の場合「いる・いらん」だが、「いる」の前に枕詞(?)の「いつか」とかついたらそれはもう「いらんに近い」と置き換えられる。すべてのモノを「いる・いらん」で分けるのは果てしない気がして、「いる」を掘り下げてみることにした。
「いる」のは好きなモノ、必要な道具、思い入れのあるモノで、その量は「今の自分が管理できる量」としたらそう数多くのモノは残らない。収納するモノも大きければ管理しづらくなってきていて、「加齢とともにモノを減らす」マイ目標はさほど難しいことでもないのかなぁと考えている。
「好きでもないどうでもいいモノ」「あったら便利程度の道具」「思い入れのないモノ」は「いらん」ということ。
「あとちょっとやから、ちょっとだけで暮らしたいねん」マイマザー、母が友人に言った言葉。先の「ちょっと」は「人生」で後の方は「モノ」ということらしい。シュールだ。ため込みがちな年代だけど、変な娘(私だけど)に大きく影響を受けていると思われる。「ちょっと(モノ)でいっぱい(人生)長く元気に暮らそうね」言ってみてはいないけど強く願っている。(…ちょっと脱線)
こうして選び抜いたモノ達を数々の「背景」を考慮して、さらに分ける。
「いつ使うのか」
「どこで使うのか」
「誰が使うのか」
「どのようにして使うのか」
ん、5W1H【Who(だれが)When(いつ)Where(どこで)What(なにを)Why(なぜ)How(どのように)】と一緒だな。これができたら、こっちのもんよ!
3.収納も整理だ!
収納力がある(たくさんしまえる)モノを用意して、ただモノを詰めるだけでは片づかない。モノをどんな収納するモノにしまうか、そもそも収納するモノが必要なのかも考えなければならない。「片づける前に収納するモノを買わないで」何度言ってきただろう。私の周りの人たちは買物をする際に私のことが思い浮かぶそう。「それ、ほんまにいる?」ともはや私は「なまはげ」かって話。思いとどまったりすることもあるそうだから、知らない人にも書いていこう。
過去の私は「収納名人」だったと思う。キュキュキュと詰め込むのがうまく、空間はすべてデッドスペースだと考えていた。違ったわ。
詰め込み状態はすぐに乱雑になって、空間のゆとりのなさは新しいモノの入る余地も、空気の流れもなくしてしまう。「そんなのねぇ、どうよ!?」ってある日気がつく。
収納はいろんな「分ける」を繰り返し、「背景」を考慮して、そこに住まうヒトみんなに分かりやすく収めることだと今は思う。
「整理収納」というが「整理収納」だから。整理の方を大切に。収納は整理の後。収納をただ「モノをしまう」ことにしてはいけない。背景の交通整理もお忘れなく。
4.まとめ
「収納力より整理力が欲しい」と思います。50代の整理はいよいよ「好きなモノ」や「思い入れのあるモノ」にも着手。「えいやっ!」と気概のようなものが必要で、「そこまでして…」と思わなくもないけれど、「今日の私が一番若くて元気」(今はぎっくり腰中だけど)なのだから先送りはいかがなものかと思うのです。
姉のような、片づけ仲間のゆみちゃんがいますから「孤独な闘い」(?)ではない。その過程も分かち合えたり、ほめてもらったり励みにもなっています。
「日々、整える」(ブログタイトルやん!)
整理力の増強を目指します!
(ま)
私たちが「あなたのなまはげ」になれたら幸いよ~♪