日々、整える

50代*これからの暮らしのレシピ by.コギレイ堂

50代のおうち箋「もったいない」

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モノを整理する時に出る言葉「もったいない」

私も思うし、言う、おまけに書く。

若かりし頃は「モノがもったいない」と感じることが圧倒的に多かった。

年月をかさねまくり50代となった今はどうだろうと考える。

さぁ、長文になりそうな予感…いってみよう!

*画像は本文とは無関係です。久しぶりにこの方の後ろ姿を。

 

1.もったいない「モノ」

若かりし頃、つまりは「収納にばかりとらわれて、整理に”処分”がない」頃の「もったいない」のは「モノ」だ。「まだ使える」「高かった」「あれば便利」と「いいわけワード」が続く。そしてたくさんのモノを仕分けるだけの整理をして、処分はされず残留。整理する度に同じことを思い、その数は時間の経過とともにどんどん増えていく。暮らしの中で持つモノの「使うと維持管理」がアンバランスになって、「モノの過剰」「空間の不足」になる。ある日突然その状態になることは少なくて、時間とともに少しずつそうなるという方が多い。これが「アンバランスになっている」と気づかされない理由。慣れて、慣らされてしまうから。使わない・使う予定もないモノが本当に「もったいない」のだろうか。

 

2.もったいない「場所」

今は使わない・使う予定もない・あれば便利と「ただ漠然とある」というモノが自分の部屋や家の中にあることにあまり気がつかない場合が多い。増えるモノを収納空間に押し込んだり、それらを「収納するモノ」を買ってきたり。「収納するモノもモノやで」ってことなのに。家具と家具の隙間や扉の裏を「デッドスペース」として「みょ~な工夫」をして「空間を活かしている」と思うのは錯覚で大勘違いだから。(少々「黒い私」)

 

「満員電車」を思い出せばいい。ぎゅうぎゅうで「心地よい空間」と言えるのかと。自分や家族が英気を養う場所を「満物部屋(家)」(満員電車に対する私の勝手な造語)にしていいのかと思ってしまう。家賃やローンを払って、「もったいない場所」を作ってやしないだろうか。

 

3.もったいない「時間」

若い頃には「時間はたっぷりある」と感じられたけれど、50代にもなるとそうも思えない。親の時間を想うと悲しくなるくらいだし(まだまだ元気でいてほしい)、甥姪達のかわいい時間ももはや懐かしい。

いつも何か探しているヒトがいる。それも本人には「習慣」のようで、周囲も「いつものことね」というこれまたそのヒトの「特性」という風、いいのか?

探しモノばかりする時間ってどうよ!?

自分の時間を無駄に、周囲のヒトの時間を奪ってやしないか。「時間」は目に見えないけれど、とっても大切なものだと思うのよ。

 

4.もったいない「お金」

「100円玉は捨てないけれど、100円のモノは簡単に捨てる」

そう考えています、自戒もこめて。安易に買ったモノは手放しやすい。「セールだったから」「流行ってたから」こちらもまたいろんな「いいわけワード」付き。

「青春時代がバブル期」という世代のため、今考えると年齢にはそぐわないブランド品を持ったり遊び方も今に比べれば浪費であったと思います。いい悪いではなく、この時期の経験が「モノを選ぶ目」やその後の「お金との向き合い方」を養ったのではないかと今は考えています。私の場合、加齢とともに物欲も減ってきていて流行もあまり気にならなくなってきたこともあり、「どうでもいいモノは買わない」という経済を回すような消費者にはなりえていないけど。

 

そのかわりモノの「エピソード」「作っているヒト」「心意気」「背景」「どんなヒト・お店か」そんなことが気になります。「どんどん買って、どんどん捨てる」それは「どうよ!?」とどこかで思っていて、「どんどん捨ててるモノもお金やで!」って叫びたいくらいです。活きたお金の使い方、買ったモノに対する責任みたいなこと(使い切る、手入れする、持つことを楽しむ気持ち)を今の私は考えています。

 

5.もったいない「自分」

「モノ軸」で考えていた時期、ちょっと広がって「場所軸」、もっと俯瞰して「時間・お金軸」と移り変わり最終地点(最終なのか?)は「自分」に行き着いたようです。一番大切にする軸は「自分」だとしたら、すべてを考えていることになるのではないかと。

 

「自分」といっても一緒に住まうヒトがいる場合(多くは家族でしょうか)、あまりにも自分を前面に出すということも難しいところがあります。「住まいが整っていると衣食も自然と整い、大体のことはうまくいく」と考えているので家族にもそう伝えます。家の中の安全はそこに住まうヒトが考えて整えて、みんなで何でもない時間を心地よく過ごすためでもあると。

 

暮らしはいいことばかりでもない。まさに世界中で実感する今の時代。話が大きくなるので「家庭サイズ」で考えてみると、仕事が減ったり病人が出たりということがある。そんな時には片づけることなんか放っておかなければならない。でもある程度、住まいが整っていれば立ち向かう態勢みたいなものがとれているように思うのです。

自分が「心地よい」「スタートダッシュできる」そうできない状態にしていることを「もったいない」と考えられたら…片づけのノウハウ本はもういらない。

 

6.まとめ

「もったいない」いい言葉だと思います。ただその良さを打ち消している場合もあるかと。

処分を先送りする時に「もったいない」は言わないでおこう。

そう思ったのなら「捨てない処分」を考える。

それも無理だったら責任を持って手放す。

自分が招き入れたモノなのだから、自己解決すべきだと心の声で自分に言おう。

50代、もう「もったいない」を連呼してモノをため込んでいる場合ではない。気力・体力のあるうちに、「今日が一番若いのだ」と自覚していきたいと思っています。

 

 

(ま)

 

 

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まなみ

楽しみにしてくださる方がいらしたら、心からありがとうございます。ボチボチ更新すぎますが「1記事入魂」の思いです。読んでいただきありがとうございました。