1 夏物のワンピース3着、処分しました
どれも主に旅行先で、ちょっといいレストランなどで食事するときなどに、着用。
ドレスコードのある場所でも、
ワンピースなら間違いないから便利ですね。
あ、ウエストを気にせず、お腹いっぱい食べられるところも。笑
でもコロナ禍となり、2年間 袖を通すことなく。
この機会に客観的に見てみると、
いずれも長く着ているものばかりで
なんだか改めて見ても気持ちが上がりません。
よし、また旅を楽しめる時が来たら、
その時は新調しようではないか、と手放すことを決めました。
早くそんな日が来ますようにと、願いながら。
2 よそいきの服に注意
旅先のワンピースもそうですが、
フォーマルな場に着る洋服も、要注意だなと思っています。
何が注意かというと、流行がないように感じるから、つい長く着てしまう。
そしてそういう服は生地・仕立てなど「モノ」がいいから、とてもきれいなのです。
- まだきれい
- あまり着ていない
- 高かった
これらは服を手放せないときに、つい言い訳にしてしまう3つの言葉。
それで思い出すのが、
23歳くらいの時に買った、MISS ASHIDAのワンピース。
白襟のお嬢様っぽいデザインで、友達の結婚式や、改まった場所にと
心斎橋の路面店で買ったのを覚えています。ドアマンのいるようなお店でした。
時はバブル。
今では考えられませんが、普通のOLでもきちんとした装いが求められる場面が多い、そんな時代でした。
数多あった若い頃のカラフルなワンピースはさっさと手放した私ですが、
(通勤にワンピースを着ていたあの頃。これも時代だ💦)
それだけは長らくクローゼットにありました。
娘が産まれ、いつか着てくれないかなと思って取っておいたのです。
彼女が20歳くらいになった頃、満を持して、「着てみる?」と聞いたけど
「う~ん、、、」という返事でした。
思えばこの時、娘にジャッジしてもらってよかった。
コンサバな服は流行が無いけど、
なんだろう、冷静に見たら、全体に漂う雰囲気が
やっぱりどこか古い、「上ものの古着」感。
もう着てくれる人のいない服。
ためらうことなく処分しました。
今でもそのワンピースの肌触りとか袖のカフスとか、鮮やかに思い出せます。
購入したときのことや、着て出かけた華やかな場面。
思い出は私の胸の中にちゃんと残っている。それで充分。
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3 物持ちがいいことと古臭いということ
「物持ちがいい」という言葉があります。
「物持ちがいい」イコール、
- 物を大切に扱う
- 無駄にしない
- 丁寧に手入れをする
そんなイメージ。
だからといって、着もしない服をずっと大切にしまいこんでいるのは、
物持ちがいいということではないのではないかな。
あの時これを選んだ自分を褒めてあげよう、
これを買えるほど頑張って働いた自分を褒めてあげよう。
それで浮かばれるのではないかと。
モノも自分も。
物持ちがいい、は、確かに褒め言葉だと思うけれど危険を伴う。
古臭くないか?ということ、気をつけておかなければ。
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4 まとめ 服の新陳代謝
人間はどんどん古くなっていくので、
服くらい新しいものを着よう。
あえて、自分はもちろん、50代の私たちにそれを許したい。
残念ながら、若い頃のように、何でも、何を着ても、似合う
ということはなくなってしまったけど。
だからこそ、新しい服を見に行く、今の自分に似合う服を。
コロナで出かけなくなったから、新しい服を買っていない。
買っても着ていくところがないね。
先日も友達と電話でそんな話になりました。
好きな服を着たり、新調したり、
その楽しみまでコロナに奪われないようにしよう。
ここのところの持ち服の見直しで、一段とスッキリしてしまったクローゼットに
気分の上がる一枚を加えたいと思う秋です。
(ゆ)