「整理収納」セットにされる。「整理」の後に「収納」がある。
「収納=モノをしまうこと」単純なようで結構奥深い話だと思うんです。
「収納は得意!」と自負していた私でしたが、本当は「捨てられない女」でした。
私の「収納の歴史」になるかもしれません、あしからず。
収納はノウハウではない!?整理が十分であれば収納はあまり考えなくていい!
- 1.「収納名人」は「整理下手」
- 2.「収納」だけを繰り返す若かりし頃、無意識
- 3.「収納するモノ」を増やす、勘違い
- 4.「収納より整理が大切!」と気づく、目覚め
- 5.「収納グッズもモノやで」って話、悟り
- 6.50代の今「収納とは?」、現在進行形
- 7.「収納も大切やったわ」終わりに
1.「収納名人」は「整理下手」
「いかにたくさんのモノをしまうか」
「便利なグッズはないか」
「収納」を重視していた時の私はそんなことばかり考えていた若かりし日。衣類の畳み方を工夫するとか、増えたモノを収納するための道具(家具やケース等)とか、そんな知識はいっぱい。
たくさんのモノをきちんと分けて、キッチリと収める。
そんなの「名人」なんかじゃなかった。
2.「収納」だけを繰り返す若かりし頃、無意識
小さな自室に白く低めの家具を選んだ。少しでも広く感じ、かわいらしいインテリアを楽しめそうだと考えた15才の私。正確に書くと、かわい過ぎる家具を選んでいた私に成長することを考え、さり気なくアドバイスをしてくれた家具卸を営む親戚のおじさんが選んでくれたモノ。その部屋は当時10代のインテリア雑誌に載せていただき、インテリアや片づけ、掃除を練習した空間でした。
19才、外で楽しいことがいっぱい、おしゃれに興味いっぱいなお年頃に。まだシリーズ販売されていた家具を買い足し、増える一方の洋服や小物をきっちり収納。先のインテリア雑誌から再掲載の依頼をいただき取材を受けたのですが、部屋の紹介記事ではなく「モノが多くて悩んでいます」という相談ページに掲載。「私、悩んでないのに」と当時は納得できなかったけれど、客観的に観ると当時の私の部屋はは「住まうヒトの楽しさ」が伝わって来ないと気づくのはずっと後のことでした。
私の部屋は「私のモノの部屋」になっていたことにも。
3.「収納するモノ」を増やす、勘違い
弟達が進学で家を出ると彼らの部屋が空いた。長期休みには帰省してくるので彼らの部屋には違いないが、ほとんどの日が空き部屋。使いはじめるわね、そりゃそりゃ。
「私のモノの部屋」は「私の部屋」に戻って、弟達の部屋が「私のモノの部屋」になっていき、両親もまた自分たちの部屋からはみ出たモノを運び込んだ。
集合住宅の玄関脇の部屋が陥りやすい「開かずの間」が出現。収納家具、ケース、ジャンジャン増加。せっかくのロータイプのチェストにカラーボックスを天井まで積み上げ、あふれる洋服を収める。
一見、収納できている、片づいている!?
4.「収納より整理が大切!」と気づく、目覚め
20代後半くらいか。たくさんのモノを持っているが収納できている私は「片づけ上手」だと自分のことを思っていた。そんな時の阪神大震災。家の中の安全を考えるようになり、たくさんのモノを前に「豊かな暮らしとは言えないなぁ」とも思うようになった。
わっさわっさと「整理」の中で怠っていた「処分」がスタート。
5.「収納グッズもモノやで」って話、悟り
置きたい場所にただ寸法だけがピッタリな安価な収納家具、家具とは呼べないカラーボックス(以下カラボ)やハンガーラック、全然エコじゃないプラスチックケース軍団、変な色の100円かご…。そんなモノの中にしまわれるモノ、ほとんどどうでもいいモノ。
無意識なのか、意識的なのか、自分が大切なモノはきちんとしたモノの中にしまわれていた。その後はカラボやケースの「撲滅運動」を繰り広げ、間に合わせのような家具も処分。現在、残骸もあるが「きちんと使う」を心がけている。加齢と共に大きなケースは持てなくなったので、小ぶりなモノが生き残り。
「収納するために道具から入るのは違う!」
声を大にして言いたいくらい。悟った!
6.50代の今「収納とは?」、現在進行形
そう訊かれたら「自分で決めた収納空間に、維持管理しやすい量のモノを収めること」かな。それは加齢するにつれ、「数は少ない」「方法は簡単」が楽だということも忘れちゃいけない。
- はみ出ることがあれば「整理」をする(収納空間、自分の記憶・維持管理)
- 分かりやすい(自分だけでなく一緒に住まうヒト、近しいヒトにも)
- 戻しやすい(誰にでも)
- ありそうな場所が想像できる(これまた、誰にでも)
- めんどくさくない(頑張らない、こだわらない)
- 時々見直す(今の収納場所が永遠ではない、不要になるモノも出てくる)
- 伝える(モノの場所を変えたなら「広報活動」を忘れずに)
- 安心安全(これが一番大切!)
心がけていること。普段は母と二人ですが、近所に住む末弟家族、帰省してくる上弟家族と10人になる時がある。老若男女、それぞれが勝手に出して、使って、戻してほしい。いちいち訊かれるのはめんどくさい。また、「なんぞの時」に手伝ってもらうこともあるので。
7.「収納も大切やったわ」終わりに
収納はそこに住まうヒト、出入りする近しいヒトに分かりやすいといい。誰か一人が知っているより、維持管理も楽。
甥や姪達が幼い頃は文字も読めないし、老眼の母に小さな文字は読みづらいとラベルにも工夫が必要だった。オシャレな英語表記とか無理だし、漢字もどうか。「ぞうきん」と大きな文字で表記したらチビ達と母が「ぞうさん?」と。「ぞうさん、入れれるなら入れてみな!」そんなこともあり、ラベルの多用を控えるようになったきっかけ。
工夫を凝らしたはずのラベルを見ずにを訊いてくる弟達にはムッとした。「読めても読まない」どころか「視界にすら入っていない」風なのだ。ならば共用するモノは「扉や引き出しを開けたら見えている状態」(そのまま置く・透明なケースを使用する等)にする。「老若男女に分かりやすい収納」は試行錯誤の繰り返しだった。
それに私自身も加齢してくると、中が見えないケースではうっかり「空気を収納」していることもあり、内容・文字が細かいラベル、ケースの多用を減らして「工夫しなくていい収納」(扉などを開けたら見える、ざっくりなのに維持管理しやすい)を目指している今日この頃です。
(ま)
収納するモノを今さら買いそろえる気もないし、収納空間をテトリスのように詰め込むのも疲れてきました。でもまだまだテトリスな気がするけど。「モノが循環する収納」でありたいです。